第31回 三重県亀山市立亀山西小学校

作文/佐藤/服部/トーレス///牧森/岩間
 日本郵船船長 小林 司
講演中の小林船長

 平成16年10月7日、わが母校である三重県亀山市立亀山西小学校(当時は亀山小学校)において、「船長、母校に帰る」の講演を行いましたので、その概要についてお知らせします。

1.我が故郷、亀山

 亀山市は、JR
関西本線と紀勢本線の中継駅となっており、国鉄時代に機関車を整備することができる機関区があって国鉄の町として栄えました。 昔、名古屋から国鉄で伊勢方面に向かう途中に汽車の進行方向が逆になって驚かれた方もおられるかと思いますが、そこが亀山駅です。有名な産物としては「亀山ローソク」位しか見当たりませんが、最近シャープの大型液晶テレビの工場が誘致され話題になっているところです。
「亀山」という地名の由来は色々あるようですが、「神山転化説」が最も有力で、天照大神の宮地(現在の伊勢神宮)を求めて倭姫命(ヤマトノヒメノミコト)がこの土地の忍山神社に約6ヶ月滞在したことと、忍山が“神の山”を意味するところから「カミヤマ」、それが「カメヤマ」になったとのことです。
日本神話の頃の話がその由来になっているなんて、私自身も眉唾物と思っていましたが、先日、亀山の郊外をドライブ中、「日本武尊命(ヤマトタケルノミコト)」の墓(前方後円墳)の案内板を見つけ、その墓が明治時代に宮内庁が認定したという由緒あるものであることを初めて知りました。日本武尊命は忍山神社の娘と結婚し、東征の帰路にこの地で没したという記録が残っているそうです。
また亀山は城下町でしたが、小説の中によく登場する亀山城は、京都府の亀岡市にある丹波亀山城のことですので、誤解しないでください。

同小学校は、創立132周年を迎えるという歴史ある学校で、亀山城藩主の居館であった二の丸跡地に建てられており、小生が通っていた頃の木造2階建ての校舎の面影は全く無く、既に現在の校舎(小生にとっては新築校舎)の新築工事が始まっていたのには驚かされました。しかしながら、小学校に隣接する亀山城名残りの多門櫓と石垣、お堀の一部と学校前を走る旧東海道は、昔そのままの形で保存されており、校舎は変わっても浦島太郎になることはありませんでした。

2.講演会開催に至るまでの経緯

 未だ船長としての実歴が3年にも満たない小生に船長協会から講演会開催の打診があったのは、今年の正月明け早々のことでした。

もう一昔前のことですが、小生が東京で陸上勤務中、丁度緊急雇用対策が始まったばかりの頃、海に囲まれた我が国の将来を荷う子供たちの教育の場として「学校船」を建造しようという動きが国政レベルで検討されたことがありました。本構想は公明党が当時の造船不況対策として打ち出したものですが、もし実現すれば、造船不況対策のみならず、日本人船員の緊急雇用対策の一助にもなり「一石三丁」案になるのではないかと、海運議員連盟や衆議院議員会館などの関係先を訪れ情報収集に走り回ったことがあります。 運悪く、当時は海員組合が提唱し民社党が主張した「年金客船」構想が具現化の運びとなり、本構想は日の目を見ることなく、いつしか消滅してしまいました。

林間学校や臨海学校があるように、いつの日か「学校船」を用いた洋上学校が義務教育の中に取り入れられることを夢見ていた小生にとって、船長協会が50周年記念事業の一環として打ち出した「船長、母校へ帰る」の企画は、手法こそ異なるものの、自分でも手の届く草の根運動であり、退職してボケが始まるまでに、いつかはやってみたいと心に誓っていました。

 とはいえ、まさか現役中に声が掛かるとは思っていなかったので、正直言って困惑しました。また協会事務局から、「最近はなかなか講演を引き受けてくれる船長がいなくて困っている」と聞かされ、再度困惑、このすばらしい草の根運動を絶やしてはならないとの思いが嵩じて、二つ返事で引き受けてしまったという経緯があります。

講演風景


ところが、いざ行動を開始してみると、小生の思惑とはいささか異なる現実問題が待ち構えていました。

当然の事とはいうものの、母校で本講演会を開催するには、講演者自らが母校の了解と日程の調整を行うこととなっています。

 まず、学校側との折衝についてですが、わが懐かしき母校とはいえ、全く面識の無い校長先生の了解を得る必要があります。私の場合、従兄弟が同じ市内の別の小学校で先生をしていることもあり、ボランティアで「海と船」という夢とロマンに溢れた話を持ちかければ「入れ食い」でとんとん拍子に進むだろうと甘く考えていました。ところが、校長先生に電話で面談のアポをとった際、「入れ食い」には程遠い感触だったので「これはまずい」と気合を入れ、面談の日には制服着用の上、自ら講演会の趣旨を書きまとめた手紙と船長協会の会報(創立50周年記念特集号以下、本講演会の投稿文が載っているもの)を持参し、海事思想教宣活動のセールスマンになったつもりで講演会の「押し売り」交渉を行いました。その結果、何とか快諾を得ることはできたのですが、もどかしさを禁じえませんでした。

次に、日程の調整の問題ですが、丁度小生は下船したばかりだったので、長い休暇中を利用して次回の乗船までにやればいい程度に考えていました。現役船長の場合、一度乗ってしまえば約半年は海の上にあり、いつ乗っていつ降りるのか自分で年間計画を組んで約束できる立場にないからです。ところが、学校側にとっては、ゆとり教育で以前に増して時間的な余裕がなくなっており、それなりの人数の生徒を集めるとなると、相当前広に準備して年間行事に含めなければならず、たとえ快諾が得られても直ぐに開催することはできません。校長先生から「3月の卒業式までは予定が一杯なので、来年度の予定の中に組み込みたい、4月以降のいつ頃に開催できるか教えて欲しい」と言われて、あっという間に当方の(休暇中開催)プランは一蹴されました。協会にその旨を連絡したところ、「年内にやれれば結構、乗船半年後ぐらいに設定していただければ、準備時間も含めた時期に必ず下船できるよう協会から会社宛に依頼する」とのこと。そこでようやくこのキャンペーンが単なる船長協会だけのボランティア活動ではないことを知り、あまりにも気楽に引き受けた自分の愚かさを反省しました。

その後、学校側も秋の多忙な年間スケジュールをやりくりされたようで、校長先生から開催日の最終確認通知が入ったのは3月29日、乗船の10日前のことでした。

3.講演準備


開催することが決定して間もなく船長協会から様々な資料が送られてきました。

特に船長協会が作成したビデオ「海と船」(約25分間)は外国航路の船のことを知らない子供たちが理解するためのイロハが簡潔明瞭に盛り込まれており、このビデオを見ながら説明するだけで1時間程度の講演は誰にでもできる内容となっており、強い味方を得た気分になります。船長協会からもこれだけは必ず流すように依頼されるので、どのタイミングでどのように放映するかに一考を要します。また協会が講演用に作成したDVD
には、このビデオのほかに世界地図や主要港の写真、海の動物からグリーンフラッシュなど様々な資料が集録されており、話の内容に応じた場面を流すことができます。

また、船主協会が作成したビデオ「豊かさを運ぶ海の道」と「地球環境と海運」は、文部省選定の小中学校対象の教材として使われているもので、子供たちに大変分かりやすい内容となっています。(但し、このビデオに登場するプロの役者のように話すことは至難の技であり、講演会当日の機材として使用するのはお勧めできません。)

また、神戸商船大学の杉浦名誉教授と東京大学の塚本教授が監修し海事広報協会が発行した「海と船なるほど豆辞典」は、子供たちを含め講演会に参加した方全員に配布されますが、その内容は多義に亘っており、この辞典で事前に勉強された校長先生や担任の先生方々からも大変分かりやすい豆時点だと好評を博しました。

 その他にも講演のネタとして使用できる資料が含まれているので、講演者自らの手で資料集めをする必要はありません。

小生は乗船中、これらの資料と会報に掲載された先輩諸氏の経験談を参考として、船長協会が作成した「海と船」のビデオの内容に加えて、様々な海上の危険(衝突、火災、乗り揚げ、シケ、ガス、海賊、テロリストなど)を船長の苦労話として紹介するシナリオを作成しました。講演の際に使用した機材はDVDプレーヤーとスクリーン、レーザーポインター程度で、全て船長協会の方で準備していただきました。

質問をする学生

4.講演内容

 講演は、4年生から6年生全員(といっても全員で180名程度)を対象とし、小学校の体育館を利用して、午後1時45分から3時15分の1時間半の予定で開催しました。学校側の配慮でそれ以後の予定は組まれておらず、多少の時間延長は可能とのことでしたが、全員が体育館に集合した後に我々が拍手で迎えられ、教頭先生の開会の辞、校長先生、会長の挨拶があり、小生の番になったところで既に20分以上が経過していました。また、「最近の子供たちは、長時間じっとしていることができない」ということで、途中10分間の休憩も設けることなり、せっかく気合を入れて盛りだくさんの話題は用意していたにも拘らず、シナリオの相当量をカットせざるを得ませんでした。講演終了後に拍手で見送られながら体育館を出たところで時計を見たら午後4時少し前、予定の時間を45分もオーバーしてしまいました。

 時間に追われながら余裕の無い講演となってしまいましたが、あくびをこらえながら最後まで熱心に耳を傾け、質問コーナーでは、多くの子供たちが手を挙げて盛り上げてくれたので「やって良かったな」と自己満足しています。浴びせられた主な質問は次のとおりで、子供たちの好奇心の旺盛さに感心しました。

  1. 一番早い船のスピードは?
  2. 航海中に船が揺れて物が倒れてきたらどうするのか?
  3. オーストラリアまで船で何日かかるの?
  4. 海の上でコンパスが故障したらどうするの?
  5. 海賊に会ったことがあるか?
  6. 航海中に燃料や食糧が無くなったらどうするの?
  7. 航海中に怪我人や病人が出たら誰が治すの?
  8. (3人の船長の制服を見ながら)どうしてボタンの数が違うの?(ボタンの数はNYK が6個、MOL が8個、因みに森本会長は飛鳥船長の制服を着ていて三者三様の制服を着ていたのですが、子供たちは良く観察していますね。

 いずれにせよ「亀山」という、地名に「山」が付くぐらい海には縁の無い町の小学生を相手に「海と船」のことを短時間で行うことの難しさを痛感させられました。校長先生によれば、子供たちの興味や関心を引くには、こちらから問いかけを行い相手に考えさせることがコツだそうです。

5.おわりに

 本キャンペーンに参画する有志が年々減少しているとの話を聞いたとき、大変困惑しました。船長という職業柄、人前で話すことに慣れている諸兄が多い筈、おそらく謙譲の精神が旺盛であるが故に、協会から声が掛かる日を心密かに待っている方も多いのではないかと推察しています。

当然の事ながら、誰しもいきなり子供たちに海事思想普及の為の講演会をやれと言われれば躊躇してしまいますが、今は船長協会が作成したビデオ「海と船」という強い味方があり、会員諸兄が船長の制服を着て子供たちの前に立って若干の経験談を語り、子供たちからの質問に答えるだけで十分にその目的は達成されます。歌の文句にもよく使われる「海」「船」「港」という言葉は、それだけで人々に夢とロマンを感じさせます。外国航路の船長という職業の現実には厳しいものがありますが、本キャンペーンは、これから何を目指そうかと悩んでいる日本の子供たちの好奇心をかき立て、多くの子供たちに「海」や「船」の役割を分かってもらいながら、更にその先にある世界の国に目を向けさせるという、ある意味では、我々にしかできない、我々に課せられた使命ともいえる活動ではないでしょうか。

今後も、全国各地に点在する会員諸兄がこの「草の根運動」の「カタリベ」となって、「島国日本」の次代を荷う多くの子供たちに夢とロマンをプレゼントしてあげることを心より祈念申し上げます。

 私事ながら、今回の講演会には長年音信不通であった小学校時代の恩師が駆けつけてくださり、その恩師の前で講演するという名誉この上ない機会に恵まれました。

若輩ながらかかる機会を与えていただいた上に、何かとご助言とご協力を賜った会長始め事務局の皆様に対し、最後になりましたが、この紙面を通じて厚くお礼申し上げます。


中日新聞記事(中勢版)2004.10.13.
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作文/佐藤/服部/トーレス///牧森/岩間

LastUpDate: 2024-Apr-24