第86回秋田県立男鹿海洋高等学校

元NYKグローバルバルク(株) 常務取締役 船長 松野 重春

「船長、母校へ帰る」

海外勤務(米国シアトル市)を定年で退職したのが六年前でした。
さて残りの人生を如何するかそして何処に住むのか?と考えた時は何の躊躇いもなく故郷の男鹿半島を選択しました。
生家の近くに土地を求め、終の棲家を建てると共に、僅かばかりの畑を相手に晴耕雨読の生活を決め込んでおります。
農家の五番目に生まれ育った訳ですから農業のことは体で覚えていた積もりでしたが、此れがとんでもない思い上がりでございまして、何故か毎年何等かの失敗を積み重ねては近所の苦笑を買っております。
たまたま水産高校の同窓生有志による懇親会に誘われて、様々な世間の情報交換をする中で先輩是非現在の海洋高校の後輩の為に“海と船”について其の魅力を話して下さいと言う事になりました。
懐かしさもあって、早速齊藤校長先生のアポイントを戴き、その昔卒業した船川水産高等学校の積もりで訪問しました。
しかしその実態の変化には大変な驚きでした。
聞けば学校の呼称も水産高校から~~海洋技術高校、更には普通高校の男鹿高等学校と統合して現在の“男鹿海洋高等学校”が誕生したと伺いました。
全校生徒400余名の内其の半数が普通科生徒と聞いてどうも少し話が違う様な気がしました。それに何よりも女子生徒の多い事、その昔では想像も出来ない、羨ましい光景を目にしました。
其れでは自分の専門である海と船に関わるコースを勉強する後輩は何処に所属するのかと質問しましたら其れは海洋環境科に所属する。
同科は
① 漁業、航海分野  ② 海洋機関分野
の二つに分かれており両分野合わせて各年35名程度と言う説明でした。我が秋田県は長い
海岸線を有し、更には立派な練習船“船川丸(488t)”を所持しており、将来は海に暮らしの糧を求める人の為の立派な教育施設が整備されながらこの人数では一寸寂しい気がしました。
しかし人数は少なくとも、将来海と船に夢を託す後輩の続いて居るのを確認出来たことは嬉しい収穫でした。
さて此れほど生徒の中身が変わった現状に合わせた話とは何なのか?いささか戸惑いを余儀なくされましたが、生徒諸君には海洋高校で勉強しているのですから他の高校生とは一味違う海と船の理解者であって欲しいと力説しました。
具体的に我々の衣食住、生活を支えるエネルギーが如何に遠い海外から運ばれて来たものであるのか、其れには海と船が切っても切れない関係にある事を少しでも理解して戴ければと願いつつ外国で見たり聞いたりした、変わった話を交えながら講演しました。
海と船に付いてはとかく忘れられ勝ちな世相では有りますが船長協会の働きが今後とも益々発展される事を祈念しております。

男鹿海洋高校校門 齊藤校長先生挨拶
松野船長の講演 講演を聞く生徒達
森本会長の講演 生徒からの質問
生徒代表からのお礼の言葉 船長協会から記念品の贈呈

秋田県立男鹿海洋高等学校生徒達の感想文

生徒達の作文////


LastUpDate: 2024-Apr-17