IFSMA便り NO.31

I F S M A の名誉会員

 名誉会員と呼ばれる人たちがいる。IFSMAにももちろんいる。一般に名誉会員とは特定の機構や組織・団体において正規の会員ないし構成員のうち功績ないし業績の優れた者、または正規の会員・構成員ではないが、功績著しい者に贈られる称号となっている。 IFSMA の場合は、伝統的にIMO の事務局長、歴代のIFSMA 会長、事務局長、また海事社会での功績著しい人を名誉会員として推戴している。昨年11月に亡くなられた川島裕船長も第四代のIFSMA 会長として名誉会員であった。また日本船主協会の常務理事であった吉永彦爾船長は川島会長をよく補佐してIFSMA の運営に功績があったとして名誉会員となっている。IFSMA には現在4 ヶ国、8 名の名誉会員がいる。
 9 月の末にロンドンで開催された理事会に合わせて初めて理事会メンバーと名誉会員の懇親昼食会が催された。これは名誉会員を単なるお飾りとして扱うのではなく、その豊かな経験や深い学識を以って大所高所からIFSMA の針路や運営について親しく意見を伺おうと計画されたものである。予定していたレストランの個室がやむを得ぬ事情で取れなくなり、写真で見るように大きなサロンで一般客との相席の賑やかな昼食会となったが、こうしたざっくばらんな雰囲気もまた良いものであった。
 昼食会には關水IMO 事務局長を始めとする三代の事務局長のほか3 人の名誉会員、すなわち6 名の名誉会員に出席して戴く事が出来たいずれも英国のみならず世界の海事社会での著名人なので、今回はこの名誉会員を紹介してみたい。どのような人たちが海運・海事社会の一角をリードしているのかわかって戴けるのではないかと思う。

 

關水康司氏 IMO 事務局長

 關水康司氏については、本誌第404号(平成23年8 ・9 月号)で紹介したところであるが、もう一度紹介したい。氏は1977年に大阪大学大学院工学研究科で修士号を得て、同年運輸省(現: 国土交通省)に技官として入省したが、最初の任地は長崎で船舶検査官で あった。2 年後には本省に異動し、IMO 関連業務に携わり、その後1989年IMO に派遣、 1993年にはIMO に移籍して要職を歴任し、順調に昇進し2012年1 月には選挙により第七代のIMO 事務局長に就任した。任期は4 年である。まさに日本にとって快挙であり、旧運輸省の20年来の悲願の達成である。国連専門機関トップとしては2009年に退任した国連教育科学文化機関(ユネスコ)の松浦晃一郎前事務局長以来の日本人で、現職ではただ一人である。
  関水氏の専攻は造船であるが海事分野において幅広く豊富な専門知識を有し、船員問題や航海技術についても詳しい。最近では、ソマリア沖海賊対策で手腕を発揮されているが、マラッカ・シンガポール海峡の海賊対策にも古くから関わっていた。
  IMO の業務もこれまでの技術的な問題に加え、海賊対策、温室効果ガス対策、船舶のリサイクルなど一筋縄ではいかない政治的な問題が山積している。関水氏のリーダーシップに大きな期待が掛かっている。
  事務局に就任してからIMO 事務局の改革、 IMO 機構の改革―小委員会の削減などをリードし、また「将来の船舶安全に関するシンポジウム」0Future of Ship Safety 0を発案しこれを成功裡に導き、9 月26日の「世界海の記念日に、同記念日のテーマである「持続可能な開発: リオ+20以降のIMO の貢献 (Sustainable Development : IMO’s contribution beyond Rio+20)」を反映し、持続可能な交通システム(Sustainable Maritime Transportation System)に関するシンポジウムを開催するなど着々と成果を挙げている。海運や造船、海事社会がこれまでにない難局に直面するにあたり、各国がもっとも信頼出来る人物にIMO の将来を委ねたのは賢明な選択であったと思う。
  10月26日の神戸大学海事科学部創立10周年記念式典には基調講演者として招かれ、” Sustainable Maritime Transportation System” と題して講演されるので、出席される会員も多いこととおもう。

 

 

 Mr E.E.Mitropoulos IMO 第六代事務局長

 初めてミトロプーロスと言う名前を聞いた時、すぐにニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団を率いて、ストコフスキーと並んで戦後のアメリカ楽壇に君臨したマエストロを連想した。しかし同氏とは直接の関係はないとのことである。Mitoropoulos 氏は關水氏の前任者である。2004年から2011年まで事務局長の職に在った。ギリシャのピレウス出身である。
船乗りの家系で親類縁者に多くの船乗りが居り、それをとても誇りにしている。同氏も船乗りである。商船学校と海軍アカデミーで学び、商船士官としてスタートを切った。その後ギリシャ・コースト・ガードの士官となったが、海運経済をイタリアで、さらに英国で海技技術を学んだ。ギリシャの商船省の代表として長くIMO 会議に出席し、また国連海洋法条約会議にも出席している。また2 年間ほどギリシャ北西部の有名な観光地、コルフ島の港の港長も務めている。
 1979年にIMO の事務局員として移籍した。主として海上安全部で活躍し、1992年には海上安全部長、2000年に事務局次長、そして 2004年から2 期8 年間事務局長を務めた。筆者がIMO 会議に出席していた時は毎月のように檀上で巧みに会議を取り仕切るのを見ていた。とにかく弁の立つ人で、さすがロゴスの国、ギリシャ出身だと感心したものだ。 Mitoropoulos 氏はギリシャ・コースト・ガードのアドミラルでもある。

 

 

Mr William O’ Neil IMO 第五代事務局長

 彼は後任の事務局長のように事務局育ちではなく、カナダの代表として1972年に初めて IMO 会議に出席した。1979年にはIMO 理事そこで上級幹部となった。セント・ローレンス・シーウェイと聞くと三等航海士の頃に乗船した五大湖航路、その苛酷な運河通航の経験と目の覚めるような美しい水路や湖上の 美しい島々を懐かしく思い出し、O’ Neil 事務局長に親しみを覚えたものだ。
 MR O’ Neil は1990年から2003年まで事務局長を務めたのだが、この14年間はIMO の発展期であったのではないだろうか。この時代にIMO の加盟国も増え、また民間や政府関連の諮問機関も大幅に増加し、多方面の専門家が会議に出席するようになった。この時代にはバルカーの事故が相次いだが、総会において事務局長自身がバルカーの安全対策に関する決議案を提出し、その後の有効な安全対策構築への道筋を付けた。その他Ro-Ro 旅客船の安全対策、巨大客船安全対策の研究、海難事故の人的要因に関する重点的な審議、 2001年9 月11日の米国同時多発テロ事件を受けてのISPS コードの採択も彼の功績であろう。
またSTCW 条約は1995年に抜本的な見 直しがなされ、現在の実際的な能力をベースとして、その教育や訓練の有効性、資格授与のシステムの透明性などが容易に検証出来るような条約となったのも彼の時代のことである。
 第四代の事務局長であったインドのDr C P Srivastava もIFSMA の名誉会員であり、 6 月末に今回の昼食会の招待状を送ったが体調不良で出席出来ないとの返事を受け取って、それからまもなくの7月22日に93歳で亡くなった。Dr Srivastava は16年も事務局長の座にあり、まさにIMO の基礎を作った人である。会議では各国の利害が激しく対立し、収拾がつかなくなるのではないかと思われる時、事務局長自ら発言し、IMO Spirit  Spirit of Compromise ‐ をどうか今一度思い出して欲しい、人類の共通の目的、0海上の安全と海洋環境の保護0の為に小異を捨てて大同につくようにと懇々と訴え、条約案をまとめた姿を思い出す。

 

Mr Michael Grey 海事ジャーナリスト

 Mr Grey についてはこの欄で紹介したことがあるが、船員歴約12年で遠洋の船長免状を所持している。船を下りたのち最初に英国の船主協会で働き、その後ジャーナリズムの世界に移り、Lloyd’ s List の編集者を長らく務めた。Lloyd’ s List を退社後はフリーのコラムニスト/ ライターとして、多数の著書やコラムを発表し海事社会に大きな影響力を持っている。現在もLloyd’ s List に定期的に寄稿しており、その船員の立場に立ったバランスの取れた記事はいつも読みごたえがある。最近も” The next generation” と題して英国船主協会会長のスピーチをベースに船員養成の重要性、職員と部員との連携の強化などを提案していたが、傾聴に値するものであった。

 

 

Mr Julian Parker Nautical Institute

 Mr Parker は日本には馴染みが少ないが、英国の海事社会では有名人である。NauticalInstitute( 以下NI)の初代の専務理事として約30年間にわたり、NI の土台を築き、発展させてきた功労者である。Nautical Instituteは海事関係に関わる職業をもつ人々の声を代弁する機関として、今日およそ世界50ヶ国に支部をもち、約6500人の会員がいる。現在の会長はインド人の船長である。主な活動は海事関連のセミナーやワークショップの開催、技術図書などの出版事業、IMO への参加、機関誌“Seaways” の発効、通信教育など多彩である。日本には正式な支部ではないが、神戸大学海事科学部の古荘教授が日本支部の代表者となっている。
 Mr Parker は1958年にBrue Funnel の練習生として海上履歴をスタートし、1967年には船長免状を取得した。その間にも勉強をつづけ、航海学で学士号をとり、オーシャン・グループの訓練担当マネジャーになった。そして1973年に当時結成されたばかりのNI に事務局員として派遣され、以後2001年に部分的に退職するまでその職にとどまった。英国の一海事団体に過ぎなかったNI を世界的な海事団体に育て上げたのはひとえに彼の功績である。英国王室はそんな彼の功績を称え、数年前にOBE(Officer of British Empire 4 等勲爵士と訳している書もある)を授与した。温厚な人柄で穏やかな立ち居振る舞いは英国紳士のイメージそのものである。

 

 

Capt Rodger MacDonald 前IFSMA事務局長

 現在のIFSMA の事務局長、Capt John Dickie の前任者で2012年に退任した。
 Capt MacDonald は1959年に海上履歴をスタートした。1971年には船長に昇進したが、その後陸上勤務を命ぜられ、主としてニュージーランドやオーストラリアでオフショア事業に関わった。そのかたわら海事教育訓練に関わって来て、1996年には英国のNorth West Kent College のNational Sea Training Centre のダイレクターとなった。そして2002年にIFSMA の事務局長として就任した。現在も状況は変わっていないが、彼の事務局長時代もIFSMA は常に厳しい状況下にあった。IMO を始めとする海事社会からの期待や要請は常に強く、船長団体として発言すべき場面も行動を要する機会も数多くあるが、何しろ人も金もままならない。そのような状況下で、彼は自分の時間を割いて、時には自分のポケットマネーで交通費を支弁しセミナーに参加するなどIFSMA の存在感を維持してきたのである。
 昼食会に出席したIFSMA のメンバーは会長のCapt C.Lindvall(スウェーデン), 副会長のCapt J.Benyo(米国), Capt.M.Castro(アルゼンチン), Capt.H.Sande(ノルウェー), Capt. M.van Den Broek(オランダ), Capt.W.Wittig(ドイツ)それに筆者である。そして事務局のCapt.J.Dickie, Capt. P.Owen, Mrs R.Howlett であった。
 会場がオープンスペースでもあったため、スピーチは最小限にして、あとはアットホームな雰囲気でワイワイガヤガヤと賑やかであった。コーヒーが出る前から席を移ったりして談論風発、こうした昼食会としては珍しい雰囲気となった。
 名誉会員が一様に口にしたのは、IFSMAへの敬意とIMO を始めとする海事社会からの期待であった。海事社会における船長の重要性はIMO の条約に、規則に、ガイドラインにこれでもかこれでもかと書き込まれている。船長が動かなければ何事も動かない。海上の安全や海洋環境の保護のために船長の義務や権限や責任を審議するIMO にはこれまで以上に積極的に参加し、発言し提案して欲しいとの強い要請も聞かれた。IFSMA のスローガンである” Unity for Safety at Sea”はIMO の理念でもある。中立で何者にも縛られない船長団体であるIFSMA こそIMOで活躍すべきだ、とのIFSMA に対する激励も奮起を促す声もあった。人的にも財政的にも十分とは言えないIFSMA であるが、役員一同さらに努力すること誓う昼食会でもあった。

 

 

(一社)日本船長協会 副会長 赤塚宏一

 


LastUpDate:2017-11-06