IFSMA便り NO.35

運輸委員会報告書

 いささか旧聞に属するが、3 月26日付けのLloyd’s List に「英国はさらなる船員を必要とする」という記事があった。これは英国下院の超党派の議員11名からなる運輸委員会が英国政府に警告を発したもので、多くの産業分野の中で多分もっともグローバル化された産業である海運業において、政府が英国船員を増やすために有効な政策をとらない限り、英国の船社は海外へ移籍せざるを得ないであろうとしている。そして国際的な海運センターとしての地位も、かつてはロンドンは圧倒的な優位を誇ってきたが、近年はシンガポール、中国、香港そしてドバイに後れをとっている、と指摘している。
 同日発表された下院の運輸委員会の報告書は船員問題のほかに英国沿岸警備庁 (Maritimeand Coast Guard Agency)の予算をこれ以上とする」という記事があった。これは英国下院の超党派の議員11名からなる運輸委員会が英国政府に警告を発したもので、多くの産業分野の中で多分もっともグローバル化された産業である海運業において、政府が英国船員を増やすために有効な政策をとらない限り、英国の船社は海外へ移籍せざるを得ないであろうとしている。そして国際的な海運センターとしての地位も、かつてはロンドンは圧倒的な優位を誇ってきたが、近年はシンガポール、中国、香港そしてドバイに後れをとっている、と指摘している。削減すれば、旗国として、あるいは寄港国としての義務を果たすのは困難になるであろうとし、また海難調査委員会(Maritime Accident Investigation Branch)の能力も大幅に低下するであろうと警告している。ここでは船員問題に絞って、こうした警告の発せられた背景などについて調べてみたい。
 この報告書は本文31ページ、関係者のヒヤリング等の資料56ページという結構な量である。さらに報告書には載らなかったが、報告書作成のための資料がインターネットに公表されている。この報告書のタイトルは“Forging ahead?: UK shipping strategy” というもので「英国の海運戦略は着実に進んでいるのか?」と訳すのであろうか。これは2013年9月9 日に発表された政府の海運に関する戦略の効果を検証したものである。その戦略とは三つの大きなゴールがある。
◆英国を世界的に競争力のある海上貿易を振興する海運のセンターとしての地位を占めるように促進すること
◆有能な人材をベースにした英国の活発な海事産業を支えるシステムを構築すること
◆英国の海運が安全、安定そして環境保護に責任もつ産業であることを確保すること
 この二点目の「有能な人材をベースに~」と言うところが、海事産業をソフトパワーを主力として支えてきた英国らしい。
 この戦略にたいして、運輸委員会はどのような評価を下したのであろうか。
 まず報告書は「英国は海洋立国である」という文言から始まる。そして「我々の政治的、軍事的そして海運の歴史はいかにして英国の船舶と船員が英国を取り巻く世界の海を支配してきたかにかかってきた。」と続く。委員会の議長であるルイーズ・エルマン女史は「英国は海運について世界的に競争力のある場所に位置している。英国の海事産業は依然として世界一であり海事分野は88億ポンド(約1 兆4600億円)から118億ポンド( 2 兆1240億円)を稼ぎ、21万4 千人を雇用している」と述べている。
 政府の海運戦略そのものは、正しい方向性を示しているが、それを裏付ける確たる政策を示していない。英国籍船隊の規模は英国の海事産業の強さと直接的に結びついている。2000年のトン数標準税制導入以来英国籍船隊は最近の不況までは順調に伸びてきた。2009年には100GT 以上の英国船が731隻あったのが、2013年の始めには675隻と減少している。政府は質の高い船舶のみを英国籍として受け入れるとしているが、具体的にどのような施策を打つのか明確ではない。運輸委員会は政府に対して、再び船隊増加の政策を立案し、英国の海事センターが世界の海事センターとなるような道筋を示すべきだとしている。
 特に船員問題については、2011年に10年以内に船機長、航海士/機関士が英国の海事産業が必要とする規模より5000人足らなくなると予測された。陸上で必要とされる船員経験者は現在1100人程度不足しており、2021年にはそれが1600人になると予測されている。もしこの予測が現なると、必要な人材を埋めるために外国人船員を雇用するか海事関連の雇用と事業を海外に移転せざるを得ない。このことは英国の移民政策にも影響を及ぼす。
 運輸委員会はこの不足を埋めるために政府は海上職員の養成について2021年までに具体的な施策を実施し成果を挙げねばならない、としている。それにはトン数標準税制、SMaRT(Support for Maritime Training 船員訓練費補助)とアプレンティス制度の活用をしなければならない、としている。
 ここで少しおさらいをしておこう。

トン数標準税制(Tonnage Tax)

 海運にかかる所得税につき、1 年間の所得金額に課税される法人税に代替して適用し得る外形標準課税。1996年にオランダとノルウェーが導入。引き続いて、1999年にドイツ、2000年に英国、2001年にデンマークが導入した。さらに、2003年にベルギーとフランスが導入している。英国のトン数標準税制は船員養成の義務が付随している。すなわち船舶職員15人に一人の割合で練習生を採用しなければならない。これが英国船員養成の主たるエンジンとなっている。2012年に新たに採用された練習生は903人と推定されている。

船員訓練費補助 SMaRT(Support for Maritime Training)

 この制度は1998年に英国政府が発表した海運白書‘Charting a New Course’ に基づいて創設されたもので、英国船員養成の増強を目的とし、英国船員を養成しようとする会社や団体に財政的な支援を行うものである。
 これは実際の訓練費の約50%程度を補助するもので、学生や教育機関ではなく船員希望者を練習生として採用し、スポンサーとなる船会社などに支払われる。現在このSMaRTには三つのコースがある。練習生が最初の海技資格証書を取得するためのコース、部員が甲板当直者となるためのコース、そして部員が職員になるための海技資格取得のためのコースである。そのほかECDIS の訓練の為に支払われる補助金もある。

アプレンティス制度

 英国においては職業訓練システムとしてアプレンティス制度があるが、このうちの中級及び上級職業訓練については、海上職にも適用される。上級職アプレンティス制度を終えた者は甲板もしくは機関部の専門部員として格付けされ、さらに2 年間の訓練とその評価によっては船舶職員になることが可能である。しかしこの制度はSTCW 条約との関連もあり問題を含んでいるようだし、実際にどのように運営されているのか今一つ判りにくい。
 しかし、これらの施策がどれだけ予想される深刻な船員不足を解消できるのか不透明である。要は政府が船員不足問題にたいしてどれだけ真剣に取り組むかである。まず取り掛かるべきは、トン数標準税制の下に訓練され海技資格を得た練習生が実際にどれだけ船舶職員として雇用されたのか、途中でドロップアウトしたのは何人か、またその理由は何か、正確な調査と統計が必要である。こうした調査と統計があってはじめて有効な船員養成が行われ、政府の支出が活用されると述べている。同時にこのようなデータを作成するのにも個人情報保護法が障碍となっている点も指摘されている。
 政府の戦略は響きのよい言葉で飾られた政策を打ち出すのではなく、いかに実効のある政策を実施するかにかかっている。そのためには政府は労使双方と議論を尽くし、政策の枠組みを決め、必要な行動をとる必要がある。この報告書ではan explicit commitment(明確な方針を打ち出す)という言葉が再三出てくる。一言でいえば英国の海事戦略を実現するために政府はan explicit commitment をせよ、に尽きるだろう。
 野党である労働党の海運に関するスポークスマンであるゴードン・マースデン氏はこう述べている。「鋭い警鐘ともいうべきこの委員会の報告書は、どのようにして再び英国船隊の拡充をはかり、良く訓練された英国船員の不足という問題に対処するのか、政府に対して具体的な方策を示すよう求めている。我々は産業界、組合そして政府が協働して、この重要な産業を振興し、新たな雇用と船員養成のためのアプレンティス制度を創設することを要請したい。この海事産業に関する戦略を立てたことは順調な滑り出しであるが、これを実施に移さねばならない。平面的な、2 次元のアプローチではなく3 次元のアプローチとして骨組みに肉付けをしていかねばならない。とりわけ重要なのは船員の養成と技術の向上である。」

英国労使の反応

 英国船主もまたこの運輸委員会の報告書を歓迎している。英国船主協会の理事長であるガイ・プラッテン氏は英国海運界はこの報告書で示された委員会の懸念を共有している。国際市場において人件費の面で競争力に問題があるとしても、優秀な技術力をもった船員は英国経済にとって欠かせないものである、と言っている。彼は「我々は英国がもっとも優秀な船員を輩出していることを知っている。彼らの多くはいずれ陸上にて勤務し、海上で彼らが培った技術と知見をもって海事産業という活気に満ちた分野でロンドンのシティや英国全土の港湾都市で活躍するのだ。」と言っている。
 政府は、既に船員訓練費補助の予算を25%引き上げ、研修コースを向上させたが、政府による財政支援はより柔軟に需要に対応するべきであり、船員養成の需要が増加した際に備え、300万ポンド(約5.2億円)を現予算1500万ポンド(約25.8億円)に追加するべきだと述べている。
 労組はどのような反応を示しているのであろうか。まず職員組合であるNautilus International の書記長であるマーク・ディキンソン氏は「これは良く出来た報告書である。我々が文書及び口頭で委員会に指摘した事項について取り組みを始めている。運輸委員会のメンバーである議員たちは響きのよい言葉で飾られた政府の海運戦略を肉付けするには何が必要なのかを理解し始めている。それは目に見える形での船員養成と雇用の目標であり、それらは必要な職員と十分な予算をもった規制当局である英国沿岸警備庁と海難調査委員会のバックアップが必要である。」と言っている。Nautilus International はその機関誌“Telegraph” の4 月号に本件についてタブロイド判の丸々1 ページを使ってこの報告書の紹介と解説を行なっている。
 部員の組合であるRMT(National Union of Rail, Maritime and Transport Workers鉄道・船員・交通労働者全国組合)は、この報告書を歓迎するものの、船員数の減少を食い止め、逆転する具体的な勧告がなされていないことに失望している。英国の船員数は2013年には職部員あわせて22,830人と前年と比較して5 %も減少しているが、これは英国の雇用均等法の不公平な適用の結果だと指摘している。
 注:英国の船員数の推定はなかなか難しいが2012年には職員10,930人、部員9,330人、合計20,260人という数字もある。後述“Maritime Career Path Mapping 2013 Update”

欧州の動向

 一方欧州全域については、今年の始めに “Maritime Career Path Mapping 2013 Update” と称する報告書が発表された。これはEuropean Community Shipowners’ Association (ECSA 欧州船主協会)とEuropean Transport Workers’ Federation(ETF 欧州運輸労連)が発表したもので、EU 委員会から財政的 な援助を得て作成された。この報告書は2005年に発表された“The Mapping of career paths in the maritime industries” の更新版 である。2005年度版と同じく英国を含め10ヶ国、デンマーク、ドイツ、ギリシャ、イタリー、 ラトヴィア、オランダ、ポーランド、スペイン、 スウェーデンの国別レポートも掲載されている。 さらに“New National Career Path Reports And Maps” としてベルギー、フランス、ノルウェー、そしてルーマニアが付け加えられている。船員養成とその後のキャリア・パスについて調査した欧州船員の包括的な報告書で分量は90ページ近くある。この報告書を読むと欧州の船員養成の原動力はやはり国家補助とトン数標準税制にあるようである。この報告書は船員養成の方法や支援法などの実際や具体的な勧告がなされており、興味深いが、いずれ稿を改めて紹介したいと思う。
 余談ながら、5 月22日付のFairplay によるとギリシャでは2010年の大規模な経済危機の後、船員志望者が大幅に増えたという。現在国内には船舶職員養成機関が10校あり、その定員は1,300人から1,400人だそうだが、このところ教育機関への応募者は年間5,000人に達しており、競争は厳しい。しかしこの志望者増もギリシャ経済の回復とともに減少するのは確実なので、おいそれと教育機関の定員を増やすわけにもいかない。ギリシャ海運が必要とする船員数は陸上勤務の船員も含め
て、毎年2,500人程度と試算されている。やはり経済の好不況にかかわらず一定数の船員志望者を確保するような地道な努力が必要とされている。

その他の海洋産業

 英国では海洋・オフショア産業でも熟練した労働者や技術者が大幅に不足しているとの報告書が発表され、大きな懸念を呼び起こしている。こうした技術者を教育する大学当局者はこれは政治家の「海に関する無知(Sea Blindness)」がもたらしたものであると非難している。
 この報告書はInstitute of Marine Engineering, Science and Technology (IMar-EST 英国マリンエンジニアリング学会もしくは英国舶用機関学会の訳語がある)と技術者の職業紹介法人であるMatchtech が発表したもので、彼らは軍需・造船・掘削産業かに大きなマイナスの影響を及ぼすであろうと懸念している。詳細は省くが、英国にとって海事・海運・海洋産業における人材不足は深刻であり、官労使にとって人材の養成は喫緊の課題であるようだ。
 こうして見てくると、英国のみならず欧州では、海事・海洋関係者は人材養成/確保に真っ向から取り組んでいるようある。
 我が国はいかがであろうか。これまでは日本船社をはじめ多くの関係者の努力でフィリッピンを始めとする外国人船員の養成は順調に進んできたが、海洋立国日本の視点から海事・海洋産業を眺めると別の風景が見えるのではないか。有事における日本船舶と船員についての議論を蒸し返すつもりはないが、戦後日本の存在自体を規定しきた国際政治”軍事バランスや日本がよって立つ経済構造”が大きく変動しようとする兆しを見せている現在、改めて海事・海洋産業の在り方を見つめる必要があるのではないだろうか。

参考資料

“Forging ahead?: UK shipping strategy”
“Maritime Career Path Mapping 2013 Update”
日本船主協会 海運用語辞典
Lloydシs List
Nautilus International “telegraph”
「海事交通研究」”2007年 第56集”「キャリア船員の重要性とキャリア・パス・スキームに関する一考察」赤塚宏一・井上欣三


LastUpDate:2017-11-06