IFSMA便り NO.48

沈黙は金ならず ~Silence is Not Golden~

(一社)日本船長協会 副会長 赤塚 宏一

 

 昔から雄弁は銀、 沈黙は金と言われる が、船の世界ではそ うではないらしい。 近着の海事関連雑誌 “Pacific Maritime Magazin e” に “Silenceis Not Golden” という記事があった。このタイトル は“Speech is silver, silence is golden” から 来ていることは明らかで、日本では「雄弁は 銀、沈黙は金」である。この言葉はイギリス の思想家・歴史家のトーマス・カーライルの 『衣装哲学』にある言葉で、「沈黙」を、銀よ りも高価な金に例えて言ったもので、よどみ なく話せることも大事だが、黙るべき時を知 ることは、もっと大事だということと注釈が ある。この説には異論もあってこの言葉が書 かれた当時、銀は金よりも価値があったため、 雄弁は沈黙にまさるという解釈もあるのは面 白い。
 しかし、ユダヤのことわざに“If a word be worth one shekel, silence is worth two” 「一言が1 シェケルの価値があるなら、無言 は2 シェケルの価値がある」(シェケルは古 代メソポタミアの通貨、現在はイスラエルの 通貨)というのがあることから、沈黙が雄弁 に勝るというのは欧米の通念でもあるのだろ う。この記事によるとアメリカの多くの小学 校では先生が黒板横に“沈黙は金” と書いた ポスターを張っている。これは生徒にクラス ルームに入ったら「静かにしなさい」という メッセージだそうだ。
 本題に入る前にこのP a c i f i c M a r i t i m e Magazine について少し紹介しておこう。
 これは米国西岸の海事社会を対象とした月 刊誌で主に船社や各種船舶の運航業者、港湾 局やターミナルオペレーター、造船、舶用工 業関係者を購読者としているようである。い つ頃から購読し始めたのか覚えていないが、 A 4 版で上質の紙に多数の船の写真を載せた 美しい雑誌で見ているだけでも楽しい。
 さて、この雑誌の7 月号の“Silence is Not Golden” という記事の筆者はMarilyn Raia という女性弁護士で カリフォルニア大学 の出身、サンフラン シスコの法律事務所 に勤務していて、ア メリカ海事法の専門 家として認定されている。
 この記事を読んでみると船内における船員 の傷病事件の判例である。在来貨物船が華や かなりしころは、米国や豪州の港で船内荷役 作業員の人身傷害事故が多発し、本船側の堪 航性がないとの理由で巨額の賠償を求める訴 訟が相次いだ。そのため船社もこうした訴訟 の判例集を本船に配り、事故対応に遺漏なき を期したものである。航海士も荷役当直で デッキに立つときは荷役装置の作動状況に留 意し、荷役作業員の動きにも目を配ったもの である。
 しかし、この記事にあるのは船員と対船社 の訴訟である。これらの判例は特に目新しい ものでもないが、こうした判例から読み取れ るものは船乗りとしての基本的な心構えを示 しているとも思われるので紹介することとし た。記事の筆者は一旦乗船すれば“沈黙は金” などという格言は記憶の奥に閉じ込め、言う べきことは言わないと訴訟において大変不利 な結果となるであろう、と警告している。こ のことは船員の問題だけではなく、本船に とってもまた会社にとっても必要なことと思 われる。
 本稿を書いていて、いまさらながら驚いた のはインターネットの可能性である。この記 事は細かい字で書いてあるが、A 4 版2 ペー ジなので、判例もほんの要約でしかなく、裁 判の詳細がわからないことがあったが、ネッ トで検索すると50年も前の判決文が読めるこ とがあった。例えば4 . 項の判例で燃料移送 用のホースの重さが71ポンド(28.3kg)とあ るが、もう少し重いのではないかとネットで 調べたら、判決文にはやはり71ポンドと出て いる。
 この検索機能の拡充ぶりは学術研究におい ても大きな変化をもたらしたものと思われる。 国際法の権威のある先生が、最近の若い研究 者や学生はネットで思いもよらぬ貴重な文献 や資料を掘り出してくる、インターネットの 活用に劣る老大家は苦しくなってきたと半ば 当惑しつつも嬉しそうに話しておられたのを 思い出す。
これまでの法廷物と呼ばれるサスペンスで は弁護士やその助手が必死になって古い判例 を探し出そうとする場面がよくあったが、最 近はその風景も変わったことであろう。

 

1.船員M対米船社(1968年)

 これは雇用契約締結前の健康診断について 持病を申告しなかったケースである。このた め船員Mは既往症に関連する傷病について療 養給付金を受ける権利を剥奪されたものであ る。
 船員Mは健康診断を担当したアメリカ公衆 衛生局の医師に糖尿病の持病があり、毎日イ ンスリンの注射と厳格な食事療法が必要であ ることを告げなかった。この糖尿病は過去20 年間、船員として乗船勤務を行うことに支障 はなかった。船員Mは就職願書にこれまで負 傷したことはなく、病気もないし、背中の痛 みの他特段の支障もないと記入した。彼は雇 用契約を結ぶことが出来た。
 中東への航海中、暑いギャレーで働く船員 Mは物が二重に見えるようになってきた。航 海の途中、インドで2 度ほど手当を受けたが 病状好転せず、航海終了後テキサスにある公 衆衛生局の病院に入院し糖尿病と慢性貧血の 治療を受けることとなった。
 船員Mは船主に対し、治療中の療養給付金 (住居手当及び食糧費)の支払いを求めて訴 えた。しかし地方裁判所の判決は船主にとっ て有利なものであった。すなわち船員Mは故 意に既往症である糖尿病を患っている事実を 告知しなかったことを以って給付金の支払い 義務を除外したのである。
 船員Mは就職願書にある負傷、病気あるい は障害があるかとの質問は糖尿病の症状があ ることを記入する必要があるか否かを必ずし も明確に示したものではないと主張したが法 廷はこれを却下した。
 また船員Mは健康診断を行った医師はたと え糖尿病が持病であることを告知しても多分 雇用はされたであろうと証言したと主張した。 法廷はこの主張も同様に却下した。健康診断 を行った医師には船員Mの糖尿病が完全にコ ントロールされており、これまでの航海でも 何らの問題も生じなかったと証言するのには 十分な証拠を持っていないと認めたのである。
 法廷は船主が船員に対して、雇用契約を締 結するにあたり健康診断書を要求した場合、 船員が故意にあるいは失念して既往症や持病 など事実を告知しない場合、すなわち雇用契 約を締結するにあたり当然知らされるべき事 実を無視したので、この告知されなかった事 実に基づく傷病等に対し船員は船主による傷 病補償は得られないと裁定したのである。
 このケースの場合は“Silence is Not Golden” というより、“Honesty is the best policy” 「正直は最上の方策」の方が当たってい るようだ。

 

2.船員G対バージ会社(2015年)

 乗船中、業務を行うにあたり当然必要とさ れる助けを要請しなかった結果、人身事故に 基づく怪我の補償がされなかったケースであ る。
 運河バージのコックである船員Gは甲板員 とともに食糧の積み込みに従事していた。甲 板員が肉を詰めた大きな箱を冷蔵庫の3 ~ 4 フィート手前に置いたため、船員Gはそれを 冷蔵庫に入れようと持ち上げようとした時に 受傷(ぎっくり腰?)した。船員Gはその箱 が60~80ポンド(27.2kg~36.2kg)ぐらいの 重さがあるだろうと思った。また会社の規定 では一人で持ち上げる荷物の重量は50ポンド (22.7kg)までであることを承知していたが、 近くにいた甲板員の助けを求めることなく一 人で持ち上げようとして受傷したのである。
 船員Gはバージ会社をジョーンズ・アクト(注) の下、本船は堪航性に欠けるとして訴え、傷 病による補償をもとめたのである。
 船員Gは作業場所が明らかに安全性に欠け ていたと申し立てた。また彼はその運河バー ジが堪航性に欠けていた理由として安全な作 業手順が確立されていなかったこと、船主が コックに食糧の積み下ろし作業に際しての安 全に関するガイドラインを策定していなかっ たことを指摘し、作業方法を現場任せにして いたと主張した。
 バージ会社はこの訴えに対して部分的略式 判決手続きを求めた。すなわち会社は船員G は堪航性の無さや会社の怠慢を立証すること は出来ない、なぜならば会社は再三にわたり 船員Gに訓練を施し食糧積み下ろしの作業基 準を設定し、このことは本人がよく承知して いるが、これを無視したに過ぎないと主張し た。地方裁判所はこの動議を認め、会社に有 利な部分的略式判決を下した。その理由は 「船員は、このような環境で働く際に通常の 船員に期待される技量と能力を以って注意深 く行動しなければならない」、そして事故が 原告自身のひとえに過誤によって起きたもの であれば、損害賠償を求めることは出来ない、 とした。
 船員Gは甲板員に助力を求めることを怠っ たことが、ジョーンズ・アクト上の堪航性欠 如を理由とするクレームを棄却され、船主の 無過失傷病補償のみが認められた。

 

3.船員D対コンテナ船社(1968年)

 船員は堪航性に欠ける状況に気づいたとき は適切な報告を怠るとその結果として負傷し たような場合、ある程度注意に欠けていたと され、補償が減額されるケースである。
 船員Dはキッチン・ヘルパーとしてコンテ ナ船に乗船していたが、事故当時は食器洗浄 機室で銀器を磨いていた。食器洗浄機室には カウンターがあり、その横には食器棚があっ た。食事時となると皿の運び屋が食器籠を 持って洗浄機室と調理場の間を何度も往復す る。食器洗浄機室は狭いところであるので、 たびたび食器籠が船員Dにぶつかることが あった。そして食器籠が船員Dの後ろ足にひ どく当たった時、皿の運び屋に文句を言った が、このことを船舶職員には報告しなかった。
 その後、船員Dは足の後部に嚢胞を生じ、 これを切除したあとギプスをはめた。しかし さらに下垂足となり、金属性の補装具を使わ ざるを得なくなった。彼は職場に復帰出来て 職務に特段の支障はなかったが、脚のしびれ を感じ、時に鋭い痛みの感覚、そして踵の痛 みで熟睡できなくなった。
 船員Dは医療補助を求め船社を訴えた。地 方裁判所は度々の皿の運び屋との衝突が“あ る程度” はこの傷病の原因であろうと認めた。 そして船員Dの損害を$14,700と認定したが、 その認定額の75%を減額するとした。理由は 船員Dが一度も船舶職員に作業環境について 苦情を申し立てず、またこの事故の報告をせ ず引続き業務に従事したからである。
 船員Dはこの減額について不当だとして上 訴した。彼はこのような職場環境で働くよう 指示されたもので、彼自身には部分的にも過 失があったとは言えない、と主張した。しか し第9 回巡回法廷は同意せず、地方裁判所の 判決を支持し船員Dは部分的に責任があるこ とをあらためて認定した。なぜならば度重な る脚への食器籠による衝突を経験しながら、 これを一度も上司に報告しなかったからであ る。

 

4.船員B対オフショア会社(2006年)

 船上における安全でない作業手順に気が付 きながらこれを報告しなかった場合、その作 業手順によって生じた傷病の補償は大きく減 額されることになりかねない。
 このケースはこの点をよく示している。船 員Bは経験豊富な機関士であり、本船の支援 要員として派遣された。彼は機関長の仕事を 手伝っている時に受傷した。この機関長は71 ポンド(28.3kg)ある燃油移送ホースを、そ の保管場所である主甲板の下の操舵機室から 主甲板にある燃料積込ステーションに移動し ようとした。機関長はラダーを降りて操舵機 室に入り、ホースにロープを括り付けそれを 引っ張ってラダーの上から3 番目のステップ に固定した。そしてホースを肩に掛けてラ ダーを登りながらホースを引っ張り上げた。 船員Bは主甲板から屈み込んでそのホースを 引っ張り上げようとして背中を痛めた。
 船員Bはホースをオン・デッキに引っ張り 上げる作業は危険であると考えたが、このこ とを機関長に指摘しなかったとともに他の安 全な方法を提案もしなかった。
 船員Bは背中を痛めたことでこのオフショ ア会社を訴えた。彼が申し立てたのは
(1)燃料移送用ホースを主甲板の下に保管 すべきではなかった。
(2)会社は機関長に適切な安全訓練を施さ なかった。
(3)ホースを引っ張り出す作業を行う前に 安全を確認するためのミーティングをす るべきであった。
そして
(4)作業手順は安全なものではなかった。

 この訴えに対し、地方裁判所は機関長が他 の安全な作業方法があったにも拘わらず、不 適切な作業方法で実施したことから、会社側 の過失と本船の不堪航性を認めた。しかし、 裁判所は船員Bにも40%相当の落ち度があっ たとしてその補償額の40%を減額した。その 理由は船員Bは「この作業方法が安全でない と思ったら、それを機関長に告げる義務が あった」と言うものである。
 これら4 件の判例を読むと、船員側にも大 きな義務が課せられているのが理解できる。 船内における安全でない慣行や適切でない作 業手順の指摘、作業前の安全確認のための ミーティングの実施、決められた基本的な作 業手順の履行、上司への報告などは最低限の 船員の義務である。乗組員全体が積極的に安 全向上に努力しなければならないことを示し ている。こうした船内の安全文化が船員自身 を守るとともに本船及び会社の利益につなが るようである。やはり“沈黙は金ならず” と いうことだろうか。船内ではうるさいと思わ れても積極的に声を上げることが必要のよう だ。
 文脈は少し異なるが、英国にはC H I R P (Confidential Hazardous Incident Reporting Programme)という組織があって、海上/ 船上の安全に関する“ヒヤリ・ハット” を匿 名で報告出来る制度があり、これらの事例を 集め毎月刊行している。
 またNautical Institute でもMariners’ Alerting and Reporting Scheme を実施し、 安全に関わる機密情報を公開して安全を促進 しようとしている。これらのレポーティング・ システムには“The lessons to be learnt” と いう欄が必ずあるが、経験に学ぶことは洋の 東西を問わず昔も今も非常に重要である。


注  ジョーンズ・アクト:米国のカボタージュ制度
 法で米国内の地点間の物品の輸送を行う船舶は米国船籍で、
  1 )米国人配乗、
  2 )米国人所有、
  3 )米国建造でなければならない。

 

 

 


LastUpDate:2017-09-25