IFSMA便り NO.53

The easy way out

(一社)日本船長協会 副会長 赤塚 宏一

 

 7 月末のLloyd’s ListにMichael Greyの“The easy way o u t” という記事が掲載された。
Michael Grey はこの「IFSMA 便り」でも何度も紹介したことのある英国の著名な海事問題のコメンテーターであり、筆者の知人でもある。“The easy way out” というタイトルだけでは内容まで想像がつかないが、これは深刻な船員の精神的健康問題を扱った記事である。6 月にThe Journal of International Maritime Health が“Seafarer’ s Depression and Suicide”(船員のうつ病と自殺)というReview Article(研究総説)を掲載し、ITF(国際運輸労連)がさらなる調査を要請したそうだが、これに触発されたMichael はこの記事を書いたようである。
船員の精神的健康問題については欧州などで多くの研究がなされ、日本でも少々古いが「長期航海における乗組員の精神健康状態および疲労感の変動」注1など優れた研究がある。 筆者はこうした問題に特に知識があるわけでもないが、重要な問題であることは間違いなく、こうした問題に関心を持つことは必要であろうと思い、Michael の記事を手掛かりに探ってみたい。

 

The easy way out

 Michael はこの記事をまずある船員の書いた詩からはじめる。この詩は英国のMarine Society が今から40年前に編んだ“Voices from the Sea” という詩集の入賞作品で、英国の伝統ある船社の一等航海士J.H. Agnewが書いたものでである。1970年代当時は船員の雇用契約は2 年が普通であり、彼の船も当分は故国へ帰れないという悲痛な状況である。
 My girl, my darling girl she weeps And sews her way through winter’ s night Praying for the spring of my return.
What ill-comfort do I bring her when I write Of places in the sun and people whom she’ll never meet and other girls.
Worst of all
The voyage that was soon to end has been extended
And must go on and on
And on.
How can I write and tell her that?


この詩のニュアンスを伝えるために和訳してみた。
長い冬の夜を 糸を編み、涙と共に過ごしつつ
春の訪れと私の帰りを待つ君
太陽の下に広がる景色と人々 彼女が決して出会うことのない女性たち
私が手紙に書くのは、こうした役に立たないなぐさめばかり
その上になお、近づいていた航海の終わりは遠ざかり、
長く長くつづくのだと、私は彼女に伝えねば―、
しかし、どうやって―どう書けばよいのか


 Michael は言う、この詩は船員の自殺という今では最も多い船員の死亡原因であり、しかもそれが増えつつあるという暗澹とした現実に思いを巡らすよすがとなるように思われる。
 現代の商船の状況はJohn Agnew がこの詩を書いた当時より悪化しているのであろうか。私(Michael)は彼が陸上勤務となってから出会った。それで私は長期間の三国航路によってもたらされた彼のうつは多分船内の気を許せる友達や同僚の気配り、開放的で友好的な船内の小さな社会が和らげただろうと理解できた。しかし当時は2 年の乗船契約が普通で航海は果てしなく続くのであった。 船員のなかには4 ケ月の契約の豪州航路に乗船したはずなのに予期しなかった航路の変更と乗船期間の延長は当然歓迎されるものではなかった。
 私(Michael)自身もそのような経験をしている。その船は老朽船で船員は誰も4 ヶ月で下船出来るという約束無しでは契約をしないという類の船であった。しかし4 ヶ月の航海のはずが延長につぐ延長で結果的に14ヶ月も故国を離れることとなった。私達の多くは独身で、自由気ままで面倒を見なければならない家族もないし恋人もいないのんきな身分だったが、今でも思い出すが可哀そうな次席二等機関士は新婚で、彼の生活は航海が長引くにつれ破綻していった。
 その当時はE-MAIL もない、スカイプも利用できないし、利用できる通信手段はカタツムリのようにまどろっこしい手紙しかない、そして彼の場合、代理店の通船で運ばれてくるその手紙は常に不幸なニュースに満ちていた。 彼には下船する術もない。航海の終わりに直ちに故郷へ連れて行ってくれる航空機も 飛んでいない。しかしその次席二等機関士は何とかそれを乗り切った。 それは多分に船内の同僚の励ましや気遣いであったろう。 彼はまもなく船乗りを辞めたと思う。
 この半世紀で船内生活は大きな変化を遂げた。 通信技術は飛躍的な進歩をとげ、即時にコミュニケーションが取れるようになった。 しかし、船内は多国籍乗組員となり、ごく少数の乗組員が広い船内で孤立している。仕事中あるいは休憩中でもあまり顔を合わすことの無い孤独な乗組員は当直以外の時間を閉ざされた個室の中でビデオやゲームなどのさまざまな電子機器に取り巻かれて過ごす。 私達は現代の船員がどのような環境でわびしさや孤独と戦っているかを知ることはあまりないのではないだろうか。私(Michael)が船員であった数十年前は孤独はあり得なかった。 それは船上における小さな社会はそれはそれなりに満たされたものであったからである。
 このJournal のReview Article はいくつかの課題を掲げている。その一つは船内で生活し労働することと精神的な苦痛もしくは不健康との関係を短期及び長期に調査することである。そして多国籍乗組員の数や構成との関係、また他の職業と比較して船員の自殺事故の多寡を知ることである。
 さらに、どのような支援方法が船員の精神的な疾患や自殺を減少させるのか、探っていく行くことである。これは極めて深刻な問題であり、誰が船員になるとしても私達はその健康を祈らずにはいられない。その意味でこのReview Article はきわめて重要なものである。
 多くの海事関係者に質問してみれば現代の船内生活環境と精神的健康との関連については皆がその相関性に同意するであろう。船員経験者ならば役付き部員や平部員のことを思い浮かべるだけで十分納得できるだろう。 彼らの多くはフィリッピン、インドあるいは中国から来て10ヵ月あるいは11ヵ月の乗船契約であり乗船期間が短縮される可能性はほとんどない。
 航海も半分を過ぎたころ、彼は故郷に残してきた家族に多くの問題が降りかかっていることを知る。 しかし彼にはそれらを解決する何の力も方法もない。 彼の上司である航海士や機関士は4 ヵ月の契約で次々と交代してしまう。 しかし彼は職場を離れるわけにはいかない、そしてその間に家庭の事情はますます悪化する。 巨大な本船に20人にも満たない乗組員しか居ない。 彼と同じ言語を話す数人の中にも心を許せる友人は居ない。 みじめな状況に押しつぶされそうになっている彼は仕事の上で十分な働きをしていないと上司や同僚に咎められ、いじめを受けるかも知れない。 彼が孤立し打ちひしがれているわずか数フィート先にはいつも海が待っている。 夜のデッキに出ればそこは生と死の境界であり、その境界は容易に飛び越せる。 それは彼の持っている全てのトラブルを解決するもっともイージーな方法だ(the easy way out)。
 これはあり得ないような大げさなドラマ化だろうか? あるいは海運界が目をそらそうとしている現実なのか? 私達は乗組員の数を増やし、混乗をやめ、船員の福利厚生に責任を持つ、あるいはカウンセラーを行う職員を任命するなどとの提案をすることも出来る。また現代ではアジア系の船員にすら不当と思えるような長期の乗船契約を半分に短縮すればというような議論も出来るだろう。多分海運界の実情を知らない研究者達はそのような結論を出すかもしれない。
 しかし、海運界は荷主や用船者が海上輸送に相応しく、こうした問題にも対応できるような応分の運賃を支払うと同意するまでは、このような問題に取り組み、改善のために動くことは出来ないであろう。そうして海運関係者が必要な行動をとるまでは、船員のうつ病と自殺という忌まわしい案件はつづくであろう、とMichael は結んでいる。
 多少省略や補足をしたがこれがMichael の言わんとしたところであると思う。このMichael の記事に対し、数日後オランダの港湾局の職員がLloydシs List に投稿していた。
 港湾業界としては船員の福利厚生にインパクトを与えるような貢献が出来る事は多くはないと思うが、市民として社会の一員として船員の福利厚生には責任を持つべきであるし、とりわけMichael が書いた最後のパラグラフ、顧客は消費者も含めて海上輸送に対する適正な対価を支払うことこそもっともインパクトのある貢献であると心に刻んだ、とあった。

 

The Journal of International Maritime Health “Seafarer’s Depression and Suicide”

 このReview Article(研究総説)は2017年6 月27日付でオンラインで公表されたもので、I T F 船員トラストのMellbyeとNorwegian Centre for Maritime Medicine のCarter による共同執筆である。筆者の興味を惹いた箇所を紹介してみたい。
 まずこのReview Article ではこれまでの研究を概括するのだが、研究成果には相反した発表があることを指摘する。
 一つは船員の精神的健康は大まかに言って安定的でかつ肯定的な面があるとするものである。その代表的なものとして“The BIMC Oand ICS Manpower Report” を挙げている。 このManpower Report については本誌「月報Captain」第433号 平成28年6 月・7 月号に「BIMCO ICS グローバル船員需給調査」として書いたところである。この拙稿で も触れたが船員の海上生活における満足度について中国以外の船員は多くがHappyもしくはSatisfied としており、中国船員は大部分がSatisfied としていることを指している。 またフィリッピンの調査報告注2では5 年間にわたり39万人近い船員のうち1.7%の船員が何らかの問題で本国に送還されたが、そのうちの心因性もしくは精神的疾患で送還された者はわ ずか1.8%(120人)だという。精神的疾患で送還されたのは3,000に1 人という計算になる。 これからして船員という職業に精神的健康にかかわる特段のリスクはないという。
 一方陸上職と比較して船員の精神的健康問題の多さを指摘する調査報告はITF 船員トラストのレポート注3の他、数多い。
 職位についてはいわゆる船舶職員はその責任と仕事が多岐にわたることから職務上のストレスは著しく高いが、その一方乗船期間が相対的に短いことから結婚生活や家庭生活がより安定的であるとされている。
 遠洋航海にともなう社会的孤立と離家庭性については多くの調査報告が船員の精神的健康との関連を認めている。1976年から2002年までに海上での自殺とされた事案の87%は遠洋航海で発生していることがこれを裏付けている。
 多文化共存と多言語については船員の精神的健康に影響を及ぼす大きな要因と思われるが、これまでのところめぼしい研究成果はないとしている。日本では混乗船に関する多くの考察や研究がなされたと理解しているが、このReview Article の57項目にわたる参照文献には日本人の研究は1 件も見当たらない。 残念なことである。
 この種の調査の難しさも指摘している。従来の調査においては主として西欧出身の船員を対象とすれば事足りたが、1980年代に船員 の出身国構成が劇的に変化し、東南アジア、就中フィリッピン船員の比重が圧倒的に増加した。 それにともない船員という職業選択の理由も経済的な動機が強いものとなった。 とはいえ経済的なインセンティブだけでないのは当然でキャリアの柔軟性や仕事の有益性、あるいは安定性を求める志望者も多数いるが、こうした多様さが精神的健康にも関係するわけで、こうした船員のバックグラウンドを知らなければ調査は難しいし分析も出来ない。 また船員の精神的な健康状態を測るデータの入手することの困難さも挙げられる。 身体基準適正証明書は船員にとって生活に関わる問題であり、またプライバシーの問題もある。 アンケート調査を行うのも多言語に翻訳する必要もあり、世界の海を航海する船員からそれを回収するのもまた極めて困難である。 このような制約が多くあるため時として調査結果が相反する結果を生むこともある。
 結論としてこのReview Article は「船員のうつ病と自殺」に関する包括的な調査・研究の必要性を強調している。このような広範かつ包括的研究が、上述したような船員の精神的な健康に関する相反するような仮説を検証し、船内における職位、年齢、性別、遠洋・近海航路など就航航路、出身国など多くの要因を仕分けし、真に船員の利益となるような有効な施策を打ち出すことを可能とする、と力説している。


 UK P&I は「リスク・フォーカス:心の健康」で「船乗りの精神的健康~十分な関心が向けられているのか?」と疑問を呈し、次のような記事を載せている。 「2013年にスウォンジー大学(英国)が2001年から2005年までの期間を対象に実施した調査では、商船の乗組員の自殺率は全職業のなかで炭鉱夫に次いで多かったことが明らかになりました。国際海事機関(IMO)によれば、今日、国際航路の乗組員の自殺率は、陸上作業員の3 倍です。」注4 と述べている。 そして“Wellness at Sea”(航海中の健康)なるプログラムを提唱している。


注1  「長期航海における乗組員の精神健康状態および疲労感の変動」鎌田豊彦他、産業医学 32巻 1990年
注2  “Abaya AR et al. “Repatriation rates in Filipino seafarers: a five -year study of 6,759 cases” Int. Maritime Health 2015
注3  A Broader Vision of Seafarers Wellbeing: Survey of ITF Maritime Affiliates on HIV/Aids, Health and wellbeing.2015
注4  www.ukpandi.jp/file/RF_Mental_JP.pdf

 

 

 

 


LastUpDate:2017-11-06