第11回 静岡県清水市立飯田小学校

 東京タンカー船長 久保山 金雄

陸勤中の船長として時々船長協会にお邪魔していた私には、「船長 母校へ帰る」の企画については良く知っていました。いや、良く知っていただけでなく、度々「是非やってみないか」と澤山会長からお誘いを頂いていました。船長実職経験が1隻しかなく、未だ若輩である自分に講演などできるのであろうかと思い悩んでいましたが、我が娘達も丁度小学校6年生と5年生であり、思い返せばまとまった船の話、海の話などしたことがなく、これを機会に我が娘に話すつもりでやればよいか、と決断を致した次第です。

 さあ、それからが大変でした。平成12年11月に母校である飯田小学校に連絡を入れました。まずは、自分の素性の説明、本企画の趣旨等々を説明し怪しい者でないことを学校側に理解していただいた上で日程の調整に入りました。この時点で学校側から「3月までは既に行事が一杯で来年度の予定を計画する来年の2月頃また連絡がほしい。」と回答を得ました。その後、学校側から「5月末はどうか。」と提案されましたが、残念ながら今度は私の都合が悪い。結局平成13年11月21日となり、何だかんだと1年かけての日程調整となってしまいました。
これほどまでに小学校の行事は過密であるとは、私には想像できませんでした。日程調整の間、滅多に見ない我が子の学校スケジュールをよく見ると、遠足、参観日、社会科見学、球技大会、音楽発表会、運動会などなど確かに学校行事は多く、毎月2つ3つは何かがあり、いつ勉強しているかと思うばかりでした。(これがゆとり教育なのでしょう。)私たちが小学校の頃はこんなじゃなかったと思い、さぞや先生方は大変であろうと感じました。

 詳細は10月始めに詰め、対象は5、6年生227名、時間は13:50から1時間半程度、なお当日は学校開放日であることから父兄の出席もありとの事になりました。私は横浜在住のため、大半の連絡は電話・ファックスで行いましたが、やはり事前に校長先生並びに担当の秋本先生のお顔を見なくてはと思い、講演10日ほど前に飯田小学校を訪れました。
我が母校の場所は清水と言っても海に近い所ではなく、港から車で20分程度山よりにあり、東名高速のインターチェンジからは5分程。私が在学当時は学校周辺は田圃ばかりでしたが、今では住宅がびっしり。20年ほど前は静岡県下で一番のマンモス校(当時は2,500名以上の児童がいたそうです。)であったとのこと。歴史は古く既に開校百年以上となっています。土地柄でしょうか卒業生にはJリーグの選手もおります。
30年ぶりに訪れた母校の変わり様は大変なものでした。まずは校舎が全て鉄筋校舎になり、正門の位置も変わってしまっていました。校歌にも歌われている学校のシンボルである大柳は、当時はいかにも老木と言う感じでしたが、2代目となっているのか青々とした葉を茂らしていました。何もかもが変わってしまって浦島太郎の感でした。でもちょっと安心したのは、当時買い食いしていた駄菓子屋さんが同じ場所にあったことでした。(当然お店はきれいになっていましたが。)

 太田校長先生、秋本先生と面談し、懐かしい恩師や同級生の名前が挙がり感慨もひとしおでした。会場となる体育館の下見並びに当時使用する機材などの打ち合わせもこの時にすませました。学校側の期待もあり、ややプレッシャーを感じたのも本音でした。
一方では船長協会にて、澤山会長、柳原画伯がアテンドして頂けるとのことで打ち合わせを行い、後は当日を待つばかりとなりました。
11月21日がやってきました。正午に清水駅で澤山会長と柳原画伯と待ち合わせ、富士山を見ながら我が郷土の名物である桜えびのかき揚げで腹ごしらえし、いざ飯田小学校へ。
校長室での簡単な挨拶のあと制服に着替え会場へ向かいました。途中、船長の制服を初めて見るのか、行き交う子供達の目が眩しく、また、「こんにちはっ。」とすがすがしい挨拶が印象的でした。

 講演は澤山会長のご挨拶に始まり、柳原画伯が船の話をしながら私の乗船していたVLCCの絵をみるみる描いて下さいました。子供達の目が皿のようになり、魔法のように船を書いていく画伯の筆先に釘付けになっていました。清水の子供達に取っては柳原画伯の絵は身近にいくつもあります。港のサイロや貯水タンクに描かれているからです。今回、お忙しいなか出席していただけたのは、清水だからと言うことでした。
さて、いよいよ私の講演の始まりです。私はタンカーマンの為、スエズ・パナマ運河、たくさんの寄港地の話はできません。そこで、乗船したことのある日本一巨大であった日精丸をモデルにタンカーの大きさを中心に置き、原油の大切さ、船の操縦の難しさ、簡単な航海術、緯度経度の説明、海賊、戦争、海の美しさ・怖さなどを話しました。柳原画伯が私に付けてくれた「眉毛の濃い久保山船長」というコピーが子供達に受けたせいか、非常に楽しい講演となりました。講演中は子供達の目を見て話し、対話調にする事を心がけました。子供達を飽きさせないように海図や六分儀などの小道具も用意し、投影する資料にもイラストを多用しました。(難しい言葉を使わず分かりやすく、子供達に船や海の話を伝えるのが如何に難しいか、講演原稿作りにあたっての壁でしたが、幸いなことに我が娘達も同年代であることから、彼女たちのアドバイスのお陰でなかなか分かりやすいものになったと思っています。)

 終わって見ればあっという間の1時間近くの講演でしたが、子供達の目の輝きや素直な反応がとっても印象に残りました。また、だれ一人として席を立ったり無駄話をせずに最後まで聞いてくれたのには驚かされました。(今の子供達は集中力がないと聞きますが、満更捨てたものではないようです。)最後には船長協会が用意してくれたスライドを澤山会長の解説で子供達に見てもらいました。美しい港の風景、海の動物と画面が変わる度にワッーと沸き上がる子供達の歓声が今でも忘れられません。
なお、時間が無く子供達の質問を受けられなかったのが唯一心残りでした。
講演後の先生とのお話、送られてきた子供達からの作文を読んで、港町清水での講演でしたが、思いの他先生も子供達も海や船から離れていることを痛感しました。よくよく考えて見ると、私たちが子供の頃は周りに船員を親や親戚に持った者が何人かはいて、海や船の話は身近でしたが、今はほとんど周囲に船員はおらず、海や船は遠い存在になってしまったような気がします。

 なお、私事ではありますがこの講演は我が娘達も飯田小学校にて聴講しました。そして、その批評は「お父さん。良かったよ、楽しかったよ。でも、自分の事をおじさんというのはよくないよ。ちゃんと“私”と言いなさい。」と厳しいものでした。

LastUpDate: 2024-Apr-17