第14回 滋賀県伊吹町伊吹小学校

 東海大学海洋調査研修船 望星丸船長 荒木 直行

1.はじめに
私は、東海大学海洋調査研修船「望星丸」(1,777t)船長の荒木直行(あらき・なおゆき)という者です。{昭和26年2月6日大阪生まれ→(2才)滋賀県坂田郡伊吹町引っ越し→(昭和32年)伊吹小学校入学→(昭和38年)伊吹小学校卒業→伊吹山中学校→彦根東高校→東海大学海洋学部→(昭和50年)東海大学就職(静岡県清水市)→現在に至る}

私にとって、2001年は記念すべき年でした。21世紀の最初の年であり、海の記念日には、海に携わる数多くの方々と共に、勤続25年の中部運輸局(津野田元直局長)表彰状を戴いたり、また東海大学創設者松前重義博士(1901~1991)の生誕百周年記念事業としてブルガリアのソフィア少年少女合唱団が来日され、全国各地での公演をして戴いた年でした。

この記念すべき年に、何か自分自身一生心に残る「思い出の宝物」になるような事がしたいと思っていたところ、月報「Captain」の中で「船長母校へ帰る」の募集記事があり、さんざん悩んだあげく、応募する事にしました。

2.事前活動
2001年はじめ、社団法人日本船長協会に御連絡したところ、澤山惠一会長から今までの不安感を一掃するような心暖まる御返事と後日教材用のビデオ、パンフレット、各種資料等を頂きました。その後、以前講演された東海大学航海工学科池田宗男主任教授のアドバイスを頂きました。

2月、3月海外研修航海終了後、4月に滋賀県伊吹町の教育委員会(松嶌膽龍教育長)に電話をし御了解頂き、5月に伊吹小学校に出掛け、杉村勝己校長と伊藤真雄教務主任とお会いすることができ、自己紹介や講演主旨、内容説明、会場案内、機器説明、雑談等で午前中約2時間費やして戴いた。小学校のスケジュールが一杯であることや、常時外国の先生が在駐しての国際交流授業や環境美化教育に熱心なのに驚かされた。後日講演日は12月5日との連絡を受けた。

その後、何の話をしようかと思案しているうちに時は流れ11月になった。時々日本船長協会の村田嘉隆常務理事から適切な御指導御鞭撻を戴き有り難かった。11月21日澤山惠一会長が静岡県清水市に来られ、飯田小学校での御講演終了後、夕刻JR清水駅でお会いすることができた。その後「望星丸」サロンで事前打ち合わせをした後、国際旅客船「日本丸」や「ふじ丸」のお話を聞かせて戴いたり、素敵なスライドフイルムなどを見せて戴いた。夜の帳がすっかり降り、いつになく清水港の夜景が美しかった。

3.講演当日2001年(平成13年)12月5日(水)
東海道新幹線の米原~岐阜羽島間の北側に、周囲の山々の中で一際大きく聳えたつ秀峰、伊吹山(1377m)が見える。その山麓にある伊吹小学校が私の母校である。
琵琶湖に面した長浜城や豊公園に隣接する湖畔の宿に、澤山会長と村田常務理事をお迎えにあがり、一路伊吹小学校に向かった。杉村校長と細井俊司教育委員会参事との御挨拶や会場下見や朝日新聞や中日新聞のインタビューの後、講演開始時間がやってきた。

会場は和室大広間で行われた。たくさんの澄み切った純粋な瞳が、我々を見つめていた。この日のために、連日練習してきたシナリオ通り、自分の航海経歴の集大成のつもりで、全力投球で話始めた。
途中、澤山会長から助け舟をだして戴いたり、恐縮事乍ら、村田常務理事がスライドやOHPの操作をして戴いたりと、有り難い御援助のお陰で、無事終了することができた。
第二部は、澤山会長の海や船の興味深いお話や、芸術的な写真の大画面に、児童達は魅了され、最高潮に達した。数多くの質問の中からいくつか答えられ、御土産贈呈、記念写真等で、御名残惜しくも終了時間となった。
校長室で美味しいお茶を御馳走になった後、外に出ると、我々の方に向かって、ほぼ全校生徒の児童達が、窓から身を乗り出すようにして、力一杯手を振りながら「船長さん達、有難うございました!また来てね!」と何度も叫んでくれた。
「伊吹小学校の児童達の将来に幸多かれ」と祈りつつ、帰路についた。
一生心に残る感動的な一日だった。

LastUpDate: 2024-Apr-25