IFSMA便り NO.37

ICSコンファレンス

(一社)日本船長協会 副会長 赤塚宏一

 

 秋のIFSMA 理事会は9 月8 、9 日にロン ドンで開催されたが、翌日の10日にICS の Shipping Conference が開催されるとのこと なので、今欧州で何が問題とされているのか 知りたくて参加することとした。
 ICS(International Chamber of Shipping 国際海運会議所)は第一次世界大戦後の海運 不況を克服するために主として船腹調整を目 的として1921年(大正10年)に各国船主協会 を会員として設立された組織で、本部はロン ドンにある。日本船主協会は1957年(昭和32 年) 4 月に加盟している。自由主義海運を標 榜するとともに、船主の利益を擁護・代表し、 商船隊の発展を促進させることを目的とする 国際団体である。海洋環境保全、船舶航行安 全、海事法制、情報システム等に関し具体的 な検討を行い、IMO 等において海運業界を 代表する組織として活動している。
 現在の会長は日本郵船出身の諸岡正道氏 (NYK バルク・プロジェクト貨物輸送株式会 社社長)で、おそらくICS 設立以来初めて の日本人会長であろう。ICS のような最も権 威のある国際団体の長が日本人であることは 誇らしい。 会場となったのは大英図書館(British Library)の一画にあるコンファレンス・ルー ムである。大英図書館はいうまでもなく世界 有数の図書館で日本の国会図書館と同じく英 国の法定納本図書館の一つであり、英国で出 版される新刊の全てが納本される。蔵書の多 くはこの新しい図書館がロンドン北東部のセ ント・パンクラスに建設されるまで大英博物 館に所蔵されていた。そこで私は「嵐が丘」 を書いたエミリー・ブロンテの詩稿を見たが、 小さな手帳に繊細なそれでいて力強い字で書 かれていて、彼女の内面の一端に触れた思い がした。また世界史の授業で必ず習う英国の マグナ・カルタの原本もこの図書館にある。

 

コンファレンスのプログラム

 さて、このICS コンファレンスのプログラムを紹介しよう。  コンファレンスは諸岡会長の挨拶に始まり ICS 事務局長による最近の海事社会の諸問題 の概観、そして基調講演はIMO の事務局長 關水康司氏が行った。次いでマースク・ライ ンの役員による“Implementation and Enforcement of Maritime Rules”、新任の ITF 事務局であるStephen Cotton 氏による “Developing relations with Maritime Employers” と幅広く海事関係の問題を取り 扱った。これらに対する質疑応答を終わって、 次は環境問題である。
 まず米国テキサス A&M 大学のTony Knap 教授による“Changing ‘Climate’ : Future Effect on the Shipping Industry”、 プライス・ウォーターハウスのパートナーに よる“Total Impact”Tools for Environmental Decision Making” という難しい講演があ り、その後“Environmental Regulation” に 関するパネル・ディスカッションがあった。 オランダ船協の理事長がモデレーターとなり、 アメリカ、パナマ、イタリアが参加した。ディ スカッションに先立ってICS が“Overview of Current Issues” と題してパワーポイント によるプレゼンを行なったが、これが一寸し た反響を呼んだようである。これについては 後ほどもう少し詳しく書くことにしよう。
 このパネル・ディスカッションが終って昼 食となった。
 午後の部は主として人的要因に関わるもの で、先ず英国海難調査委員会の調査官による “Fatigue at Sea”, フィリッピンの商船教育問 題について“Driving Forward Training Standards in the Philippines” と題してフィ リッピン船協の副議長及びフィリッピン政府 の商船教育を所管するMarina(Maritime Industry Authority)のAdministrator がプ レゼンを行なった。フィリッピンはご存知の ようにEMSA(欧州海事保安庁)から同国 の商船教育について厳しい指摘をうけて、現 在はいわば仮免の状況にあるので、プレゼン にもひときわ力がこもっていた。
 この後、コンファレンスでは一見人的要因 とは直接関係ないと思われるが、ロールス・ ロイスの海事技術部門による“Robot Ships” と題する講演が行われた。これはプレゼン ターも誤解を招くタイトルだと言っていたが、 要は大洋航行を無人化する高度なリモコン・ シップである。ロールス・ロイスはすでに無 人化船の概念設計を発表している。無人化に 必要なテクノロジーはそこにある、何時踏み 出すかが問題だ、などと、かなり扇動的なプ レゼンである。質疑応答の時間でもこれに関 する質問が多かった。
 かなり興味をひくテーマであったので帰宅 後調べてみるとEU はすでに船舶の無人航行 に関するプロジェクトを発足させており、ノ ルウェー、スウェーデンやドイツなどの八つ の機関が研究を開始している。相当な投資も 行われているようだ。
 無人化推進の背景にはますます増大する海 上貨物輸送の増大と船員不足、そしてそれに ともなう人件費の高騰があるが、海上交通の 安全、海難防止も要因の一つとして挙げてい る。よく言われるように事故の原因の75%(あ るいは80%以上とも)は人的要因とされてい るが、もし太洋での運航に人が、すなわち乗 組員が関わらねば海上交通はもっと安全にな るとも言っている。これはあまりにも一方的 で何とも不思議な論理だ。船乗りとしては簡 単にうなづく訳にはいかない。
 無人化船の実用化については衛星通信によ る本船周辺の状況の把握、リモートコント ロールの操船指令が鍵となるであろう。また 無人航行に関する法的な側面も調査研究が進 められているとのことである。
 コーヒーのあと、女性ジャーナリストMs. Rose George による“Is Life at Sea Plain Sailing?” と題するプレゼンが行われた。彼 女はマースク・ラインのコンテナ船に乗船し て、本を書いたばかりである。このプレゼン に引続きパネル・ディスカッションが行われ た。壇上に登ったのはMs. Rose George、そ して香港のマンニング会社のCEO、Seafarers’ Rights International の専務理事である Ms. Deirdre Fitzpatrick それにDFDS* Seaway の現役の船長である。
 プログラムの紹介はこのくらいにして、私 にとって興味深かったトピックを2 点、少し 紹介してみよう。

 

環境保護と法制度

 午前中の“Environmental Regulation” に 関するパネル・ディスカッションに先立って ICS の渉外担当ダイレクターであるサイモ ン・ベネット氏が“Overview of Current Issues” と題してパワーポイントによるプレ ゼンを行なった。少し引用してみよう。
 彼は「新しい環境関連規則の雪崩が起きて いる」“Avalanche of New Environmental Rules” といささか刺激的なタイトルで話を はじめ、実際に雪崩のスライドを示した。海 運界は厳しい経済情勢のもとに業績を回復し ようと日夜努力しているが、次から次へと新 しい環境規則に対応しなければならない状況 は雪崩に遭遇したようなものだ。海運界は環 境保護について何ら疑問をはさむものではな いが、IMO の環境規則の一部は目的にそぐ わず、海運業界は規則順守のために、次の10 年間に控えめに見積もっても5,000億ドル(50 兆円!)を費やさなければならないだろう。 2020年には硫黄分濃度の0.5%以下の燃料の 使用という厳しい規制が行われるが、低硫黄 含有燃料の価格とこのような燃料油が十分に 供給されるかは不明であるし、SOX(硫黄酸 化物)排出規制海域がどのように実施される かについては不明確なことが多い。
 CO 2 については、海運だけが国際的な規制 を受けて新しい機器の導入と運航効率化の管 理をもって、その排出を削減していることを 述べて置く必要があるであろう。
 しかしながら、CO 2 排出規制については海 運が最も有効な輸送形態であるにもかかわら ず、再びIMO において政府から更なる規制 強化を求められる可能性がある。おそらく燃 料油課金や排出権取引等の経済的手法であろ う。これも船主にとって大きな負担となるこ とは間違いない。
 バラスト水処理装置は、もっとも高価な舶 用機器の一つであり船主に大きな負担となる が、その装置が機能するのか、条約の要件を 満たすのかなど基本承認や最終承認などの形 式承認システムが整っていないため、善意で 新装置を搭載した船主を寄港国のポートス テートコントロールが罰する可能性がある。
 環境保護の必要性についてICS はいささ かも疑念はなく、IMO における各国政府の 提案が環境保護推進のためであることは理解 するが、国際規則を策定する場合には周到な 規制影響評価をする必要があることを改めて 強調しておきたい。その影響評価にあたって は当然のことながら海運企業の経済的な持続 性を十分に考慮しなければならない。また新 しい規制を導入する場合にはその実効性を慎 重に考慮し、かつ十分な時間的余裕を持たね ばならない。これらの事は易しいことではな いことはICS としても理解しているが、国 際規則には不可欠なものなのである。ICS の 会員はこうした問題について今後よく研究し、 いずれしかるべき提案をしたい、と結んだ。
 このコンファレンスを報じた翌日のLloyd’s List は“IMO green rules ‘avalanche’ holding back recovery, ICS charges”(IMO の環 境規則の雪崩、業績回復の足を引っ張ると ICS は攻撃)とこれまた刺激的な見出しを付 けた。基調講演でIMO の環境関連の条約の 批准と実施の重要性を強調した關水IMO 事 務局長が退席した後にSimon Bennett 氏の IMO へ向けての舷側砲の一斉射撃(broadside) が行われた、とわざわざ書き加えている。
 コンファレンスの後の懇親会でSimon Bennett 氏と話をする機会があった。彼は ちょうど25年前、大学(オックスフォード?) を卒業してすぐにICS に就職して以来の知 人である。今日のプレゼンは随分と率直な物 言いだね、というと彼は「今年のICS の年 報(International chamber of Shipping 2014 Annual review)の巻頭言で諸岡会長がIMO の規則の雪崩という言葉を使っており、その ことがIMO 事務局から睨まれているのは承 知している。しかし船主としては、ここ数年 来のバラスト水管理条約を始めとする数々の 環境関連規則は雪崩としか表現のしようがな い。しかも条約履行を担保する技術が確立し ていないものあるし、ガイドラインや統一解 釈も出来ていないものもある。このままでは 文字通り雪崩におしつぶされてしまう」と危 機感も相当なものであった。

 

“Deep Sea and Foreign Going”

 これは午後の部で “Is Life at Sea Plain Sailing? と題するプ レゼンを行なった Ms. Rose George が マースク・ラインの コンテナ船に乗船し て書いた本の題名で ある。米国で出版された同書のタイトルは本 書の副題となっている“Inside Shipping, the Invisible Industry that Brings You 90% of Everything” から取った” 90% of Everything” だったという。これは全ての生活用 品の90%は海上輸送による、という或る意味 で極めて判りやすい題名であったが、英国で 出版するにあたり、“Deep Sea and Foreign Going” と名付けたという。「大海原を渡り外 国へ」とでも訳すのだろうか。

 午後のパネル・ディスカッションは彼女の プレゼンとこの本が主なテーマで、船員の勤 務の実態と船内生活が主であったので、ここ では彼女の本、─むしろルポルタージュと呼 んだ方が適切かもしれない─を紹介すること でコンファレンスの報告としたい。

 Ms. Rose George は英国のジャーナリスト /ルポライターであるが、数年前、ソマリア 海賊の人質となっている544人の船員の事を 知って驚愕したという。このような多数の人 質が囚われている事、そしてそのような事実 を一般の人々が殆ど知らない事に驚いたので ある。

 また、マイクロソフトのことは殆どの人が 知っているが、マイクロソフトと同等の収益 を上げている世界最大の海運会社マースク・ ラインのことは殆ど知らないことにも驚いた。 このため海運の果たしている役割、そして海 運業と船員の実態を調査するためにマース ク・ラインのコンテナ船Maersk Kendal 号 (6,400TEU 型)に乗船して、英国のフェリ クストウ~シンガポールの5 週間の航海に出 たのである。ソマリア海賊に関連して、EUNAVFOR に加わっているポルトガルのフリ ゲート艦Vasco da Gama 号への乗船記も載 せてある。これはまた海軍の実態が興味深い。

 本書はもちろんよくある航海記ではなく、 海運に関した事項を幅広く、かつ詳細に調査 をしているが、かと言って調査報告と言うも のでもなく、彼女の物の見方や感情、また船 長の性格なども的確に描写している。また船 内生活や海運業の否定的側面も臆することな く書かれており、思わず引いてしまう箇所も あるが、そうした事実、あるいはそのような 観察もあるのであろう。本書は乗船を第1 章 として下船を第11章とするが、取り上げられ ている主な内容は

1 .船員労働の厳しさ/最小限の乗組定員
2 .便宜置籍船と船員の多国籍化
3 .海賊の恐怖
4 .環境規則
5 .水中騒音の深刻さ
6 .海難
7 .船員の福祉施設
と言ったところであろうか。この中から少し 内容に触れてみよう。

 

海賊の恐怖

 著者はソマリア海賊の人質問題から海運問 題にはまり込んだ、と言うだけあって、海賊 問題にはフリゲート艦Vasco da Gama の乗 船記も含めて本書では2 章を割いている。

著者はソマリア海賊の人質問題から海運問 題にはまり込んだ、と言うだけあって、海賊 問題にはフリゲート艦Vasco da Gama の乗 船記も含めて本書では2 章を割いている。

 また、海賊側も実際に海賊行為を行う者た ちはその黒幕から獲物を得るまで帰るなと厳 命され、苛酷な状況にあるという。正確な統 計があるわけではないが、EU-NAVFOR の 関係者は海賊行為を働くために出撃した者た ちの中には飢えや、病気あるいは海中に転落 して溺死した者が毎月50名程度あるのではな いかと推測している。海賊はいつの時代にお いても血みどろの世界なのである。ロマンな どあるはずもない。

 

水中騒音の深刻さ

 これは鯨やイルカなどいわゆる海生哺乳類 は海中で音波をそのコミュニケーション手段 として、繁殖や採食を行なっているが、船舶 の航行にともなう騒音によってコミュニケー ションそのものが困難になっていると指摘し ている。これらの生物の中にはコミュニケー ションに使用する音波の周波数を変えてなん とか維持しようとしていることも観察されて いるそうだ。海を汚染するのはプラスティッ ク、化学物質、油性廃棄物、下水等があるが、 さらに騒音も海を汚染する。長期にわたり海 中騒音を観測した結果はショッキングなもの で、大洋における水中騒音は10年ごとに3 デ シベルの割合で増加している、という。そし て商船の騒音は10年毎に2 倍となっている。 今やこれは“acoustic smog” と呼ばれている。 水中の騒音問題は既に1990年代の始めに IMO でも取り上げられ、もっともこれは正 式な議題ではなかったが、フィンランドのロ ヴァニエミで国際会議を行うから日本からも 是非出席して欲しいと要請された覚えがある。 あれから20年、水中騒音の防止は避けて通れ ないものであろう。幸いIMO においては水 中騒音低減のためのガイドラインが採択され たとのことで、今後本格的な取り組みが進め られることであろう。

 この章ではセミクジラの保護についても多 くのページが割かれているが、今日クジラの 一番の脅威は一般商船だという。セミクジラ の保護海域では17ノットで航行するとクジラ に衝突しこれを殺す確率が90%となるが、10 ノットで航行すればクジラが生存出来る確率 は五分五分となるという。人間の経済活動が 拡大するにつれ地球及びその環境との摩擦が 増大するが、我々に出来ることは少しでも実 践しなければならない。

 

船員の福祉施設

 船員の福祉施設及びサービスについては、 主として欧米のキリスト教関係の船員福祉部 門がこれを担っている。中でも英国国教会の 関連部門が運営するThe Mission to Seafar ers が最も有力で全世界で230ヶ所のセン ターを運営している。2013年に発効したILO の海上労働条約第4 章には「陸上の福祉施設」 の利用として加盟国政府は船員の為に指定さ れた港において、船員の福祉施設の開発を促 進する、と定めているが、具体的な動きがあ るのか筆者は知らない。この本書で取り上げ ている船員のジョークを紹介しよう。
 “Surely I travel the world, but it all looks like our Bridge(or Engine room or Gangway)”.
 これは世界を回っても殆ど上陸の機会がな いことを示している。また英国のある港の The Mission to Seafarers のポート・チャプ レンが訪船していつものように船長に何かお 役に立つことはありませんか? 買物にでも お連れしましょうか? と聞いたところ、船 長はその必要はない、しかし“My crew like to walk on Green, green grass!” と叫んだ。 そこでポート・チャプレンはマイクロバスを 手配して、手すきの乗組員を全部乗せて教会 の裏庭に連れて行き、そこで乗組員は1 時間 ほど緑の芝生を楽しんだという。
 乗組員の生活環境はますます厳しさを増し ている事を示すエピソードである。

 本書についてはまだまだ紹介したいことが あるが、紙数の関係もあり、ここで筆を置き たい。機会があれば本書を翻訳して連載した いとも考えている。

以上

 

参考
 Lloyd‘s List(2014.09.10)
 The Maritime Executive(2014.09.09)

 

* DFDS is Northern Europe’s largest shipping and logistics company. The company’s name is an abbreviation of Det Forenede Dampskibs-Selskab(literally The United Steamship Company). DFDS was founded in 1866, when C.F. Tietgen merged the three biggest Danish steamship companies of that day.


LastUpDate: 2024-Apr-25