IFSMA便り NO.49

便宜置籍船

(一社)日本船長協会 副会長 赤塚 宏一

 

 前号に引き続きPacific Maritime Magazine( PMA)の記事を紹介したい。今回は Flags of Convenience 「便宜置籍船」である。 この便宜置籍船問題は海運界にとって古くま た新しい問題である。便宜置籍船については 多くの本が書かれているが、なかでも東京海 洋大学の逸見真教授の「便宜置籍船論」、ま た大阪商業大学の武城正長教授(当時)の「便 宜置籍船と国家」(御茶ノ水書房)などは海 技者の書いた貴重な書籍である。これに水上 千之の「船舶の国籍と便宜置籍」を加えた3 冊が便宜置籍船に関する三大文献と言えるの ではないだろうか。
 PMA の記事は5 ページで写真が約半分を しめるもので、便宜置籍船を論考するような ものではなく、また新しい知見があるわけで もないが、便宜置籍船問題を要領よくまとめ てあり、またアメリカ西岸と深い関係がある のではないかとの記事なので、これをベース に便宜置籍船を紹介することとした。
 便宜置籍船とは何かを定義するつもりはな いが、読み進めるうえでの便宜のために1970 年に発表された英国のロッチデール卿(Lord Rochdale)の海運に関する報告書から便宜 置籍船に関する6 点を挙げておく。なお、ロッ チデール報告書というと便宜置籍船問題のみ が有名であるが、ロッチデール卿は船員問題 にも関心が強く、船員のキャリアパスについ ても書いている。
 英国のロッチデール海運調査委員会の報告 書は次の6 点を確認している。
 1 .登録国が外国人による船舶の所有または 管理を許す。
 2 .登録が容易である。通例、外国にある領 事館で登録できる。また登録の異動が制限 されていない。
 3 .船からの収入に対する税金が課せられな いか、または低い。トン単位の登録料や年 額料が、ほんのわずかである。将来の免税 に関する保証あるいは諒解も得られる。
 4 .登録国は将来ともそれほどの海運を必要 としない(しかし大きいトン数への料金か ら受けとる金額は国家収入の重要部分を占 め支出のバランスをもたらしている)
 5 .外国人乗組みは自由に許されている。
 6 .登録国は、管理や国際法令を課する力や 機関を持たず、会社を管理する意志も力も 持っていない。
 さて、P M A の記事である。タイトルは “Flag of Convenience  or flag of Necessity?” 「便宜船籍制度あるいは必要に迫られての船 籍制度?」で副題に「便宜置籍船を巡る論争 の種は米西海岸から始まったかもしれない」 とある。
 ここでは「便宜置籍船と国家」(御茶ノ水 書房)によって、制度を指すときは「便宜船 籍制度」、船籍国を指すときは「便宜船籍国」、 船舶を指す場合には「便宜置籍船」を用い、 また便宜置籍船一般を指すときは「便宜置籍 船」とした。
 便宜船籍制度、最近ではもう少し婉曲に オープン・レジストリー“Open Registry” というが、は国際海運においてある国によっ ては支持され、また他の国や機関から嫌悪さ れている。便宜置籍船は長年にわたり老朽化 したサ赤錆びたバケツシ(rust buckets)に過 重労働で、かつまともな賃金ももらえない船 員を乗り組ませたボロ船とのイメージを造り 上げてきたにもかかわらず便宜置籍船はます ます増加する方向にある。
 このような負のイメージを引きずった便宜 船籍国も未だにあるが、もっとも有名な便宜 船籍国であるリベリア、パナマ、マルタなど はビジネスとして徹底させ、海事専門家の チームを雇用し安全関係や船員の雇用関係を 厳しく監視している。
 しかしながら多くの船主が従来の便宜船籍 制度を使用しているのは、争えない事実であ る。それは安い登録料、低いあるいはゼロの 法人税、そして様々な国から安い賃金の船員 を雇うことの自由があるからである。これら の船主は多くの場合非常に低いマージンで船 を動かしているので、彼らにとって便宜船籍 制度というより「必要に迫られての船籍制度」 ということになる。

 

その歴史


 便宜船籍制度の始まりを追跡するのは困難 だが、多くの資料の指し示すところ、その第 1 船は第一次世界大戦後のパナマとアメリカ 西岸に就航していた3 本マストのモーター・ スクーナー“Belen Quezada”号のようである。 1914年にパナマ運河が開通するとパナマは海 上運送において地勢上有利な位置を占めてい ることを自覚したが、パナマ籍の商船は殆ん どなく、また外航船員も殆んど居なかった。 このためパナマ政府は船主や船員の国籍に制 限を設けずパナマ船籍を増やすことにした。
 1917年の法律第63号の発布により税法を改 正し、そのような船舶の沿岸貿易を許可した。 1919年8 月20日、太平洋沿岸とカリブ海の諸 港との海上輸送に従事していた1,141G/T の “Belen Quezada”号がパナマの国旗を掲げ ることとなった。数ヶ月のうちにスペインの 船主、Sota Y Aznal Line, これは後のAznal Line である、が数隻の外航蒸気船をパナマ 籍に移籍してパナマ船籍の幕開けとなった。
 これにより1921年10月7 日の行政命令によ り、スペイン船籍の船舶は1N/T あたり1 ド ルの登録税、そして年間1R/T に対し10セン トのトン税を払えばパナマ船籍に登録出来る こととなった。
 2 年後、United American Line(UAL)の オーナーであったW.A.Harriman がパナマ 船籍の有利さに注目し、アメリカ籍の2 隻の 持ち船をアメリカの煩雑な規制を逃れるため パナマに移籍した。そのうちの1 隻、 19,653G/T のクルーズ客船“Resolute” 号は 1923年1 月16日、世界周航の途次、パナマ運 河をパナマ最大の客船として通過した。

 

最初の国際船籍

 パナマ政府はパナマ船籍の需要が拡大する のを見て、1925年に法律第8 号を制定した。 これによりパナマ船籍を世界最初の“Open” 国際船籍制度とし、世界のどの船主にも開放 した。
 長い間、パナマ船籍は世界で唯一の“Open” 国際船籍制度として存在し、まだ便宜船籍制 度と呼ばれることはなかった。数年後近隣の 小国ホンジュラスが同じく“Open”船籍を 採用した。しかしこれは主としてユナイテッ ド・フルーツ会社(現社名 チキータ・ブラ ンド)の要請によるものであった。ユナイテッ ド・フルーツ会社は数隻のバナナ輸送船を中 南米で運航していたが、全てホンジュラス籍 としていた。しかし、パナマ籍は依然として 多くの顧客を獲得していた。第二次世界大戦 の初期には多くのアメリカ船主の船舶、その 中には17隻のタンカーと2 隻の貨物船があっ たが、パナマ船籍となり、連合国の物資補給 のため大西洋を横断した。パナマ船籍となる ことによって当時のアメリカ中立法に抵触す ることなく、多くの軍需物資が連合国側、主 として英国に輸送された。
 アメリカが世界大戦に参戦した1941年12月 7 日以降、アメリカ軍に戦利品として拿捕さ れた船舶はしばしばパナマ船籍に登録された。 これはその船舶の売却や処分のために手続き の簡単な「知られている船籍」(“k n o w n” registry)のパナマ船籍を利用したのである。
 

 

リベリア船籍

 第二次世界大戦後、西アフリカのリベリア がオープン・レジストリーを創設した。これ に先立ちパナマでは政治的な紛争が発生した。 これはアメリカが大戦中に建設したパナマに おける軍事基地を返還するのを渋ったからで ある。この紛争に加えパナマ船籍の料金が高 いとして、競争への扉を開いたのである。
 このリベリア船籍の創設者はルーズベルト 大統領の大戦中の国務長官であったEdward Stettinius(エドワード・ステティニアス) であり、パナマの紛争について事情を熟知し ていた。エドワード・ステティニアスはリベ リアの大統領であったWillian Tubman の古 くからの親友であった。そして彼はリベリア 政府とアメリカの融資家がパートナーシップ を形成するのに助力した。リベリア船籍制度 を運営する法人は、収入の25%をリベリア政 府へ、10%がリベリアの社会保障制度基金に 組み込まれ、残りがステティニアスが運営す る法人の費用となるように制度設計されてい た。
 この新しいリベリア船籍に置籍した最初の 船はギリシャ船主Stavros Niarchos の18,072 DWT のタンカー“World Peace”号で1949 年3 月11日のことであった。皮肉なことに

この年、ステティニアスは心臓発作のために逝 去した。そして法人の所有権はワシントンに ある国際銀行に移った。しかし銀行はすぐに 船籍の運営をボストンにあるInternational trust Co. に委託した。この結果、アメリカ の船主がリベリア船籍に置籍するのに非常に 便利となった。

 

国際運輸労連(ITF)

 海員組合はこのパナマとリベリアの船籍制 度により船舶と仕事が失われていくことに直 ぐに気が付いた。早くも1933年に欧州の船主 が所有する数隻のタンカーがパナマ船籍に移 籍するとI T F はこの移籍に異論を唱えた。 1954年にはパナマ、リベリアそして規模は小 さいがコスタリカ及びホンジュラス船籍で合 わせて650万トン(GRTS)以上の船腹量を 擁していた。その多くはアメリカ船主である。 1954年末の世界の総船腹量は1 億トン程度だ から6.5%前後といえるであろう。
 1958年のアメリカ上院の外国及び州際通商 委員会のヒアリングにおいてユナイテッド・ フルーツ会社の代表は彼らの多くの船舶をホ ンジュラス籍に置籍している、なぜならホン ジュラス船籍は“It is a flag of convenience” と発言した。これが“Flag of Convenience” (FOC)という言葉が最初に使われた例であ り、以後この言葉が定着した。その後便宜船 籍制度の利用は着実に伸び、1968年にはリベ リア船籍はついに英国船籍を抜き去り、世界 一の船腹量を誇るようになった。
 今日では世界の船腹の三分の二近くは便宜 置籍船であり、パナマ、リベリアそしてマー シャル諸島の3 者でほぼ世界の40%(DWT) の船腹量を保有している。

 

色あせたイメージ

 便宜置籍船の急激な膨張はITF により厳 重に監視され、1950年代には反便宜置籍船の キャンペーンを行うようになった。終戦によ り多数の戦時用の船腹が海運市場に参入し、 その多くが優良とはいえない船主の支配下に あったからである。
 ITF はこれらの船主による便宜置籍船の 利用は自国の労働規制を逃れ、劣悪な労働環 境のもとに長時間労働を強い、極めて低い賃 金で船員を酷使するための制度と認識してい た。便宜置籍船は実際的な国籍を持たず、そ のためどこの国の海員組合の干渉も受けない とITF は指摘している。労働組合の反対運 動や増加しつつある便宜置籍船の大きな海難 事故により大衆の注意も惹くようになった。
 アメリカ西海岸で大きな注目を浴びたのは 1972年に起きたソマリア船籍の10,462G/T の 貨物船“D o n a A n i t a”号の海難である。 1953年に日本で建造され、海難当時は香港の International Shipping 社が運航していた。 同船はカナダのバンクーバーから9,000トン のポタッシュを積載して出航した。同船には 41人乗っており、その中には英国人船長の夫 人もいた。バンクーバー島の西、120マイル 付近で荒天に遭遇し、無線で救助を求めてき た。最後の連絡は機関室に浸水したため乗組 員は本船から脱出しようとしていたことを示 していた。
 カナダ海軍の駆逐艦と気象観測船がこの救 助要請に応え現場に急行したが、発見したの は2 個の誰も乗っていない救命筏、船名の記 された1 個の救命浮環そして広範な燃料の油 膜のみであった。同船は全ての乗組員をTみ 込んで海底に沈んだのである。
 “Dona Anita”号が遭難した現場の海域で は同船の他、カナダの救助船、バージを曳航 しているタグボートなどが航行していたが、 わずかな損傷程度でいずれも無事であった。 このことはその当時の便宜置籍船に乗船した 船員の多くが最低限の安全基準すら満たして いないという批判を裏付けるものとなった。
 多くのマスメディアは便宜置籍船を「赤さ びてポンコツ同然の船」とのレッテルを張っ た。
 そして次の年またまた同海域で便宜置籍船 の海難があった。今度はリベリア船籍の 10,051G/T の“Oriental Monarch”号である。 乗組員40名は全て失われた。コースト・ガー ドは4 隻の無人の救命艇を回収したのみであ る。後刻、海空の徹底した捜索により31名の 死体を回収したが、9 名は行方不明のままと なった。
 この2 隻の船の悲劇の後、今度はタンカー の大規模な海難である。1978年、アメリカ船 主所有でリベリア船籍の233,690DW のタン カー、“Amoco Cadis” 号が英仏海峡で漂流、 座礁し、積荷の原油の全て、160万バレルが 流出し沿岸に多大な被害をもたらしたのであ る。

 

ポート・ステート・コントロール

 リベリア船籍“Amoco Cadis” 号の海難、 そして海洋汚染事故は人々の激しい抗議の嵐 を巻き起こした。この海難が引き金となって 新しい海上安全のための監督システム、ポー ト・ステート・コントロールの設立につながっ た。これは便宜船籍制度をもつ旗国が検査や 安全の管理を行えないならば、それらの船舶 を受け入れる寄港国が検査を行うというもの である。
 1982年に欧州の14ヶ国がパリMOU(Paris Memorandum of Understanding on Ports States Control)協定に署名した。今では世 界中で9 つのポート・ステート・コントロー ルの地域組織が存在する。
 ポート・ステート・コントロール・システ ムによれば、どこの国の船舶であれ国際航海 に従事する船舶は寄港国の検査を受け入れね ばならない。検査は安全、海洋汚染防止、船 内の居住及び労働環境などについて行われる。
 もしポート・ステート・コントロールで何 らかの不具合が発見された場合は寄港国が何 らかの是正措置を取るように求め、必要あれ ば船舶の航行を停止させるなどの処分も検討 する。一部の船主にとっては、まことに苛立 たしいことであるが、今ではポート・ステー ト・コントロールはFlag State Control(旗 国検査)の補完手段として考えられている。

 

ホワイト・グレイ・ブラック・リスト

 2016年の初めに開催された第49回のパリ MOU の委員会において、3 年にわたる検査 と船舶の航行停止の結果に基づいて新しい旗 国の格付けリストを作成した。これはホワイ ト・グレイ・ブラック・リストに掲載されて いるが、ホワイトは優良な旗国のリストで一 貫して航行停止処分などを受ける率の少ない 船籍国、それに反してブラック・リストは多 くの処分を受けるなど低質な船籍といえる。 この格付けリストには73の旗国が掲載されて いるが、そのうち43ヶ国がホワイト・リスト、 19ケ国がグレイ・リストそして11ケ国がブ ラック・リストである。
 スウェーデンがホワイト・リスト掲載国の 中でも最上位にランクされ、ついで英国、フ ランス、デンマーク及びノルウェーである。 ちなみに日本は43位、すなわちホワイト・リ ストの一番下に載っている。グレイ・リスト から格上げされたのはポルトガルとスペイン であり、これらは平均的な成績と注記されて いる。一方ホワイト・リストからグレイ・リ ストに格下げされたのはインドとスイスであ る。
 もっとも成績の悪いブラック・リストに 載っているのはタンザニアを最下位として、 モルドヴァ、トーゴ、コモロ諸島、クック島、 セントクリストファー・ネイビス、これはグ レイ・リストから転落した船籍である。 パリMOU のリストには載っていないが、 東京MOU のブラック・リストの筆頭にある のはモンゴル船籍である。現在は300隻近い 船舶が登録されているのではないかと思われ る。そしてこの船籍は北朝鮮船舶の隠れ蓑と なっているともいわれる。モンゴルは2003年 に外貨獲得のために船籍制度を設立した。
 これに先立ちモンゴル政府はスウェーデン にある世界海事大学に留学生一人を送り出し た。
 筆者はこの時日本船主協会の欧州地区事務 局の駐在員だったが、世界海事大学の Visiting Professor でもあった。講義のためにス ウェーデンに行くと、このモンゴルの留学生 から是非会ってモンゴル船籍制度について説 明をしたいし、支援もお願いしたいとの申し 出があった。時間の都合もあったが、サブス タンダード船籍となるのが目に見えているよ うな船籍に関わりたくないと思い断ったこと がある。欧州在任中は、その他にもいくつか の便宜船籍国から面会を求められたことがあ る。
 カンボジア船籍もブラック・リストの常連 で非常に評判が悪いが、英国・オランダの船 舶職員組合の機関紙“telegraph”の2016年10 月号によるとカンボジア政府は今後は便宜置 籍船ではなく真の自国の船舶のための船籍制 度に衣替えすると宣言したと言う。ITF は これについて半信半疑ながら大いに歓迎した いと語っている。
 便宜置籍船の代名詞のようなパナマ、リベ リア、マルタ、キプロスそしてマーシャル諸 島はいずれもホワイト・リストに載っている ことは注目すべき事実である。

 

クルーズ客船と便宜置籍

 貨物船の場合、どの船籍を選ぶかは、主と してどのような財政上のメリットが期待出来 るかをベースに選択することが多いと考えら れるが、クルーズ客船の場合はもう少し慎重 にならなければならない。もちろん多くの船 主は便宜船籍制度を利用することによって税 金を逃れ、乗組員のコストを削減しようとす るが、それと同時にその船籍の作り出すイ メージについても考慮しなければならない。
 一時リベリア船籍がアメリカの船主に好ま れたが、それはリベリアの国旗がアメリカ国 旗によく似ていたからと言われる。しかし 1980年代の後半、リベリアで内乱が勃発し、 その悲惨な状況が広く知られると急速にリベ リア船籍は人気を失なった。
 現在、多くのクルーズ客船の船主はバハマ 船籍を使用している。バハマは1976年にオー プン・レジシトリーを開設したが、1995年に はクルーズ産業が使いやすいように多くの制 度改正を行った。またバハマという国名その ものが、レジャーとかクルーズとかを連想さ せることもあるのではないだろうか。
 筆者は国際海事機関(IMO)の国際訓練 機関である国際海事法研究所の修士課程の学 生に奨学金を支給する日本財団の奨学生選考 委員会に関わっているのだが、毎年必ずバハ マから応募者があり、その願書の殆んどには バハマ船籍のために海事法制度を整備したい、 バハマ船籍振興のために国際条約の批准や実 施のための研究をしたいと書いてある。バハ マにおいては船籍制度は重要な事業なのであ ろう。一昨年のモンゴルからの応募者はIMO の監査に備えてモンゴル政府の海事法制度の 充実を図る必要があると書いていた。
 バハマ船籍を使用しているのはロイヤル・ カリビアン・インターナショナル、ノルウェー ジャン・クルーズ・ライン、カーニヴァル・ クルーズ・ライン、ディズニー・クルーズ・ ラインそしてリージェント・セヴン・シーズ などで言い換えれば世界の有名なクルーズ会 社の殆んどがバハマ船籍を使用している。パ ナマはクルーズ客船に関しては今やバハマに 相当引き離されての二番手であり登録されて いるクルーズ客船の隻数も半分以下であるが、 登録された船の中にはカーニヴァルの数隻の 客船やM S C クルーズの船がある。そして MSC クルーズの親会社であるメディタレニ アン・シッピング・カンパニー(MSC)は そのコンテナ船隊をパナマに置籍している。 マルタ船籍も最近多くのクルーズ客船を呼び 込んでいるようだ。

 

後書き

 Pacific Maritime Magazine に基づいて便 宜置籍船についてあらましを紹介したが、こ れは便宜置籍船に関する厳密な考察を目的と したものではない。
 便宜置籍船については言葉の定義から始ま り、その歴史、パナマやリベリアでの便宜置 籍制度の成り立ちなど多くの労作がある。興 味のある方はここに挙げた参考文献などに当 たって戴きたい。

 

参考文献

“Pacific Maritime Magazine” September 2016
「便宜置籍船と国家」武城正長 著 御茶ノ水書房 2013年
「便宜置籍船論」逸見 真 著 信山社 2006年
「船舶の国籍と便宜置籍」水上千之 著 有信堂高文社 1994年

 

 

 


LastUpDate:2017-04-18