第36回 鹿児島県南種子町立南種子中学校

Pages: 1 2

作文/やまだ/金城/徳永/河野/大脇/日高/船川
(株)商船三井 船長  濱田 俊秀
<挨拶内容>

 私は皆さんも知っている鉄砲伝来で有名な門倉岬の近くで昭和33年の5月5日に生まれ ました。私の仕事は船員、いわゆる船乗りです。皆さんには想像も出来ないような大きな外国航路の船を動かしています。

先の立志式の内容に沿うような話をしたいと思いますが、今日のこの講演は私がこの南種子の出身であることから始まりましたので、少々私の話をさせて頂きます。


私は門倉岬のすぐ近くで生まれて小さいと きから漁業をやっていた爺さんに連れられて海に行ってました。物心ついたときには門倉岬の沖で網を入れたり、魚釣りをやっていたわけです。海はその頃から大好きでした。

門倉岬は皆さんもよく知っているとおり、1543年にポルトガル人が漂着(難破)したところです。
門倉岬に行きますと、大きな石の古い記念碑があり、その傍には現代の言葉でポルトガル人の漂着に関する記述があります。私は小さいときからそこで泳いだり、ミナやナガラメを取ったり、釣りをしたりしながら、えらい遠い国から来たんだなあという感想を持って、なんとなく船乗りになるのを意識し始めたのを覚えております。

そして、前述の西野中学校では、今の皆さんと同じ年代ですが、この頃には船乗りになりたいと思っていましたので、どうしたら船乗りになれるかも調べていましたし、勉強も していました。船乗りになるには普通は中学卒業後高等商船に行くか、高校卒業後に商船大学へ行くかなんですが、この時の中学3年の担任先生によるアドバイスは中学で将来を決めるのは早すぎるということで、高校を出てからでも大学もあるしとにかく高校に行くようにと勧められ、鹿児島の錦江湾高校理数科へ行くことになったわけです。

講演風景 質問に答える森本船長
講演風景 質問に答える森本船長

 皆さんは鹿児島湾にある喜入という港を知っていますか?喜入には日本石油(現在の新日本石油)の石油基地があります。私が進学 した錦江湾高校が鹿児島と指宿の間にある平川動物園の近くにあるんですが、平川のちょっとした高台にあります。この高校から喜入の港がよく見えるんですが、この喜入にでっかい原油タンカーが入港してくるのを眺めながら高校3年間を過ごすことになり、ますます船乗りになりたいという気持ちを強くしたわけです。私が高校の頃はこの喜入の港には今の一般的な大きさのVLCCより大きなULCCと呼ばれる巨大な原油タンカーが入港 しておりました。私はその頃、島みたいな船があるんだなあと、あんな船に乗ってみたいなあと感激していたのを覚えています。
そして、錦江湾高校卒業後、東京商船大学に進学して船員になったわけです。

商船大学卒業後、昭和56年、1981年の10月に山下新日本汽船という海運会社に入社し船員としての生活をスタートしたわけです。
この後いろんな船の話が出てくると思いますが、私も自動車運搬船、コンテナ船、原油タンカー、鉱石運搬船、石炭運搬船、重量物運搬船等いろんな船に乗船した経験があります。パナマ運河やスエズ運河を通過した経験もあります。西回りの世界一周も経験しました。西回りの世界一周をすると人生が一日長くなるのを知ってますか。この意味が皆さんはわかりますか、後で考えてみて下さい。
船員になって世界中の港に入り上陸し、いろんな世界の人達を見て歩けたことは、今の私の生活に非常に役に立っているとともに、すばらしい経験をしたと思っております。

また、イラン・イラク戦争と最近の湾岸戦争の時もペルシャ湾に原油を積に行っていました。イラン・イラク戦争では船員も死んだり負傷したりしていますし、私も大砲の音を聞いたり、ロケットが飛んでいくのを目撃したこともあります。命がけで日本のために油を積みに行っていたわけで、皆さんの生活のためにも少しは貢献したかなと考えております。

 今日いろいろと私の経験を紹介したのは、決して船員さんの宣伝をしているわけではありません。皆さんに言いたかったのは、いろんな情報、きっかけを大事にして下さいと言 うことです。それが皆さんの人生を決めます。

今日は船について勉強して下さい。船員さんの仕事について勉強して下さい。世界の物の動きについて勉強して下さい。

そして私の船員としての職業から始まった今日のこの講演を通して、皆さんのこれからの人生に役立つものを一つでも獲得して頂けたら幸いです。以上です。

<講演後の感想>

イ.講演の後、いろんなところで反響がありました。
高校時代の友人たちが、鹿児島のあっちこっちで講演の記事が出ていた南日本新聞を見て電話をくれたり、わざわざ新しい新聞を買って送ってくれたり。小学、中学の時の先生たちが連絡をくれたりとか、卒業後何十年も経っているのにびっくりした次第です。

ロ.後輩の南種子中学校の皆さんに

私が今住んでいる都会(千葉)の中学生と比較すると本当に純粋だと感じました。挨拶も出来て、明るく元気があって非常にうれしく、誇らしく思いました。とにかく残念なのは、講演の時間が短く私の紹介で終わったような感があり、もっともっと話してやりたいことがあったような気がします。

ハ.講演の後から、そのような講演があったのなら聞きに行きたかったという声をいろんなところから聞きました。

学校ももう少し学校内だけに特定せずに地域の人達にもこのような情報を流してくれていたならと感じました。(特に会場は立派で広さも十分あったのに)

コ.とにかく母校の中学生たちにとって将来のために何かのきっかけになったことは確かだと思いますので、今回のこの講演の機会を提供して下さった船長協会には非常に感謝しております。

森本船長協会会長から生徒へ記念品贈呈 森本船長協会会長から学校へ記念品贈呈
森本船長協会会長から生徒へ記念品贈呈 森本船長協会会長から学校へ記念品贈呈
5.終わりに

 何処からも海が見える島で育っている子供達でも海や海上貿易に関する関心が薄いようである。私達の講演で、子供達が自立に目覚め、将来の夢に向かって生きるという立志式の目的に少しでも役に立てばと思う。島から出て行く子供達がなかなか島に戻って来ないために島民が減り、小・中学生の数もどんどん減っている。島には温暖な気候と広い土地と綺麗な水が沢山あるのだから、なんとか多くの人が戻って来るような島の活性化が必要ですと語っていたPTA会長の言葉が印象に残っている。

〈日本船長協会技術顧問 池上 武男・記〉
お礼の言葉
今日は、わざわざ遠くから、私達に貴重なお話しをしに来ていただきありがとうございました。種子島は海に囲まれていて、海とふれあう機会が多いですが、船についてはあまり知りませんでした。今日、船についてお話しをうかがって、船のすばらしさや海について、 改めて知ることができました。意外だったことは、味噌汁一杯をきれいな水にもどすのにお風呂の水が五杯必要だと言うことと、「かいぞく」がまだいるということにびっくりしました。私も大きな船に乗って外国をまわってみたいと思いました。種子島はロケット基地があったり、海があったりと自然が一杯の島です。またお越しください。今日は本当にありがとうございました。
生徒代表 小脇菜奈
作文/やまだ/金城/徳永/河野/大脇/日高/船川

Pages: 1 2


LastUpDate: 2024-Apr-25