元・運輸省航海訓練所(現・独立行政法人航海訓練所)教授 | ||
元・東京商船大学教授 船長 橋本 進 |
||
3. 11月10日(日)の本番 この講演会開催にさきだち、私なりに集めた「子供たちを相手の話し方」の情報は、 1) 最初に演壇に上がったときが勝負である。生徒全員の関心を一身に引きつけることが大切で、船長の制服で登壇するのが最高であること。 2)1年生から6年生までを一堂に集めての「話」は一番難しい。1年生にゆっくり、よくわかるようにしゃべってばかりいると、5・6年生は飽いてくる。ときには下級生、ときには上級生とほどよくしゃべりわけることが必要であること。 3) 出来得れば話はわかりやすく短くした方がよい。そのためには「映像」をうまく使うのがよい。 4) 簡単な内容の質問形式で話を進める方法も心掛けたがよい。 5) 広く、みんなの顔を見渡しながら大きな声でしゃべること。 等々でした。今後の参考のためにと思い列記しました。 これらの情報をふまえ、『月報・Captain』に掲載されているこれまでの実績を参考に、私なりに『「船長母校へ帰る」講演シナリオ』を作りました。そのシナリオによって、ビデオやOHPがスムーズに映写されるように工夫しました。 11月9日(土)午後4時 澤山会長と村田常務にご一緒して本町小学校を訪問し村上教育長、児島校長、三井教頭と応援の教師2名を交え翌10日の打ち合わせを行いました。この席で用意した「講演シナリオ」をお渡しし、村田常務にはそれを参考にして手はずを整えていただくことにしました。 講演場所は全生徒と教師が昼食を共にする「ランチルーム」で、すでに机や椅子は外に出して絨毯を敷き、児童は前から1年生、最後尾は6年生の順に座って講演を聞くとのことでした。その後ろは座布団を敷いた一般席、さらにその後ろは椅子を並べた一般席と用意されていました。 11月10日(日) いよいよ本番です。午前9時45分、校長室に集合して再度打ち合わせ・調整を行いました。その折、児島校長より10時20分から開始ではいかがかとのご提案があり、願ってもないことと喜んでお受けしました。 10時15分 制服・制帽を着用した私たち3人は児島校長の先導で入場しました。一瞬、会場のざわめきは静まり、会場の視線が私たちに集まるのを感じました。(内心、シメタと思いました) 10時20分 三井教頭の司会で講演会は始まり、児島校長からは講演会の趣旨についてのご挨拶があり、次いで私たちの紹介がありました。
澤山会長は(社)船長協会の紹介と「船長母校へ帰る」の企画について話されました。次はいよいよ私の番です。
橋本船長の話(I) みなさん 今日は!(今日は!の返答を待つ) 私は船長の橋本進です。この制服は商船(お客や貨物を運ぶ船、自衛艦ではありません)の船長が着る服で、袖には4本の金モールがついています。この帽子も船長のかぶる帽子です。商船では船長のことを「キャプテン」と呼びます。みなさんがクラブ活動で呼ぶ「キャプテン」と同じです。しかし、クラブ活動では、キャプテンを辞めるともうキャプテンとは呼んで貰えませんが、商船の場合は、船を下りても一生「キャプテン」と呼んでもらえます。これは世界共通のしきたりです。 私は61年前にこの本町小学校を卒業しました。それから勉強して帆船日本丸の船長になりました。これからみなさんにお見せするビデオは、アメリカの独立200年を祝って、各国の帆船がニューヨークのハドソン川に集まりパレードを開いたときのもので、日本からは練習帆船日本丸が参加しました。この時の船長は私でした。 ビデオの内容は、帆船日本丸に乗った若い人たちがマスト登りの練習から、帆の取り付け、帆の上げ下ろしの訓練を終わって太平洋に出て行くところから始まります。途中、大嵐にあったり、けが人を助けたり、いるかと一緒に走ったり、パナマ運河の近くではペリカンが飛んでいる場面も出てきます。それではビデオをみて下さい。 このようにして話を進め、パナマ運河を通過し終わったところではビデオをいったん止め、船長協会のDVDを使用してパナマ運河とスエズ運河の詳細を澤山会長から説明して貰うなどしながら、ビデオの映写を終わりました。 橋本船長の話(II)
(1)私が9月26日に本町小学校へ打ち合わせに来て東門から校庭に入ったとき、男の子から「今日は」と挨拶されました。その子に職員室の場所を聞いたところ教えてくれました。腕に包帯をして首から吊っていましたが、ここにいますか?立って下さい。(立ち上がってくれました)そのあと、後から女の子が追っかけてきて職員室の前まで連れていってくれました。ここにいますか?(立ち上がってくれました)二人ともありがとう。(場内、大きな拍手) (2)(OHP・暮らしを支える主要物資の輸入依存度のグラフで説明)
日本の国は四方を海に囲まれております。そのうえ国内には鉄を作る原料も、ガソリンを作る原油もありません。ですから私たちの生活に必要な品物はほとんど外国からの輸入に頼っています。
(3)私が1年生の1学期の終わりに初めて通知簿を渡されたとき、担任の先生から「進君は1学期は遅刻したことも休んだこともなかったナー、よく頑張った!」と褒められました。2学期も褒めて貰おうと思って頑張りました。そして6年間、1回も遅刻せず1日も休まずに卒業しました。いま思うと「学校を休まず頑張ってみよう」というのが私の夢であったような気がします。私の夢は実現したのです。
(4)私が船に乗って初めてホノルルに行ったときに買った本のなかに、船の人が帆船模型をビンの中に入れようと工作している絵がありました。これを見て、日本ではまだ見たこともないものだから、これを作ったらみんな驚くだろうなーと、秘かな夢をもちました。
(5)最後になりますが、みなさんの先生方も、みなさんが世の中のためになるような人に育ってくれることを夢みて努力しておられます。 |