IFSMA便りNO.67

ペルシャ湾

(一社)日本船長協会 理事 赤塚 宏一

 

はじめに
 昨年の春以来、ペルシャ湾が騒がしい。 これは2018年5 月にアメリカのトランプ政権がイラン核合意から離脱し、イラン制裁を強めることの結果であろうが、紅海に於いてはここ数年商船に対する幾つかの攻撃が報道されている。
 ホルムズ海峡上空を飛行していた米軍のドローンをイランの革命防衛隊が撃墜し、これに対してトランプ大統領が一時報復を検討したと報道されるなど一気に緊張が高まった。 しかし我々にとって衝撃的であったのは国華産業のタンカーが攻撃を受けたことであろう。  ここで中東情勢やペルシャ湾問題を解説、あるいは国際法、安全保障関連法を議論できるような能力は筆者には全くないが、中東における船舶航行の安全に対するIFSMA の対応と英蘭船舶職員組合(Nautilus)の機関誌“telegraph” に掲載された記事、さらにはかつてイラン・イラク戦争における日本船の被害などにもふれ、ペルシャ湾における航行安全の問題を考える糸口としたいと思う。
 また昨年11月には当会の船長教養講座として国際リスクマネジメント コンサルタントの山崎正晴氏が「最近の世界情勢における実効性のあるセキュリティー対策」と題して講演をされ、サイバー・セキュリティーや政治リスクなどと並んで中東問題にも触れられた。 まことに時宜を得た講演会であったが、拙稿ではこの講演も参照しながら話を進めたい。
 日本政府は昨年10月18日、中東情勢の安定と日本に関係する船舶の安全確保を理由に、ホルムズ海峡周辺のオマーン湾などへの自衛隊派遣を検討すること決めた。 そして米国主導の「有志連合」には不参加となる。
 一方、11月18日付のLRO ニュースによると「11月7 日、米国第5 艦隊が基地を置くバーレーンで、ホルムズ海峡海上保安連合(Coalition Task Force Sentinel)共同指令センターの発足式が豪・バーレーン・サウジアラビア・UAE・英・アルバニア・米の7 ヶ国の代表が出席して実施された。CTF Sentinel の警備対象海域は、アラビア湾・ホルムズ海峡・バブエルマンデブ海峡・オマーン湾とされている。 警備の方法としては大型のフリーゲート艦や駆逐艦が両海峡を警備し、小型の警備艇が両海峡の間の通過航路の警備にあたるほか、上空からも海上交通を監視する。」とある。


1.ペルシャ湾等で船舶が標的とされた最近の事案

 昨年(2019年)、ペルシャ湾で何が起きたのか少し時系列的にたどってみたい。
● 5 月12日 UAE のフジャイラ沖で停泊中のサウジアラビア籍のタンカー2 隻、ノルウェー船籍のタンカー1 隻、そしてUAE籍のバンカー船が何らかの妨害行為をうけて損傷
● 6 月13日 ホルムズ海峡近くのオマーン湾でタンカー2 隻が攻撃を受けた。報道などによると砲弾もしくはリムペットマイン(吸着型水雷)で攻撃されたもようで、船体が大きく損傷した。このうち1 隻は国華産業が運航するケミカルタンカーKOKUKA Courageous(パナマ船籍、19,349総トン)で、複数回の攻撃を受けたと発表された。 国交省や国華産業によると、同船はサウジアラビアからメタノール25,000tをシンガポールとタイに運ぶ途中だった。 乗組員はいずれもフィリピン国籍で全員避難したが、船を管理するシンガポールの会社の担当者は「1 人は軽傷を負った」と話した。
 被害を受けたもう1 隻はノルウェーのフロントライン社が運航するタンカー“Front Altair” で、エタノールを積んで台湾に向かっていた。
● 6 月21日 イラン革命防衛隊が、20日にイランの領空を侵犯した米国の大型UAV を撃墜したと発表
● 6 月21日 トランプ米大統領がツイートで、イランが米UAV を撃墜した報復として、同国への報復攻撃を一旦は命じたが、150人の犠牲者が出るとの報告を受け、攻撃10分前に中止したことを明らかにした。
● 7 月9 日 米国、「有志連合」結成を宣言
● 7 月10日 英国防省が12日、自国のタンカーがホルムズ海峡周辺でイランの船から進路を妨害されたとして、自国の商船の自由な航行を維持するため新たな艦艇を派遣することを明らかにした。ただ国防省は今回の艦艇の派遣について、すでにこの海域で展開している艦艇が保守点検に入るため、その交代として派遣することになったと説明している。
● 7 月19日 イランのメディアによると、革命防衛隊が19日にホルムズ海峡で英国のタンカー“Stena Impero” を拿捕したと明らかにした。イラン側は、サウジアラビアの港に向かっていた英タンカーはAIS を作動させず、革命防衛隊の警告を無視したため拿捕したと主張している。
 AFP 通信によると、同タンカーの所有者は「ホルムズ海峡の国際海域を航行中に、小型船数隻やヘリコプターに攻撃を受けた」と説明した。
●10月11日 紅海にてイラン船籍のタンカー“Sabiti” 爆発事故
●10月18日 日本政府、自衛艦の中東への独自派遣検討開始


2.ペルシャ湾とホルムズ海峡

 会員諸兄には無用のことかもしれないが、かつて国際タンカー戦争の舞台となったペルシャ湾を見てみたい。湾岸諸国8 ヶ国のうちオマーンを除く7 ヶ国は全てペルシャ湾を石油ロードとしており、世界経済における同湾の価値はすこぶる高い。ペルシャ湾は長さ約800キロ、最大幅約300キロ、平均水深は約40メートルで比較的浅いが、最大水深は湾口のホルムズ海峡付近で約170メートルであり、湾の形成は陥没による。
 湾内の海潮流は複雑であるが、大型船の航海に影響を及ぼすほどのことはない。また風、波浪も同様であるが、4 月から8 月に掛けては陸上から運ばれてくる砂塵や煙霧、いわゆるSand Storm の為に視界が制限され、またレーダーも影響を受けるため航海に難渋することがある。

 湾口のホルムズ海峡の最狭幅は対岸から約21マイル(39キロ)しかない。北岸はイラン、南岸はオマーンで、両国の領海(幅12マイル)が重なる部分には中間線が引かれる。またホルムズ海峡には分離通航帯が2 ヶ所設けられている。
 さて一般に、公海においては慣習法上の自由航行が認められている。他方、軍艦が他国の領海を通航する場合、国連海洋法条約では、沿岸国の平和や秩序、安全を害さない限り無害通航の権利が保障される(第19条)が、艦載機の上空飛行は領空侵犯となり、軍事行動や調査活動も制約される。
 一方、条約では、公海部分のない海峡で国際航行に使用される国際海峡は一種の公共財で、自由航行に近い通過通航が認められる(第38条)。すなわち、航行及び上空飛行の自由が継続的かつ迅速な通過のためなら認められている。
 ホルムズ海峡の場合、沿岸国であるイランとオマーンは、領海内の無害通航を主張して国際海峡の通過通航権を認めておらず、外国艦船の通航には事前通告・許可を求めている。 オマーンは海洋法条約の締約国だが、イランは非締約国であり、無害通航にも、船舶の種類や積荷を理由として無害性を否定するなどより厳しい制約を課している。


3.IFSMA(国際船長協会連盟)事務局長インタビュー

 IFSMA の事務局長が6 月及び7 月に英国タンカーのイランによる拿捕を受けて英国のB B C テレビやラジオなどのインタヴューを受けた。
 放送局側はアメリカ主導の有志連合に積極的に参加し、船舶及び船員の安全を確保すべきであるとの言質をとるべく誘導質問をおこなったようである。しかし事務局長は英国海軍出身で退役准将であるが、あくまで国際団体の事務局長としての立場を揺るがせにせず冷静な対応に終始した。事務局長自身がまとめてくれたメモによりインタビューの要点を列挙すると次の様になる。
1 .海運は世界経済・世界市民を支えるもっとも基本的なインフラであること。
2 .船長はいかにして貨物を安全にして、効率よく輸送するか文字通り昼夜を分かたず働いている。
3 .石油やL N G の最大の航路であるペルシャ湾が緊張関係にあるのはまことに由々しき事態である。
4 .しかし、いたずらに仰々しい言い方で危機感を煽るのは避けるべきである。
5 .護衛してくれる艦船が近くにいることは船長にとって心強いことには違いないが、そのような事が起きないことを切に望んでいる。
6 .船長・船員にとって望ましいのは関係各国の首脳が外交的努力をもって緊張を緩和することである。そして国際海峡であるホルムズ海峡の無害通航権・通過通航権を確保することである。
7 .武力行使では問題は一時的に治まることがあったとしても、根本的な解決には決してなりえず却って将来に禍根を残すであろう。
8 .船乗りは多少の危険は覚悟だろうと一般に人々は考えているかもしれないが、船乗りが1 年365日直面している危険は海賊であり、国際紛争であり、荒天であり、船舶が輻輳する危険な海域であり、人々の想像をはるかに超えている。
9 .今や世界の船舶は80%(総トン)近くがいわゆる便宜置籍船であり、乗組員も多国籍である。国旗を掲揚していたとしても、乗組員がその国の船員とは限らない。英国籍船とはいっても英国人船員が一人も乗っていないケースも多くある。自国の関係船舶といってもことは簡単ではない。

 かつての「砲艦外交」とは少し趣を異にするが、護衛艦隊を送り出したことで事態が打開出来るような単純な世界情勢でないことは退役准将の事務局長がもっともよく理解しているのであろう。


4.“telegraph” 9 月号

 Nautilus の機関誌“telegraph” に“Caught in the Crossfire” と題して、英国船の船長の手記に基づいてペルシャ湾内を航行する大型LNG 輸送船の運航実態の報告があったので、ここで一部抜粋してみる。船長の名前や本船名はセキュリティ対策の観点から明らかにされていないので本船船長は「船長」としておく。
 これを読むとあらためて、油タンカーやLNG 輸送船など危険物積載船である本質的な危険性に加え、国際紛争やテロやサボタージュ、そして海賊などによるさまざまな危険、そしてそれらにともなう山のようなペーパー・ワークを抱える船長の激務が想像できる。

ペルシャ湾内の航行
 『2019年の7 月はこのヴェテランのこの「船長」にとって見慣れた風景であった。多くのタンカーが行き来し、大型のLNG 船が欧州へ東アジアへ整然と向かって行く。いつもと違うのは自動小銃を持ち武装した民間武装警備員が乗船しており、ホルムズ海峡を無事通過すると船を止めて吸着型水雷などの爆発物が船側に取り付けられていないかチェックすることである。この「船長」は揚げ地から戻りペルシャ湾に入り、世界最大のLNG 積荷基地に戻ったところである。本船はまさに悪夢のようなスエズ運河のパイロットとのやり取り(Nightmarish Journey!)を経てペルシャ湾に来たのだが、スエズ運河は多分もっとも付き合いにくい場所だ。スエズ運河の南端で3 人の民間武装警備員が乗船した。そしてVLGC である本船は紅海にて武器保管船とランデブーし、警備員の使用する武器等を積み込んだ。民間武装警備員は指定された紅海の高危険水域(HRA High-Risk Area)では航海当直に従事し、そこを無事通過するとオマーン湾の近くで下船した。6 ヶ国からなる30人の船員はこの先、すなわちオマーン湾・ホルムズ海峡そしてペルシャ湾の奥深くにある積み地まで自分の身は自分で守るのが原則である。そこはまさしく6 月にマーシャル諸島籍のタンカー、“Front Altair” とパナマ籍の“Kokuka Courageous” が爆破されたところである。
 「船長」は毎週セキュリティー機関、例えば英国のW a r l i k e O p e r a t i o n A r e a Committee から最新の情報を得ているが、乗組員は通常国際的なニュース・エイジェンシー、例えば米国のCNN や英国のBBC のニュースを聞いて情報を得ている。

強いストレスと恐怖
 「船長」はオマーン湾を航行するのはストレスが多く、率直なところこわい、という。 そこがまだ戦争危険水域でなかった時だが、英国籍タンカー“Stena Impero” が拿捕されて一挙に緊張が高まった。本船の多国籍乗組員はイランあるいは地域の海軍による攻撃・拿捕・拘留の危険性を敏感に感じている。一方運航会社からはどの航海も予定通り完遂するようにとの明らかなプレッシャーがある、と「船長」は語る。乗組員は戦争危険水域(a warlike zone)を航海する時も高危険度水域(High Risk Areas)を航海するも特段のボーナスの支給はなかったという。
 そして乗組員は引き続き乗船するかどうかも確認されなかった。2006年の海上労働条約によれば、船主は法令若しくは契約で定義する戦争危険水域に向かう船舶で、船員が当該水域に赴くことに同意しない場合は下船させ船主の費用で居住国へ送還する義務があるはずだ。
 くかどうか問われても、まずNo!とは言わないだろうという。もし引き続き乗船することを拒否すれば、多分その船員はブラックリストに掲載され、次の乗船は難しくなるからだ。もちろん海上労働条約はブラックリストの作成を禁止しているが現実は違うようだ。
 この水域を航行した前航はいよいよ危険水域に突入するという直前になって、セキュリティー機関からブリッジの当直要員を増やし厳重に警戒するようにとの指示で、いやがうえにもストレスは高まった、という。そして舷側に有刺鉄線で柵を作り、消火ホースを用意するようにとの指示もあった。乗組員はオマーン湾からホルムズ海峡、そしてペルシャ湾内に全速力で航行するようにと指示があり、また「船長」自身も運航会社の本部と常時連絡をとり、また英国海軍の管轄する英国海上貿易運航局と連絡し、ホルムズ海峡通航に際して問題の無かったことを確認することを求められた。「船長」はこの付近の水域で多くの有志連合国の艦船から異常がないかどうか無線で報告するように求められた。これらの無線による多くの交信の中に、イラン海軍が米国の軍艦に対し、艦隊番号やヘリコプターを搭載しているか、小型の無人潜水艦を曳航しているかと問いただしていた、などというブラック・ユーモアまがいの話もあったという。
 5 月末にはフジャイラ沖における4 隻の船舶への攻撃を受けて、戦争(保険)委員会(Joint War Committee JWC)がオマーン湾、アラブ首長国連邦、ペルシャ湾を新たに高危険度水域に指定した。このことは「船長」は、これらの水域に入域する都度保険会社に逐一報告することを求められる。そしてただでさえ激務の船長に新たなペーパー・ワークを強いることになる。

国際協力
 「船長」は国際的な海軍による護衛と継続的な外交努力と対話が、オマーン湾や高危険度水域を航行する商船乗組員の安全を強化するものと考えている。これはNautilus も全面的に支持するところで、Nautilus はすでに英国政府に対し、相当な海軍力 “Significant naval resources” をこれら高危険度水域に派遣し英国船と船員を保護すべきと訴えている。
 Nautilus の事務局長のマーク・ディキンソンは多国間の緊密な連絡・協力がもっとも重要であり、それは多くのNautilus のメンバーが英国籍船以外の商船に多数乗り組んでいることからも当然である、としている。
 今航の積荷は東南アジア向けで、いうまでもなくその積荷の価値は莫大なものである。 「船長」は選択肢があるのであれば、誰もこの時期にペルシャ湾やオマーン湾を航海したいとは思わないであろう、という。「船長」の望みは国際社会が早急に外交努力をして、この政治的な緊張関係を緩和し、安全な海を取りもどし、次世代の船員が彼等の家族を養うために彼等自身の生命を危険にさらすことのない時代がくることである。』


5.イラン・イラク戦争

 現在のペルシャ湾・ホルムズ海峡の緊張が1980年から8 年間続いたイラン・イラク戦争のような悪夢の再現とならぬことを祈るばかりだが、万が一の有事に際してはイラン・イラク戦争の経験も役に立つこともあろう。
 イラン・イラク戦争では多くの会員諸兄が苦労され、その経験も忘れ難いものがあると思う。イラン・イラク戦争における日本関係船舶の苦闘についてはいずれ書いてみたいと思うが、ごく簡単に触れておきたい。
 イラン・イラク戦争は宣戦布告の有無は必ずしも明確ではないが、ここでは1980年9 月22日のイラク空軍によるイランの航空基地爆撃をもって開戦とし、1988年8 月20日安全保障理事会決議598号受諾をもって終戦とする。 イラン・イラク戦争では、タンカーをはじめ一般商船に対する苛烈な攻撃が行われ、そのことは「タンカー戦争」とも呼称されている。 その詳細は “Tanker Wars: The assault on merchant shipping during the Iran Iraqconflict, 1980−1988” なる本に詳細に記録されている。
 戦争全期間を通しては海運情報筋によると546隻が被害(406隻が被弾ともいう)を受けており、333人が死亡し、317人が負傷したと言われる。うち日本関係船舶は19隻で、日本人船員は2 人が犠牲となった。その一つは1985年2 月18日に“Al Manakh” (クウェート籍、32,534総㌧、コンテナ船、商船三井配乗による同社日本人乗組員25人、)がコンテナ1,446個(20FT 換算)を積載しバーレーンよりアブダビ向け航行中、同日15:35(現地時間)アラブ首長国連邦の北方、25−38N、53−01E で(イランのF 4 機と思われる戦闘機からの)ロケット弾4 発を被弾し、乗組員の1 人が死亡し、他1 人が負傷した痛ましい事例がある。
 筆者のクラスメートでイラン・イラク戦争当時、タンカーの一等航海士であった故佐藤健三君の手記を下記に引用するが「タンカー戦争」下のペルシャ湾の航行が如何に困難だったが判る。

 「イラン・イラク戦争が始まり、イランに依る無差別攻撃が行われるようになってから、ペルシア湾出入湾時、日本船及び日本人船員乗り組みの仕組船などは、ほぼ同時刻に出入湾する船舶を、外航労務協会によって、適宜、組み合わされ、各社を通して該当船に知らされる。本船はそれを受けて、指定時刻にランデヴー・ポイントに向かい、数隻の船舶で一列縦隊のCONVOY を組み、ペルシア湾々口のLITTLE QUOIN の前後数哩を航行することになる。 一番船に指名されると、主要地点の通過時刻、変針、船速、怪しい船や異常の有無等、都度、後続船に伝え、後続船も、適宜、報告しあい、その后、各々自船の目的地へ向かうのである。異常な状況下で緊張を強いられる船にあって、日本船同士のこの「会合」は気持ちを和らげて安心感を与えてくれた。 この時期、よく羊の頭が流れて来たが、角が丁度、機雷の触針のように見え、騒ぎの原因になった。船外機を取り付けた小舟艇が二人乗りで高速で走ってくると、イランのガンボートではないかと緊張させられもした。 ドバイ沖では、イランに依る攻撃を受けたタンカーが、船橋付近に黒く焼けた跡を見せて瀬取りしているのを見掛けたこともある。
~以下略」

 英国ではNautilus が運営する船員のための老人ホーム(retirement estate) “Nautilus Mariners’ Park Care Home” がある。そこではボランティアによる「船員のライフ・ストーリー・プロジェクト」が動いているが、それは退職した船員の海上生活に関する聞き取りをして、記録に残す作業だという。そのなかの一つにタンカー戦争の真っ只中の1985年3月にカタールの沖でリベリア船籍のVLCC“Caribbean Breeze” (236,907 ton) の船長であったCapt McCaffrey の記録もある。本船はイラン空軍のミサイル攻撃を受け、34名の乗組員のうち10名が負傷、乗り合わせていたワッチマンが死亡、船長自身も重傷を負い、米国軍艦に救出されまでの2 日間、自分自身で痛み止めのモルヒネを注射し何とか耐えたという。彼の船乗りとしての人生を一冊の本にまとめる構想があるそうだ。
 “Nautilus” は戦争や国際紛争による戦争危険水域での航行に関する情報や経験を集める目的で “D o y o u h a v e e x p e r i e n c e s o f transiting warlike zones as a merchant seafarer ?” なるプロジェクトを立ち上げ、“Tell your story by emailing” と呼びかけている。

おわりに
 船長・船員の切実な願いは「平和な海」である。商船は戦争、国際紛争、テロ、サボタージュ、海賊等々、その都度攻撃の対象となってきた。そして商船は全くの丸腰・素手なのである。それどころか危険物積載船であればそれ自体が、火薬庫みたいなものであろう。 イラン・イラク戦争においては、この丸腰の商船が少しでも被害を避けるために涙ぐましい努力をしてきた。資料によれば
 「中立国・非紛争当事国表示を徹底し、このために日章旗の常時掲揚、船体の舷側や甲板上に巨大な「日の丸」(大型タンカーでは18mx12m の100畳(ママ)くらいの日の丸)を描き、必要に応じて昼間航海や船団航行をするなどして就航する。
 さらに、船員居住区及び船橋には土嚢を積み上げ、乗組員は常時安全帽や防弾コートを着用する。休息時や就寝時にも常時身近に救命胴着、防弾チョッキ、トーチランプ、軍手、安全靴、タオルなどを揃えておくなどの極めてプリミティブな対処しか出来ない。
 一部の外国船では船橋両脇を防護するように高さ1 メールほどの鉄壁が筋交いに2 枚立てられており、人間はその間をジグザクに走り込むようになっている。全てのガラス窓には、強い化学繊維で編み込んだ布が取り付けられ、それぞれは巻き上げられ紐で止める。 船橋の隅には土嚢で二人入れるほどの避難スペースを確保する、などの対策を講じていた。」
 しかしこのような対策は現代の精密かつ強力な兵器の前には何の意味もない。日の丸の表示もイラン・イラク戦争では日本船と判明して敢えて攻撃を受けた例も報告されている。
 「平和の海」の実現はひとえに外交努力につきるのではないか。昨年9 月にヘルシンキで開催されたIFSMA の総会で一部の役員の間では、このペルシャ湾危機を機会にペルシャ湾・ホルムズ海峡の航行安全を目的とした国際セミナーを開催するよう政府機関あるいは有力海事団体に働きかけてはどうかとの話が交わされた。残念ながらIFSMA が音頭を取って国際会議を開催するような実力のないことは実証済である。
 セミナーの主題は「ペルシャ湾・ホルムズ海峡の航行安全の確立」である。そのためにはホルムズ海峡の法的な地位の、国際海峡としての通過通航権、領海としての無害通行権の確立、無害航行認定の基準の確認、通峡・通航に関し必要ならばその手続き・連絡事項などを、あくまで航行安全の見地から地域の当事国とともに考えるのである。
 「タンカー戦争」どころか一隻でもまた一人の船員も犠牲にならないように祈っている。


参考資料

1 .“telegraph” September 2019
2 .2019年11月8 日日本船長協会 第93回 船長教養講座
 「最近の世界情勢における実効性のあるセキュリティー対策」
 講師 株式会社 亀屋 代表取締役社長 危機管理コンサルタント 山崎正晴
3 .鳥井順 「イラン・イラク戦争」 第三書館 1990年
4 .朝日新聞 日本経済新聞
5 .「第二次世界大戦以降の国際紛争と日本関係船舶」 赤塚 日本海洋政策学会誌 第9 号 2019年
6 .LRO ニュース
7 .「神戸商船大学航海科七期生 卒業50周年記念文集」2012年
8 .「ビジュアル テキスト 国際法」 有斐閣 2017年
 


LastUpDate: 2024-Nov-19