災害時支援船とその実証訓練
(一社)日本船長協会 理事 赤塚 宏一
はじめに
今年は阪神淡路大震災が起きてから25周年となる。神戸では復興の街づくり事業は2011年にほぼ終わり、火災被害の大きかった神戸市長田区の一部を残すのみとなり震災の爪痕も目立たないが、被災者らが暮らす災害復興公営住宅の高齢化率(65歳以上)は53.7%(2019年11月末時点)となり、兵庫県内の一般県営住宅の38.5%と比べても際立っている。
災害復興公営住宅では今も孤独死があるなど傷は癒えているわけではない。それでも阪神淡路大震災を経験した人々は震災の教訓を胸に、それぞれが出来ることを地道に遂行し、それを次世代や世界に伝える努力を惜しまないように思われる。
震災当時、筆者はロンドンに駐在していた。深夜帰宅して何気なくつけたテレビが “Greatearthquake in Central Japan” と放送しているのが耳に入った。慌ててテレビの前に座り込んだが詳報はない。不安な気持ちで床に就いたが、翌朝テレビで見る神戸市内の火災の凄まじさに息を呑むばかりであった。知人・友人の安否確認、ロンドン在住の知人との情報交換、そして海洋会員での義援金の拠出などを行った記憶がある。この凄まじい修羅場のなかで、神戸商船大学の白鴎寮の寮生が住民の救助活動に多大な貢献をしたとのニュースは一時心を和ませた。災害列島であるわが国にあっては、常に備え、そして減災、縮災に務める必要があると思われる。
それで今回は国際海事事情をお伝えする代わりに2020年1 月12日、神戸港で実施された災害時支援船の実証訓練について報告したい。
これは阪神淡路大震災の時に電気・ガス・水道などが使用不可となり、また医療機関も被災していたため、平時であれば救うことが出来た可能性があった被災者に適切な対応が出来なかったことや、災害時に透析患者に対する処置や、慢性疾患の悪化、車中泊や避難生活の困難さなどから亡くなるいわゆる「災害関連死」を防ぐために、フェリーを利用して要医療・介護者を近隣の避難地へ移送する訓練である。
この災害時に医療支援のために船舶を活用する構想は神戸商船大学の井上欣三教授(当時 現在 神戸大学名誉教授 以下:井上教授)が阪神淡路大震災(1995年1 月17日)直後から神戸港における民間船活用の実態調査に乗り出し、その年の9 月には日本航海学会誌第126号に「地震災害と船舶の活用―阪神淡路大震災における船舶の活用実態と問題」と題して学会発表を行っている。
その後日本透析医学会等医学関係者や日本財団、国土交通省等の関係先と連携や情報の交換を行い、災害時における船舶の活用につきその実現に努めてきた。2012年にはこの構想を公助のしくみとして実現させることを目標に「災害時医療支援船構想推進協議会」の発足が宣言された。以下に「災害時支援船活用委員会」の設立趣意書を参照しながら災害時における船舶の活用についての構想について紹介し、これに基づいて行われた「定期フェリーを利用した「支援船活動」実証訓練」について報告したい。
1.「災害時支援船活用委員会」
2018年11月に「災害時医療支援船構想推進協議会」の中に「災害時支援船活用委員会以下:委員会」が設置され、理事会、検討部会による具体化への協議が進められた。委員長は井上教授、副委員長には兵庫県医師会名誉会長の川島龍一先生、事務局長は森隆行流通科学大学教授である。筆者はこの検討部会の一つである船隊部会に所属することによって初めてこのプロジェクトに参加することとなった。
設立趣意書案によれば委員会は「船と医療の連携を柱とした被災者支援 -そのあり方を検討する民間組織の結成-」を先ずもって
目的としている。
そしてその背景として、「日本は地震、火山、洪水などの自然災害が多発する国であり従来から様々な対応策が講じられてはいるものの我が国が海洋国であることを忘れたかのように、船を災害時支援に積極的に活用しようとする視野は狭い。」としている。災害時に船を活用して被災者支援を実現するアイデアについては1995年1 月に発生した阪神淡路大震災の経験を踏まえてこれまで成果が蓄積されてきた。なかでも、2001年9 月以降に活動が具体化された、災害時に民間船の協力を得て医療界と連携して被災者の支援に当たろうとする『災害時医療支援船構想』 (阪神淡路大震災以降、井上教授を中心に協議されてきた被災者支援モデル)は、2013年3 月「災害時医療支援船構想推進協議会」の設立を機に、それまで検討の中心だった小型船の輸送機能を活用して透析患者を近郊都市に運ぶ患者搬送モデルから、医師会等の協力を得て被災者を中大型船の船内に収容して船上で災害関連死を防ぐ機会を提供する避難所船モデルの開発へと検討が進んだ。
2015年7 月には「災害時医療支援船構想推進協議会」の中に、避難所船モデルの社会的実現を目指した行政との連携協力検討会議(避難所船官民会議) が設置され、官民関係者間の連携のあり方について議論が行われた。
その後、2016年9 月に官民会議が収束し、2017年2 月には内閣府により避難所船モデルの実証実験が神戸港において実施された。このように「災害時医療支援船構想」における船の機能活用の検討はこの段階でひととおり完成したといえる。
しかしながら、いざというときに、誰が船を活用した被災者支援を企画するのか、誰が船をどこから調達するか、また、誰が責任主体となって支援を実施するかについてなど官民の役割分担はいまだ明確ではない。一方、熊本地震以来、DMAT 《Disaster Medical Assistance Team の頭文字をとって略して「DMAT(ディーマット)」と呼び「災害急性期に活動できる機動性を持ったトレーニングを受けた医療チームで厚労省管轄組織」》とJMAT 《Japan Medical Association Team「JMAT(ジェーマット)」と呼び被災地における日常医療支援をする日本医師会災害医療チーム》 が連携して災害発生直後の超急性期医療から慢性期医療まで切れ目のない医療活動が行われるようになりつつあることから、今後は発災直後から同時多発的に混在する急性期医療、慢性期医療、介護福祉ニーズへの対応や、一昨年の西日本豪雨の例にも見られるように病院の外来患者が多数帰宅困難となり、病院内の公共スペースに収容せざるを得なかった事例など新たな支援ニーズへの対応も挙げている。
このような「災害時医療支援船構想推進協議会」が積み残した課題や新たな課題に対処するためには、今後の医療介護福祉活動の進展に即した更なる船の活用を協議するとともに、さらに、船と医療が連携する活動を主体的に実施する立場にある組織が参照可能な運用のガイドラインを策定し、また、それに必要な船の調達のあり方を検討する場が必要となる。
その意味から、これら積み残した課題や新たな課題を解決する場として「災害時支援船活用委員会」が設置された。
委員会の目標は災害発生時に船舶活用と医療連携を柱とする被災者支援の実践を行動戦略として、以下の三点の実施を行動目標とする。
1 .DMAT 医療と JMAT 医療の連携進展に即した新たな船の活用のあり方について協議するとともに、ほかにも想定される被災者支援に向けた船の活用のあり方について検討する。
2 .災害時に船を活用して被災者支援を行う活動については本来的には国・自治体等が主体となって実施することが望まれるが、国・自治体等が災害発生時に実際にこの活動を主体的に実施する際に参照可能な運用手順のガイドラインを策定する。
3 .災害時支援船活用委員会は、策定された運用手順に沿って継続的に訓練を行う。そして、訓練を通じて船舶活用と医療連携を柱とする被災者支援のあり方を社会に提起し、社会的認知の深化をもって国・自治体等による被災者支援の実施へと導く。
そして、災害時に船をどのように調達し、誰が責任主体となって支援を実施するか、その手順をマニュアル化する、としている。
2.実証訓練
実証訓練は、神戸を被災地として想定し、要医療・介護、人工透析を必要とする患者や在宅患者などを定期フェリーで小豆島に移送し、透析患者の受け入れ可能な小豆島中央病院まで輸送する、また車中泊をする被災者をオートキャンプ場で受け入れるなどを実際に行うものである。
1 月12日(日)当日は天気予報では雨も予想され雲は厚く垂れこめていたが、幸いにも神戸も小豆島も降水は殆ど無く、また寒さもそれほどではなかった。
朝7 時半、神戸港三宮フェリーターミナルで実証訓練の出発式が行われた。三連休の中日にもかかわらず赤羽国土交通大臣、久元神戸市長、大坪海事局長、高田港湾局長、その他国会議員、市会議員等多数の来賓があった。
地元神戸選出で衆議院厚生労働委員長を務める盛山議員も出席されたが、盛山議員は乗船してその後の実証訓練にも参加された。その他国土交通省関係者、神戸市、小豆島町、高松市の関係者も出席していた。来賓の挨拶では国土交通大臣、神戸市長とも災害に備え、国として地方自治体として減災・縮災に務める覚悟とこの実証訓練にかける期待を語って心強いものであった。
出発式が終わると直ちに乗船である。参加者は実行委員会・スタッフ、国土交通省や地方自治体、医療関係者、難病連・腎友会など要介護者、マスコミ、ボランティアなど総勢約80名である。マスコミ関係者はサンテレビ、関西テレビのクルー、時事通信、海事プレスなどである。筆者はボランティアで高齢の徒歩避難者という役割であるが、自家用車車中泊避難者という役割もあった。この場合は自家用車で乗り込むのである。
参加者の中には特定非営利活動法人である神戸アイライト協会の理事長も参加されていたが、この方は同じく日本歩行訓練士会の会長も務めておられる。この歩行訓練士とは視覚障碍者の白杖歩行等の歩行方法を指導する専門職だそうである。筆者のマンションにも白杖を使用しておられる方があり、エレヴェーターの乗り降りなどにはお手伝いするように気をつけているが、恥ずかしながら白杖歩行にも当然それなりの訓練が要ることを初めて知ったようなわけである。なお、白杖は障碍の程度や環境や体格などに応じて適切な物を選ばねばならず協会はその助言もするが、白杖の種類は120種にも及ぶそうだ。
このような視覚障碍者の避難にも当然ながら配慮しなければならない。
今回実証訓練に提供されたのは加藤汽船所有の “りつりん2 ”、ジャンボフェリー(株)が運航し神戸-小豆島-高松を結んでいる。“ りつりん2 ” は1990年建造、3,664総トン、定員475人、積載能力は8 トン・トラック 61台である。
船齢は30年と少々古いが船内は快適である。
うどん県を名乗る香川県の小豆島・高松を結ぶフェリーであるところから、船内には讃岐うどんの立ち食い所もあった。本船は予定通り8 時に小豆島へ向けて出港した。出港後、船内の見学や船内環境の調査、参加者向けのブリーフィング、そして災害時における被災者の移送、受け入れ、船舶や交通手段の提供などについて自治体・関係団体の相互協力連携協定書の早期締結にむけて、井上教授を議長として関係者の熱心な意見交換会が行われた。
11時半には予定通り坂手港に入港である。
港には小豆島町長や関係者が出迎えていた。
下船後、二班に分かれて見学である。要医療・介護避難者、在宅患者避難者、応援医療関係者は小豆島中央病院へ陸路移動、そこで医療環境調査及び医療支援協力などの打ち合わせを行った。筆者は第二班でオートキャンプ場の見学に行った。被災者が自家用車で避難してきたときの受け入れ先を想定したものである。オートキャンプ場は一区画が広くプロパンガス利用による野外の炊事設備もあり、また写真にあるようにトイレ・シャワーもある。
申し分無いようだ。
オートキャンプ場見学後、小豆島ふるさと村に向かい、避難民受け入れが想定される国民宿舎などを見学した。
そこで医療関係者と合流し食事となった。ここでアンケートに回答し、後日速報が配信されたが、概ね実証訓練と被災者の移送について良好乃至は前向きな評価を得られていた。少し紹介すると、
「災害発生時、あなたは域外避難を選択しますか?」という問いに対しては、約50.0%が域外避難を選択し、35%強が有効と思うが選択しない、である。また「フェリーを使った域外避難という考え方は有効な被災者等の支援策となると思うか?」に対しては、「なると思う」が96%弱であった。
そして、「避難する際のフェリーの運賃や避難生活場所の費用負担についてどう思うか?」については、「国や自治体が全額負担する」が41.7%、「利用者が負担するも、一部を国や自治体が負担」と答えたのが50.0%となった。このアンケートの結果はコメントも含めてさらに分析されるであろう。
午後3 時15分にフェリーは坂手港を出港したが、船内では実証訓練参加者のミーティングが行われた。そこでは参加者の感想や、船内のバリアフリーに関する提言、患者のプライバシー保護の問題、このプロジェクトの実現を強く望む声、関係者への感謝の言葉などがあった。筆者にとってもっとも印象として残ったのは、最後の挨拶に立った兵庫県医師会名誉会長で委員会副委員長の川島先生の言葉で、
「阪神淡路大震災で震災関連死が1000人近くであった。この手痛い教訓を生かすつもりだったが、東日本大震災では災害関連死が3700人にも上った。これは教訓を生かせなかった医療関係者、行政、国の怠慢と言わざるを得ない。いずれにしてもこの実証訓練は始まりの一歩。」であった。
本船は予定通り午後6 時20分に神戸港に着岸、下船・解散となった。
今回の実証訓練について、関係者のインタビューが行われたが井上教授は「訓練を生かして実質的な(避難の)仕組みを作り上げたい。今回をモデルケースに、定期航路がある他の地域にも広がってほしい」とし、またフェリーを提供したジャンボフェリーの加藤琢二会長は「船は災害に役立つ輸送機関だ。
ドライバー不足で注目されるようになっているが、人の輸送も頑張りたい。災害時の活動にも取り組んでいきたい」と話した。
おわりに
実証訓練の後、このプロジェクトがどの程度世間に認知されたか、しばらく主要日刊紙及びテレビなど丹念に読んだり視聴したりしたが、殆ど触れられなかったようである。
1月17日の阪神淡路大震災の25周年には各日刊紙も特集ないし一面で大々的に報じたが、船舶の活用に触れたものは筆者の知る限り無かった。そのなかで海事プレスの坪井関西支局長が1 月16日付で報じた記事は嬉しかった。
「災害時支援船活用委員会」設立趣意書の冒頭にあるように四面環海のわが国にあっても船舶に関する認識は薄く、災害時に船舶を活用しようとする発想は浮かばないようだ。
実証訓練では、現在の医療は電気・ガス・水道と言った基本的なインフラの供給を前提に成り立っており、実証訓練参加者の殆どはこれらインフラを自己完結的に確保出来る船舶が如何に有用か異口同音に述べておられたが、一般社会ではそのような認識はまだまだ無いようだ。参加された国会議員・市会議員の方々を始め行政当局などの社会的に影響力をお持ちの方々の発信を大いに期待したい。
一方私達海事関係者は各種の団体やグループを組織し、長らく海事思想の普及に努力してきたが、まだまだ努力が足りないのであろうか。
海事社会にどっぷり浸かっている身としては、あそこでこんな活動をやっている、あの団体もこんな活動をやっていると、いささか情報過多のような感じもするのだが、それは極めて範囲が限定された活動なのだろうか。
外国におけるこの種の支援活動については残念ながら情報が殆どないし、筆者も知らない。病院船そのものはかなり配備されているようだ。かつてNATO の商船部会小委員会の議長をやっているというドイツ船主協会の副理事長が、最近の議題はもっぱら商船による災害対策・支援が主だと言っていた記憶があるのみである。
災害時における支援の為の船舶の活用については、日本海難防止協会の情報誌である「海と安全」の2014年春号 (N.560) が【特集】 として「大災害時における船舶の役割」を取り上げている。主なものを挙げると東京海洋大学の庄司るり教授による「大災害時に貢献した船舶と今後果たすべく役割」、浅野成隆名誉教授(東大・早大)の「災害時・非災害時両面で医療対応が可能な民間病院船団の必要性」、国土交通省海事局内航課「大規模災害時における民間船舶活用に対する期待と課題」、全日本船舶職員協会の内田会長による「大災害時における船舶の活用策」、新日本海フェリーの佐々木常務による「大規模災害時のフェリーの役割と課題」、さらには編集者による「クルーズ客船「ふじ丸」の被災地での支援活動」というインタビュー記事もある。
いずれも2011年の東日本大震災を体験し、実際に災害支援に携わり、支援策を講じる、あるいは活用策を模索した経験を踏まえての貴重な報告や提言である。机上の空論ではない。
災害時における減災・縮災のための支援が如何に重要かは言を俟たず、また支援の為の船舶の有用性、その活用の必要性、実際の支援活動における問題点や課題は余すところなく述べられている。
しかし残念ながらこのような支援策が具体的に準備されているようには思われない。
問題点はこうした船舶の活用を災害に備えていかに組織化するかにあるのであろう。
委員会設立趣意書でも指摘されているように、「誰が船をどこから調達するか、また、誰が責任主体となって支援を実施するかについてなど官民の役割分担はいまだ明確ではない。」ことであろう。
今後、行政がどこまで取り組んでくれるかが大きなカギとなるであろう。しかし行政のみでは大災害に対応しきれないのは明白で、地域の力、民間の力が必要なのは言うまでもない。「公助」に加え、主体的な避難行動・準備、近隣で助け合う「共助」、さらに民間が主となる「民助」も極めて重要であろう。その意味で、今回の実証訓練が「始まりの一歩」、そしてこの「船舶活用」の為の大きな起爆剤となることを願っている。
本誌が会員諸兄のお手元に届くのは恐らく東日本大震災の発生した3 月11日頃ではないだろうか。震災記念日に防災について考える機会があればその参考として頂ければと思う。
震度7 という等級は1948年死者3769人となった福井地震の翌年に定められたという。
その後46年間は震度7 となる地震は無かったが、1995年の阪神淡路大震災以後は震度7 が続発した。
新潟県中越地震、東日本大震災、熊本地震である。
そして南海トラフ巨大地震も首都直下地震もここ30年の内に70%から80%の確率で起きると言われる。私達は今「災間」を生きていると言われる。それは「いつとは知れず、しかし確実に近い将来起こるはずの大きな災害までの、ほんのつかの間の猶予期間を生かされているのだ」そうだ。
ボーイスカウトのモットーは「そなえよつねに」 “Be Prepared” だが、船乗りのモットーも常時 “Stand-By” ではなかろうか。
そして災害弱者への視点を決して忘れてはならない。それは私達自身でもあるからだ。
参考資料
1 .災害時支援船活用委員会 (設立趣意書)
2 .海事プレス 2020年1 月16日(木)
3 .日本海難防止協会情報誌「海と安全」の2014年春号( N.560)
4 .朝日、日経、毎日、読売、産経、神戸新聞