IFSMA便り NO.95

“次世代燃料と船員教育”

(一社)日本船長協会 理事 赤塚 宏一

 

はじめに

 昨今、気候変動の脅威について情報に接しない日はない。今夏の酷暑もこれ全て地球温暖化の影響とあれば当然のことであろう。そして温暖化は殆ど人間の活動に由来するものであれば、何としてでも我々として出来ることをしなければならない。
 私達の関わる海運は空運などと並んでCO₂の排出削減が難しい産業ともいわれている。最近SF小説“The Ministry for The Future”by Kim Stanley Robinson(『未来省』 瀬尾具実子訳 パーソナルメディア株式会社発行)を読んだ。昨年末新聞の書評でも紹介されたのでご存じの方もあろうし、またすでに読まれた方もおられるだろう。

 本書は何としてでも気候変動の脅威に立ち向かい、これを解決しようという人々の物語である。冒頭、2025年(! !) の夏、熱波で2000万人が亡くなるインドが描かれ、その衝撃的な場面に我が事のように怯えた。大惨事の起きる直前、熱波の襲来を察知した人々は、国連に未来省という組織を発足させる。そして未来省の長官であるアイルランドの女性外交官メアリー・マーフィーを中心に事態は動く。気候工学の手法を利用して航空機で大量のエアロゾル(火山から噴出されるのと同じ二酸化硫黄やその他の化学物質とされている)を放出し日射を阻むという荒っぽい手段も取られたが、最終的には多くの人々の努力や活動が実り、気候変動脅威に対抗する枠組みは何とか構築されるという少しは希望の持てるSFである。その根本的対策は「炭素非排出・吸収・固定という「行為」により価値を創造して発行する通貨としてブロックチェーンを利用した「カーボンコイン」を提供する」となっており、これが効果を上げる。残念ながら筆者にはこの仕組みが殆ど理解出来ない。
 文中では過激な環境テロ組織によるプライヴェート・ジェットの撃墜とか重油を焚くすべてのコンテナ船の撃沈と言った話も出てくる。この箇所は一寸長いけれど引用してみる。
 “~ container ships began to sink, almost always close to land. Torpedoes from nowhere: a different kind of drones. It was noticed early on in this campaign that ships often went down where they could form the foundations for new coral reefs. In any case, they were going down. They ran on diesel fuel, of course.”
 重油焚きのコンテナ船がどこからともなく発射される魚雷によって陸地近くのサンゴ礁の土台となりそうな海域で次々と沈められる、という荒唐無稽な話である。これは一般の人々にとってプライベート・ジェットとならんで船舶は大量に温室効果ガスを排出していると映るのだろう。
 海運における脱炭素化については言うまでもなく多くの手段が講じられている。それらは日々の業界紙・誌やネットの見出しに踊るが、かねてよりこれらの新技術やシステムと直接対峙する船員の教育・訓練はどうなっているのか気になっていた。そしてこれは決して機関部・機関士だけの問題ではないはずだとも思っていた。
 船級協会のDNVは“Insights into seafarer training and skills needed to support a decarbonized shipping industries”と題する長大な報告書を発表しているが、これによると2050年までに船舶の次世代燃料・推進システムのために75万人の船員の教育・訓練が必要としている。
 本件に関して英国船舶職員組合Nautilus I n t e r n a t i o n a l(以下:組合)の機関誌“TELEGRAPH”May/June 2024号は特集記事として“FUEL TRAINING FOR A JUSTTRANSITION”を掲載していのるので、これをベースに次世代燃料に関わる船員の教育について紹介したい。もとより筆者には脱炭素化はもちろんこの教育・訓練について包括的に論ずる知識も見識も充分持ち合わせていないので、あくまでこの特集記事に少しばかりの解説や情報を付け加えて再構成したものであることをお断りしておく。
 “TELEGRAPH”の特集記事は上記のタイトルのもとに4 本の記事からなっている。以下に順を追って紹介しよう。

新燃料とは何を意味するか?
“What do we mean by new fuels?

 現在の重油/ディーゼル油に替わる次世代燃料についてはその組み合わせにより多くの種類があり、次世代の燃料として最終的に最も優位に立つのはどれかについては未だ意見が分かれている。すでにこれまで使用されているもの、あるいは実用化可能な次世代燃料について長所/短所を簡単に述べる。

1 .水素
 ―  燃料として使用された場合、温室効果ガスは排出しない。酸素と水を排出するのみである。
 ―  世界的なマーケットがほぼ形成されている。
 ―  大量の水素を長期間保存できる。
 ―  水素燃料電池として現存船に適合しやすい。
 ―  適切に保管及び取り扱わないと爆発の危険性がある。
 ―  高圧または低温での貯蔵が必要で、インフラ整備にコストがかかる。
 ―  現在の製造方法では、主に化石燃料を使用しているため、全体的なCO₂ 排出量の削減効果が限定的。
 ―  エネルギー密度が低いため、巨大な貯蔵庫が必要。
 ―  水素の燃焼によりNOxの熱的生成につながる可能性がある。

2 .アンモニア
 ―  燃料として使用したときNOxを排出することがあるが、温室効果ガスはほぼ排出しない。
 ―  輸送と保管、取り扱いが比較的容易。
 ―  引火性は低い。
 ―  生産プロセスで多量のエネルギーを消費し、現行の大部分が化石燃料依存。
 ― 極めて毒性が強い。
 ― 極めて腐食性が強い。

3 .バイオメタノール
 ―  再生可能資源から製造可能で、カーボンニュートラルな特性を持つ。
 ―  低濃度のNOx、SOx及び特殊ガスの排出。
 ―  エネルギー密度が比較的高いため貯蔵庫が少なくて済む。
 ― 殆どの現存機関で使用可能。
 ― 液体のため取り扱いが容易。
 ―  大量生産には限界があり、供給が不安定。製造コストが高く、経済的競争力が低い。
 ―  燃焼時に一酸化炭素(CO)やフォルムアルデヒドを生成する可能性がある。

4 . 風力推進
 ―  長距離航海にはメリットあり。
 ― 他の再生可能エネルギーと併用可能。
 ― 持続可能。
 ― 騒音の可能性。
 ― 風向・風力共に不安定で限定的。
 ―  大きな設備投資が必要で設置場所が制約。
 ― 大きなスペースが必要。

5 .LPG
 ― 貯蔵が容易。
 ―  伝統的な舶用燃料に比べてSOx、NOx及びCO₂の排出量が少ない。
 ―  供給インフラが整っており広く世界的に利用可能。
 ― 引火性が高く危険性が高い。
 ― 価格変動が激しい。
 ―  伝統的な舶用燃料と比較してエネルギー密度が低い。

6 .LNG
 ―  伝統的な燃料と比較してNOxの排出量を80%まで削減しまたSOx粒子をほぼ除去する。
 ― 毒性はなく腐食性もない。
 ― 世界的に調達可能。
 ―  化石燃料であることは変わりなくCO₂を排出し、また燃焼中に燃えなかったメタンガスを排出することがある。
 ―  伝統的な燃料よりエネルギー密度が低い。
 ― 大気に触れると可燃性のガスとなる。
 ―  極超低温で貯蔵せねばならず取り扱いが難しい。

7.陸上充電式蓄電池
 ―  グリーン・テクノロジーで生成された電気で充電されるのであれば環境に対する負荷はゼロ。
 ― 入港する機会の多い船舶には実用的。
 ― 騒音公害を削減。
 ―  依然として効率が悪く、必要なエネルギーを得るためには膨大な量の蓄電池が必要。
 ―  高価な蓄電池の寿命や廃棄処理に課題がある。

次世代燃料取り扱い教育・訓練に何を望むか?
“What do we want from new fuels training?
 

 組合は2023年10月に開催された総会で “Future-proofing skills and Training”(未来 志向の技術と訓練)と称する総会決議を採択 したが、これはとりもなおさず次世代燃料取 り扱い及び推進システムに関する教育・訓練 の充実を要請したものである。総会決議では 次の2 点が強調されている。
1 .“Maritime Just Transition Taskforce”(「海事に関する公正な移行タスクフォース」)を構成する国際メンバーと海事従事者の利益のために協働していく。
2 .海事従事者が自己負担なしに必要な教育・訓練を受ける事が出来るようにする。
 この“Maritime Just Transition Taskforce”は「海事公正移行タスクフォース」と訳したがこれは2021年グラスゴーで開催された第26回気候変動枠組条約締約国会議(COP26)で設立された前例のないイニシアチブで、海運業界の気候変動脅威への対応について船員を解決策の中心に据えることを目的としている。 これには国際海運会議所(ICS)、国際運輸労連(ITF)、国連グローバル・コンパクト(U N G C)、国際労働機関(ILO)、国際海事機関(IMO)など海事関連の国際機関、労使団体など多くの機関が参加している。
 背景として、国際れ等の次世代燃料は前述のごとく、従来の重油/ディーゼル油とは毒性、爆発性、引火点等の物性が異なることから、 ゼロエミッション船等においては水素・アンモニア・LNG等の取り扱い責任者/担当者としての船員の確保育成が必要となる。しかしこれらの新技術を教育・訓練する施設も講師も、あるいはカリキュラムも大幅に不足あるいは欠如しているといった現状がある。このため、このままでは、運航を担う船員のノウハウが不足し、安全な海上輸送の確保に懸念があることや、条約等で義務づけられた訓練を受けた船員を確保できないことから、そもそも、船主がゼロエミッション船等の建造を躊躇し、ゼロエミッション船等の導入が十分に行われず、結果、国際海運の2050年カーボンニュートラルの実現が困難となる可能性がある。これらの点を踏まえ、新燃料に対応した船員の教育・訓練設備の導入等に取り組む必要がある。こうした観点から広く国際的な海事団体が一体となって動き出したプロジェクトである。

規制当局は次世代燃料取り扱い教育・訓練について何をしているか?
“What are regulators doing about new fuels training?”
 

 IMOは2023年に船舶からの温室効果ガス排出削減に関する戦略(2023 IMO STRATEGY ON REDUCTION OF GHG EMISSIONS FROM SHIPS)において、次世代燃料の取り扱いに関わる船員に対する教育・訓練を含む雇用条件など人的問題などについて、公正や平等性について合意した。世界の約200万人の船員は、海運業界が脱炭素化への移行を成功させる鍵を握っている。船員は、船上で新しい技術システムを運用し、アンモニアや水素などの次世代燃料を安全かつ効率的に管理するために、適切なスキル、教育・訓練を必要とするが、これらをタイミングよく効率的に実施しなければ、船員、環境、地域社会に重大な健康と安全上のリスクをもたらす可能性がある。このため船員の再教育は焦眉の急である。練習生や学生は海事教育訓練機関でこれら次世代燃料に関する新技術を学ぶことになるが、組合としてはそこで教えられるコースについても目配りを忘れてはい ない。
 海事教育訓練機関のカリキュラムは原則的にSTCW条約に基づく。STCW条約はご存じのように現在その包括的な見直し作業が行われている。組合はITF とIFSMAを通して積極的に審議に参加している。(IMOにおけるI F S M Aの発信力を評価している!)改正STCW条約の採択は2027年とされており、これが予定通り採択されても発効するにはある程度時間が掛かる。一方気候変動の脅威と次世代燃料の採用は待った無しである。このため、STCW条約の包括的な見直し作業とは別に次世代燃料の取扱いについては、そのガイダンスと新規則を別途審議することがIMOで合意されている。しかしこれとて採択・発効するには時間が掛かる。
 このため各国当局と海事教育訓練機関は条約改正に先んじて積極的に動く必要がある。英国では海事沿岸警備庁及び商船教育訓練理事会が共同で海事教育訓練機関のカリキュラムを見直すこととなっている。オランダは海事産業諮問理事会が海事関係大学と共同で検討する。組合はこのどちらの会合にも出席することとなっており、船員を代表して積極的に審議に参加する。国際的なルール作りには自国での規則やプログラムなどの実績を持っている方が断然有利であり、英国とオランダがIMOでの審議をリードすることは間違いなく、これによってそれらの国の船員が国際的な雇用市場で頭一つ抜け出すことになろう。

海運業界は次世代燃料取り扱い教育・訓練について何をしているか?
“What is industry doing about new fuels training?”
 

 欧州各国では環境破壊に敏感な海域、例えばノルウェーのフィヨルドなどでは極めて厳しい排出規制が既に行われている。このためStena Lineなどの欧州船主は次世代燃料の導入に積極的で、そのため海事教育訓練機関と協働して船員の次世代燃料取り扱い教育を実施している。教育機関としても次世代燃料取り扱いについて新しい教育プログラムを開発し実施するにはコストと時間が掛かる。そもそも十分な知識を持った適当な講師がいるのか、実践的訓練のための施設はどうか、教材はあるのか、など問題山積だが、船社と協働することによりこうした課題を克服できるとしている。そして他国に先駆けて教育コースの確立をするためにどの教育機関も極めて意欲的である。
 また、欧州における海事関係団体も積極的に活動している。ロンドンに本部を置くNautical Instituteはその“Green Curriculum”の一環としてオンラインによる次世代燃料についての講座を開始している。この講座は2 日間で次世代燃料を概観するもので広く海事関係者を対象としている。ITF は世界海事大学と連携して、欧州各国の海事系大学が次世代燃料についての講座を開始できるように技術的・財政的に支援することを試みている。
 欧州の海事教育訓練ネットワークMETNETは欧州運輸労連と欧州船主協会がタッグを組んで次世代燃料に関する教育・訓練を主眼とした“European Maritime Skills Forum(E-MSF)を設立し活動を行っている。

我々は次世代燃料取り扱い教育・訓練でいかなることを経験したか?
“What are Nautilus members experiencing on new fuels training?”
 

 現役の船員にとっては次世代燃料取り扱いに関する教育・訓練は死活問題である。いずれ現存の機器はフェーズアウトすることは確かであるからである。ここでは4 人の船員の経験談が報告されている。
1 .海務監督(機関)
 “Hydrotreated Vegetable Oil(HVO 加水分解植物油)と呼ばれるバイオ燃料を用いた機関の試運転に関わっているが、これまでのところ特段の教育・訓練は受けていない。機関の製造業者やインターネットなどから断片的な情報を漁るしかないという。彼は試運転がうまくいくか、場合によっては一部設計を変更して他の燃料とのハイブリッドを使用する主機を搭載して2年以内に就航が予定されている新造船に乗船することになる。このため系統的な研修を希望しているが、それらが与えられる体制にはないという。製造業者はその機関についてのみしか知識の持ち合わせはなく、燃料の貯蔵や取扱いについては心もとない。要するに本船全体での安全かつ効率的な取扱いに関する教育・訓練を行う体制は無いという。また、新造の機器については当然研修も行うが、旧型の機器や改装や改良については十分はサポートは期待出来ないだろう。
2 .航海士
 LNGを燃料とする船舶についての講習を受けたが、航海士にとって重要なのは主機関の内部で何が起きているのかではなく、必要なのは防火訓練を始めとする安全対策で、緊急時の対応策を徹底的に訓練する必要がある。そして何よりも大切なのはLNGを貨物としてではなく、燃料として使用している事実をしっかり認識することだと強調する。
3 .機関長
 LNGを燃料とする機関について講習を受けたが、そのレヴェル、教材、期間については十分に満足いくものだった。他の次世代燃料取り扱いについてもこの程度の教育・訓練であれば問題ないだろうと言う。しかし一般論として、企業がコスト削減を求められると真っ先に削られるのは教育・訓練である、従って旗国がこうした教育・訓練を強制要件とする必要がある。
4 .機関士
 LNGを主燃料とする機関についての研修を受けたが、LNGそのものに起因する危険性や安全対策などについては十分とは言えないと感じた。しかし、実際に乗船してみるとそこは知識の宝庫で、船上で学ぶことは多々あるという。座学での研修は当然のことながら多くの制約がある。“On the job training”は極めて有効だ。乗船履歴は重視されるべきだ。そのため船内での体制も見直されるべきだ。座学では次世代燃料全般について研修し、さらに乗船する船種に応じて高度な研修をすべきである。どの次世代燃料が優勢かつ一般的になるか判明するまではこうした体制が必要と思う。

おわりに

 英国の業界紙“Tradewinds”の6 月24日付の紙面に船員福祉団体による次世代燃料の使用など新技術への転換期における船員への影響についての調査の報告がされていた。船員はもちろん脱炭素については全面的に賛成だが、次世代燃料の取り扱いに関する技術の取得に対する不安・ストレス、新たな負担による心身の疲労、そしてこれまでと違う規則や報告の手違いによる法令違反などを懸念していることが分かった。もちろん航海士より機関士の方が深刻だ。業界はこうした船員の心理的不安につき考慮を払うことが求められる。次世代燃料の導入に当たっては、その計画段階から船員に積極的に関与させ、取り扱い手順の標準化、明確化などに取り組むべき事を示唆している。
 “Maritime Just Transition Taskforce”(「海事公正移行タスクフォース」)は大きな技術革新による時代の転換期における人間(船員)中心の公正な移行手続き、一部の人間を犠牲としない移行と考えている。かつてエネルギー政策が石炭から石油に移行するにあたり、炭鉱の閉山など多くの労働者に犠牲を強いたが、二度とこのような轍を踏まないための決意である。ILO(国際労働機関)によると、このイニシアティブは可能な限り公正かつ公平、包括的な方法で人間の活動が環境に負担を掛けないようにし、経済をグリーン化し、人々にディーセントワークの機会を創出することを意味する。ディーセントワーク(decent work)とはILO の最も重要な目標で「働きがいのある人間らしい仕事」と定義し、2009年のI L O総会において21世紀のILOの目標として提案され支持された。「公正で好ましい条件での仕事」という言い方もある。このディーセントワークは船員にこそふさわしい目標だ。
 重油/ディーゼル油の使用は130年以上も前にディーゼル機関が発明され、その後舶用機関として採用され、機関部や機関士はその燃料自体の取り扱い、機器の操作方法、メインテナンスについて営々とノウハウを積み上げてきた。またその供給インフラも世界的に整備されている。次世代燃料の取り扱いについても安全で効率的、かつ環境にも優しい手法が確立されるまでにはそれ相当の時間が必要であろう。ましてやどの次世代燃料が主流となるかも未だ定かではない現状においては、この「移行」の時期にこそ船員の関与が最も必要な時ではないだろうか。

参考資料

1 .“TELEGRAPH”May/June 2024
2 .“Seaways”June 2024
3 .“The Ministry for the Future”Kim Stanley Robinson  Orbitbooks net
4“. Tradewinds”24 June 202“4 Technostress,fatigue and fears of criminalisation: Seafarersreveal hidden costs of green transition”



LastUpDate: 2024-Oct-08