「沈黙の春」
−Silent Spring−
(一社)日本船長協会 理事 赤塚 宏一
はじめに
レイチェル・カーソンの「沈黙の春」は読むべき本として長らく念頭にあったがなかなか手に取る機会がなかった。しかし最近ふとしたことで下記のYouTubeを見る機会があり、これは何としてでも本書を読むべきだと思った次第である。そのYouTube とは「5000万人の命を奪って地球を救った歴史的名著『沈黙の春』−https://www.youtube.com/watch?v=UHsZx_zA_Yc」である。これは「沈黙の春」を丁寧に紹介しているのだが底意があるようで、言わんとするところはDDTの使用禁止がマラリアの蔓延を許し結果的に5000万人以上の生命を奪ったと非難しているようである。レイチェル・カーソンの「美しく繊細な文章」、あるいは「グリム童話のようなお話」に魅せられた多数の熱狂的な読者に押される形で副作用の少ない有用な殺虫剤が葬られたと言わんばかりである。これについては何はともあれ「沈黙の春」を読んで見ないことには判断もコメントも出来ないと思い「冬休み」(?)の課題図書とした次第である。
パソコンで本書を検索すると溢れんばかりの情報量であり、その多くが「明瞭かつ詩的な文章でつづられ」などと一様に文章の美しさに触れている。この詩的で繊細さを味わうには原文しかないだろうと思い、原書に挑戦することとした。もとより筆者には英文の美しさや繊細さを鑑賞出来るほどの英語力は全くないのだが、これも冬休みの課題というわけである。
あまたの解説書や紹介記事、読後感で溢れているこの20世紀の最も重要な本と言われる「沈黙の春」をIFSMA便りで紹介するのはまことに烏おこ滸がましいとしか言いようがないが、環境問題に直面している私達にとって、環境(公害)問題に関する歴史的名著に何らかの形で触れるのは意味があるのではないかと思う次第である。
「沈黙の春」は農薬や合成殺虫剤の無秩序な使用が生態系に深刻な影響を及ぼし、結果的に人間自身にも害をもたらすことが強調されている。この視点をもとに、気候変動にあるいは公害に直面する人間として、あるいは職業人としてのあるべき姿を考えてみたいと思った。
この冬、北日本を襲った豪雪や昨年夏の耐え難い暑さ、ほぼ毎日船舶の脱炭素化についての記事に触れ、また個人生活では老夫婦二人なのに多くの食品がプラスチック包装され2 週間に一度は45Lのゴミ袋をプラスチックゴミで一杯にして廃棄場に運ぶ生活で、嫌でも環境問題そして気候変動問題に意識を向けざるを得ない。
そして未だ鮮烈な記憶として残っているのが、船長時代南米Santos を出航し喜望峰を経由してSingapore に向かう南大西洋で船には殆ど行き合わなかったが、ほぼ毎日海面上に浮かぶ発泡スチロールの魚箱やプラスチックのゴミを見たことである。こんな海の果てまで汚染されているのかと空恐ろしい気がしたものである。これが40年近く前のことである。昨年12月には最終化されるはずであったプラスチック条約交渉が決裂したことはなんとも残念である。しかも今後の協議の土台となる非公式文書の第1 条の目的から「プラスチック汚染を終わらせる」との文言が外されたとのことで、何のための条約かと憤りさえ覚える。
さらにトランプ大統領は就任初日にこれ見 よがしに気候変動枠組みのパリ協定からの再離脱を表明した。その他にもエネルギー・気候変動対策に逆行するようないくつかの大統領令に次々と署名をした。そして化石燃料を掘って掘って掘りまくれ(“drill baby drill!”)と言い地球温暖化にまっしぐらという恐ろしさである。環境問題に先鞭をつけた「沈黙の春」を生んだ国としてははなはだ残念なことである。
「沈黙の春」
レイチェル・カーソンの「沈黙の春」は、人類が自然環境に与える影響を鋭く警告した書籍であり、その内容は現代の気候変動問題に対しても重要な教訓を与えていると思う。私が読んだのはクリントン政権の副大統領であったアル・ゴアが序文を寄せたもので1994年発行である。彼は2007年に人為的気候変動(地球温暖化)についての問題点を広く知らしめ、気候変動防止に必要な措置への基盤を築くために努力したことに対してノーベル平和賞を受賞している。レイチェル・カーソンを尊敬していたことでも知られるが、「沈黙の春」に寄せた長文の序文は彼女に対する賞賛の念に溢れている。また「沈黙の春」がちょうど一世紀前に奴隷解放の狼煙となったストウ夫人の「アンクル・トムの小屋」と並んでアメリカ社会をそして世界を変えた最も重要な図書として紹介している。残念ながらこの序文を掲載した訳書があるのかは知らない。
「沈黙の春」を紹介するにあたりまずレイチェル・カーソンの経歴を簡単に紹介する。
1907年 ペンシルヴァニア州スプリングデールに生まれる。
1925年 ペンシルヴァニ
ア女子大学(現在のチャタムカレッジ)に入学。
1929年 ジョンズ・ホプキンズ大学修士課程入学。
1932年 修士課程修了後、メリーランド大学で講師をしながら研究をつづける。
1936年 公務員試験に合格。漁業局に正式採用される。
1951年 「 われらをめぐる海」出版、ベストセラーに。
1952年 魚類・野生生物局を退職、文筆活動に専念。
1955年 「海辺」出版、ベストセラーに。
このころ、DDTの散布によるさまざまな被害を訴える手紙がよせられる。
1958年 「沈黙の春」執筆開始。
母マリア死去。大きなショックを受け、またガンが発見されるなどで執筆が遅れる。
1962年 「 沈黙の春」、雑誌「ニューヨーカー」に掲載( 6 月)。
『 沈黙の春』の単行本出版( 9 月)。アメリカ全土に反響の嵐。
1963年 シュヴァイツアー・メダル受賞。
ケネディ大統領科学諮問委員会農薬委員会、「沈黙の春」を評価。
56歳で死去。
1965年 「センス・オブ・ワンダー」出版。
「沈黙の春」(“Silent Spring”)という書名は良く知られているように友人からの手紙で「今年の春はコマドリが巣を作らない、その鳴き声も聞こえない」と言う訴えに由来する。そして英国の詩人ジョン・キーツの「湖畔のスゲは枯れ果て、もう鳥も鳴かない」(“Thesedge is wither’d from the lake, And nobirds sing.”)という一節が巻頭に引用されている。全体は297ページ、これに参考文献55ページ及び索引が約15ページついている。そして本文は17章よりなり、それぞれの最初のページには美しい田園風景や小動物や小鳥の挿絵があしらわれている。
「沈黙の春」は自然環境に対する人間活動の影響とその結果としての環境破壊を鋭く描き出した作品である。本書は、20世紀半ばにDDTに代表される有機塩素系殺虫剤や農薬、化学物質の大量空中散布など無制限な使用がもたらす生態系の崩壊を警告し、環境保護運動の礎を築いたと言える。
環境に有害な農薬としてDDTを始めディルドリンとかパラチオン、リンデンなど多くの合成殺虫剤が出てくるのだが、農薬としてもっとも有用と考えられまたもっとも環境に影響を与えたものとして繰り返しDDTが取り上げられているので、少し調べてみた。
(DDT−Wikipediaなどによる)
DDT(ジクロロジフェニルトリクロロエタン)は、1939年にスイスの科学者パウル・ヘルマン・ミュラー(ノーベル賞受賞者)によって発見され、1940年代以降、殺虫剤として広く使用された。その使用は農業や公衆衛生の分野で非常に効果的であったが、環境や健康への影響が問題視され、現在では多くの国で使用が禁止されている。
DDTは蚊を効果的に駆除し、特に1940年代以降、マラリアの感染拡大を抑えるために使用されこれにより、多くの地域でマラリアの発生率が大幅に減少したという。WHO(世界保健機関)は一時期、DDTをマラリア撲滅計画の主要なツールとして推奨していた。また農業害虫を駆除することで、作物の収穫量を増加させ、食料生産の向上に寄与した。特に低コストで長期間効果が持続する点が農業において非常に魅力的であった。第二次世界大戦中には、DDTが兵士を蚊やシラミから守るために使用され、多くの命が救われたとされている。筆者の年代は小学校で年に1 ~ 2 回ほど頭からDDTを散布された記憶がある。
一方DDTは化学的に安定しており、分解が非常に遅い特性を持つため、土壌や水中に長期間残留し食物連鎖を通じて生物濃縮が起こり、特に鳥類に深刻な影響を与えた。たとえば、DDTは鳥の卵殻を薄くし、繁殖成功率を下げた。人間の健康への影響も当然あり、DDTの高濃度曝露は、神経系や肝臓への影響、母乳を通じて乳児に移行することも確認されており、長期的な健康リスクが懸念された。本書でたびたび触れられているが害虫の耐性が進み効果が低下し、耐性害虫の増加は、殺虫剤の乱用や不適切な使用により生態系への影響、すなわち非標的生物(例えば、魚や昆虫)への毒性が高く、地域の生態系バランスが崩れる原因となった。
DDTは、短期的にはマラリアや農業害虫の駆除に効果的であり、多くの命を救ったとされるが、「沈黙の春」の出版を契機として医学界や環境保護団体などの指摘により、DDTの使用は1970年代以降、多くの国で禁止または制限されることとなった。現在でも、一部の国ではマラリア対策として限定的に使用されているが、環境や健康への配慮から、持続可能な代替手段の開発と導入が求められている。
「沈黙の春」で第一に、レイチェル・カーソンが提起したのは、人間の行動が環境に対してどれほどの影響を与えるかを科学的に理解し、その責任を自覚する必要性である。彼女の時代、農薬の過剰使用が昆虫や鳥類だけでなく、水質汚染や土壌劣化といった長期的な問題を引き起こしていることが科学的に明らかにされた。1910年代に日本からアメリカへ侵入したと思われるJapanese beetle 和名コガネムシで日本ではさほど重大な農業害虫ではないというが、このコガネムシ駆除のために如何に大量の農薬が散布されたか、そしてそのために動植物に如何に被害が及んだか14ページにわたり克明に記されている。そしてレイチェル・カーソンが詳細に述べているのは昆虫類がいかに迅速にこうした農薬に対する耐性を獲得するかという事実である。このため散布量は急速に増えることになり環境に被害を及ぼすのである。
レイチェル・カーソンが本書を執筆するにあたり、助手が3 人ほどいたようであるが、インターネットもない時代、上述のように55ページにもわたる膨大な参考文献、資料を集め、その中から該当する資料を抜き出し整理し記述した力量には驚きを隠せない。
こうした調査に基づきレイチェル・カーソンは害虫管理として次のような対策を挙げているが、いずれも実績のあるものであり、持続可能な農業のために現代の管理方法としても有効であると言われている。
1 .生物的防除
害虫の天敵(捕食者や寄生者、例えば、鳥や昆虫)を利用して害虫を抑制する。そのために天敵や捕食者を積極的に導入または保護すること。また「雄不妊化法」で害虫の繁殖を抑止することも可能である。
2 .環境調整 農作物の多様性を高め、モノカルチャー(単一作物の大規模栽培)を避け、多様な作物を植えることで、特定の害虫が大量発生しにくい環境を作る。
3 .化学農薬の慎重な使用
・ 必要最小限にとどめ、無差別に使用することを避ける。
・ 長期的な環境影響を考慮した新しい化学物質の開発や使用の規制を求める。
・ 天然由来の化学物質や微生物を使って害虫を制御する方法。
4 .物理的防除
害虫が作物にアクセスするのを防ぐために、物理的な障壁(ネットやフェンスなど)を使用すること。
5 .統合的害虫管理(IPM)へのアプローチ
IPM(Integrated Pest Management)は、「総合的病害虫・雑草管理」を意味する言葉で、化学農薬のみに頼らない多角的・総合的な方法で、人や環境へのリスクを抑えた防除を行う手法である。すなわち生物的、物理的、化学的、文化的手法を統合して害虫を管理する方法で執筆当時、具体的にその名称は出されていないが、「沈黙の春」が訴えている理念はIPMの先駆けそのものといえるのではないか。
第二に、カーソンの著作が訴えるのは、自然との調和を目指す倫理観の重要性であり、その確立である。「沈黙の春」の中で、彼女は人間が自然を支配しようとする考え方を厳しく批判している。これは最終ページ、最後の段落にあるフレーズに端的に示されている。「『自然を管理する』という言葉は、生物学と哲学がネアンデルタール時代ともいうべき段階にあった時期に生まれた傲慢な概念である。それは、自然は人間の生活に役立つために存在すると見なされていた時代の遺物なの だ。(渡辺政隆訳)」(The “control of nature” is a phrase conceived in arrogance, born of the Neanderthal age of biology and philosophy,when it was supposed that nature exist for the convenience of man.)
現代においても、気候変動に対処する上で自然を畏敬の対象とし、仮にも制御可能な対象としては考えるべきではなく、もちろん単なる資源として扱うのではなく、地球全体を有機的な構造と捉え、生態系を含め全体のバランスを考慮した持続可能な方法を追求する必要がある。例えば、再生可能エネルギーの活用や炭素排出削減の取り組みだけでなく、海洋の浄化、森林の保全やさらには土壌の再生といった生態系そのものの健康をも重視した総合的な政策が求められる。
レイチェル・カーソンはもちろん科学の力を否定していないが、その乱用を批判したのだ。同様に、現代の気候変動対策では、科学技術の力を最大限に活用する一方で、それがもたらす影響について深く考える責任が求められる。温室効果ガス削減のための新技術や気候工学は有望だが、それらが自然界に及ぼす副作用を慎重に検討しなければならない。科学者、政策立案者、企業、市民が協力し、透明性を持って科学を利用する仕組みを構築することが不可欠だろう。
さらに重要なのは、個々人の行動変容と社会的な連帯である。レイチェル・カーソンの時代と同様に、現代でも個々の選択が集団的な変化を引き起こす可能性を秘めている。日常生活でのエネルギー消費を減らす努力や、環境に配慮した商品を選ぶことは、小さな行動かもしれないが、広範な影響を生む可能性がある。また、これを個人の責任に留めるのではなく、社会全体として気候変動に立ち向かう姿勢が必要だろう。政治や企業が積極的に環境保護に取り組むためには、市民としての声を上げ、政策に反映させることが不可欠である。
最後に、レイチェル・カーソンのメッセージから学べるのは、希望と変革の可能性である。「沈黙の春」は当初、多くの批判を受けたが、最終的には環境保護運動の先駆けとなり、多くの人々の意識を変えるきっかけとなった。気候変動問題も同様に、困難ではあるが解決可能な課題であるという希望を持つべきである。そのためには、教育や情報の共有を通じて、次世代に持続可能な未来を築くための知識と価値観を伝える努力が必要だ。
レイチェル・カーソンが示した道筋は、環境問題への向き合い方として今なお有効であり、その教訓を現代の気候変動問題に応用することができる。我々は、科学的知識に基づいた行動、自らの倫理観の確立、そして連帯した社会的行動を通じて、地球と調和する未来を築く責任を負っている。この責任を果たすことこそが、気候変動に対処する人間としてのあるべき姿ではないかと思う。
おわりに
レイチェル・カーソンが本書の執筆を始めたのは1958年である。母親の死やら自身の健康問題などで時間がかっかたが1962年に雑誌「ニューヨーカー」に連載された。単行本が9 月に出版されるとすぐさま大きな反響を呼び、発売後半年で100万部を突破したという。
この1958年は筆者が大学に入学した年であり、深江の海でカッターを漕いでいた頃、彼女は執筆活動に励み、私達が卒業するその年に「沈黙の春」が発表されたことになる。あの頃の私達は農薬やあるいは公害問題にどの程度関心を持っていたのだろうか。日本の四大公害病と言われる四日市ぜんそく、イタイイタイ病、水俣病そして新潟水俣病はいずれも1950年代から1970年代にかけて問題化した戦後日本の公害問題であり、私達の学生時代と全く重なるのだが、残念ながら意識は低かったと言わざるを得ない。
当時は冷戦が深刻化し、核戦争の不安が社会を覆っていた。また核実験による放射能汚染が問題となっており、これがレイチェル・カーソンの目には農薬汚染と重なって映っていたという。農薬汚染が人間の健康被害にまで及ぶ悪影響を、核実験による放射性物質の不気味さと対比させつつ訴えたことで訴求力がましたと言える。「沈黙の春」にはヒロシマの被爆者に関する言及もあり、また死の灰を浴びた第五福竜丸と亡くなった久保山愛吉さんにも触れている。福竜丸は“Lucky Dragon”と表記されている。
気候変動という地球規模の課題に直面する現代の私たちは、カーソンが提示した倫理観、科学的責任、個人と社会の行動、世代を超えた視野を基盤として、より持続可能で調和のとれた未来を築かねばならない。
「沈黙の春」の最終のフレーズは上記の「生物学と哲学がネアンデルタール時代」という指摘に続いて「応用昆虫学の考え方と実践法の大半は、科学の石器時代に育まれた。そんな原始的な科学が最新の恐ろしい兵器で武装してしまった。そしてそれを昆虫に使用し、ひいてはその矛先を地球にも向けてしまった。これほど憂慮すべき不幸があるだろうか。(渡辺政隆訳)」(“The concept and practices of applied entomology for the most part date from that Stone Age of science. It is our alarming misfortune that so primitive a science has armed itself with the most modern and terrible weapons, and that in turning them against the insects it has also turned them against the earth.) である。
トランプ大統領やプーチン大統領の言動をみていると、上記のフレーズは筆者には「哲学や倫理学が未だ石器時代にあるにもかかわらず人類は最新の最も恐ろしい兵器 −核兵器− で武装してしまった。そしてそれを人類に使用しひいてはその矛先を地球全体にも向けてしまった。」と読めてしまい恐ろしさに身がすくむ。
本誌が諸兄の手元に届くのは3 月初旬と思うが「沈黙の春」ではなく小鳥たちが鳴き交わす賑やかな春であることを信じつつ。
参考資料
1 .‘Silent Spring” by Rachel Carson Houghton Mifflin Company New York 1994
2 .「沈黙の春」 レイチェル・カーソン 渡辺 政隆 訳 光文社 2024年9 月20日
3 .DDT−Wikipedia
4 .宮崎公立大学人文学部紀要 第25巻 第1 号 環境政治学序説( 4 ) 山口裕司
これは本稿脱稿後に入手した資料で、環境政治学を概観する論文集である。人物としては日本の田中正造、ドイツの緑の党、そして米国のレイチェル・カーソンを挙げている。極めて詳細な論考で、レイチェル・カーソン及び「沈黙の春」について興味を覚えた方にはぜひ一読をお勧めする。