日本財団が既に実施している小中学校の生徒に対する体験学習として造船所における船の進水式の見学会に船長OB による講演会を併せて実施することとなり、船長協会の事業である「子供たちに海と船を語る」講演会を実施することとなった。
今回の進水式を見学する造船所の近くの小学校として選ばれたのが玉島南小学校である。
備中松山藩により開かれた玉島湊は、瀬戸内海の東西からの潮流が交わる塩飽の海をひかえて航海の中継地として江戸時代には船の出入りが多く繁栄したといわれる。
備中一の商業港として発展し文人墨客の交流が盛んで当時の歴史が残る地域でもある。
現在は日本有数のコンビナートを抱える工業港である水島港が有名であるが西の玉島港は商業港として海運との関係が深い地域である。
近くには良寛和尚が17年間過ごしたという円通寺があり、玉島南小学校の校歌の歌詞には「良寛さまも眺めてた歴史も遠い玉島港高くそびえて遙照山夢いっぱいの胸はって」とある。
今の学校周辺は人口が増えて以前の農漁村から水島のベッドタウンに変貌している。