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大阪湾水先区水先人(元川崎汽船 船長) 松原 貞夫 | |||||
1.わが古里の紹介
白山山麓から三国港に注ぐ九頭竜川の上流、JR福井駅から越美北線で約1時間(約50Km)の山合いに大野盆地(東西約11Km南北約
かって、織田信長の武将金森長近が京都を模して碁盤の目状に造った市街地(北陸の小京都と言われている所以)を中心に、田園風
それらの山々から源を発する大野市の湧き水はこれまた全国百名水に選ばれ「名水の町」としても知られており、本願清水(地名)に
幕末の大野藩は越前沿岸に飛地を持ち、第7代藩主土井利忠は四方山に囲まれた大野盆地にありながら、当時の苦しい藩財政を立て直すため、長さ12間、幅4間、深さ3間の西洋型2本マストの帆船「大野丸」を造らせた。そして、遠く北海道樺太(サハリン)まで探 その他、わが古里の先輩として衆議院議長の重職に就かれた(故)福田 一先生つい最近亡くなられた東大名誉教授で地球物理学者の(故)竹内 均先生など名声の高い人物がおられる。 2.講演までのいきさつ
昨年秋、図らずも叙勲の栄に浴しましたが、古里の親類縁者達による祝賀会は雪解けの4月下旬と延び延びになっていた矢先、日本船長協会神戸支部の山内副会長・早川常務理事より当協会創立50周年記念行事である「船長母校へ帰る」と題して海と船について母校の 因みに尚徳中学校は、大野市の誕生と共に昭和37年、阪谷中学校、富田中学校他2校が統合されて設立された学校で、現在生徒数約250名、教職員22名、「徳の道」を建学の志として掲げ、子弟の教育に励んでいる。 3.講演のがいよう 4月27日、尚徳中学校多目的ホールにて、同校校長並びに日本船長協会会長の挨拶があったあと、中学2年生73名に海や船について話を始めた。
このようなコンテナ船の出現は、海上輸送革命をもたらし、貨物の大量輸送を可能にする船の大型化、高速化に世界中の船会社が凌ぎを削っている現状を説明し、我が国は加工貿易立国であることの認識を更に深めることと、それらを大量に運べる海上輸送の大切さを力説する。 4.終わりに
四方山に囲まれた奥越前の大野に育った自分が何故海に憧れ、船乗りになったかについて話をした。
私は中学一年生の時、三国港の海水浴場に行き、生まれて初めて海を見た。砂浜に立って果てしなく広がっている水平線を眺めていると、担任の先生が教えてくれた「地球は円い、海の上を東へ東へと行けば必ず元の所へ戻ってくる」との言葉が浮かんできて“よう
時あたかも第二次世界大戦が終わり、戦いに敗れた日本は東京を始め至る所が廃墟と化し、大野でも着る物も食べる物もない困窮の生活を強いられたのです。厳しい自然の気象条件と困窮の生活によって最初に申し上げた我慢する心と、どんな困難にも負けず立ち向 若い時の苦しみや困難は人間を大きく成長させる“こやし”であります。如何なる困難な事態・状況に陥っても、決して諦めず成功を信じて頑張って下さい。皆さん、何か大きな夢を見つけてほしい、そしてその夢に向かって、大野人特有の粘りと忍耐で頑張ってほしい。そうすれば夢は必ず実現すると信じて努力して下さい。きっと夢は実現するでしょう。そして国のため、社会のために貢献出来る人になってほしい。
話し下手な私の話を生徒達は横見一つせず熱心に聞いてくれ、その上生徒代表からお礼の挨拶までいただき、感激一入であった。質問を受ける時間が無かったのがとても残念だった。 最後に、大野市尚徳中学校の校長・橋本幹雄先生、教頭の藤沢先生、担任の竹村・中川両先生、いろいろとお世話になり有り難うございました。
この企画が夢多い中学2年の生徒たちの将来にいささかなりともお役に立てれば、と念
尚、この度の講演に際し、日本船長協会会 |
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