第28回 福井県大野市尚徳中学校

作文//森下/宮田/倉内/佐々木/雨塚/中村/山内
 大阪湾水先区水先人(元川崎汽船 船長) 松原 貞夫
講演中の松原船長

1.わが古里の紹介

 白山山麓から三国港に注ぐ九頭竜川の上流、JR福井駅から越美北線で約1時間(約50Km)の山合いに大野盆地(東西約11Km南北約
17Km)がある。その沿線には曹洞宗の大本山、永平寺や戦国の世に栄えた朝倉氏の城下町跡「朝倉氏遺跡」がある。

 かって、織田信長の武将金森長近が京都を模して碁盤の目状に造った市街地(北陸の小京都と言われている所以)を中心に、田園風
景が広がり稲作を主とした農業が営まれている。又、四囲の山々には全国百名山に選ばれた荒島ケ岳(1525m)、平泉寺の伝説に由来
する経ケ岳(1625m)等が聳え立ち、白山連峰の一翼を形成している。

 それらの山々から源を発する大野市の湧き水はこれまた全国百名水に選ばれ「名水の町」としても知られており、本願清水(地名)に
は「糸魚の里」がある。イトヨはトゲウオ科の一種で背中に小さなトゲを持ち、水温約15度の湧き水で生息するため、名水のシンボル
的存在として愛されている小さな魚です。生息地も全国で5個所だけとのこと。南限のイトヨ生息地として天然記念物に指定されてお
り、本年9月にはトゲウオ(イトヨ)サミットが大野市文化会館で開かれ、イギリスWALES大学のウオートン教授を招く予定とのことである。

藩船「大野丸」2本マストの帆船

 幕末の大野藩は越前沿岸に飛地を持ち、第7代藩主土井利忠は四方山に囲まれた大野盆地にありながら、当時の苦しい藩財政を立て直すため、長さ12間、幅4間、深さ3間の西洋型2本マストの帆船「大野丸」を造らせた。そして、遠く北海道樺太(サハリン)まで探
検・開拓・交易に出かけているのである。亀山城の登山道中腹に、その偉業を讃え「帆船大野丸の青銅像」が置かれており、大野市歴史民俗資料館には模型としては精巧な帆船の「藩船大野丸」が置かれている。

 その他、わが古里の先輩として衆議院議長の重職に就かれた(故)福田 一先生つい最近亡くなられた東大名誉教授で地球物理学者の(故)竹内 均先生など名声の高い人物がおられる。

2.講演までのいきさつ

 昨年秋、図らずも叙勲の栄に浴しましたが、古里の親類縁者達による祝賀会は雪解けの4月下旬と延び延びになっていた矢先、日本船長協会神戸支部の山内副会長・早川常務理事より当協会創立50周年記念行事である「船長母校へ帰る」と題して海と船について母校の
生徒達に講演をしてほしい旨の依頼があった。確約はせず田舎の兄に相談したところ「それは叙勲記念として誠に善いことだ、是非やってくれ」となり兄が母校の校長・教頭先生に橋渡しをしたところ、丁度中学2年の生徒達が進路指導の時期にもきており、願ってもな
いことで是非生徒達に体験談を交えて講演をお願いしたい、と言うことになり、引き受けることとなった次第である。

 因みに尚徳中学校は、大野市の誕生と共に昭和37年、阪谷中学校、富田中学校他2校が統合されて設立された学校で、現在生徒数約250名、教職員22名、「徳の道」を建学の志として掲げ、子弟の教育に励んでいる。

3.講演のがいよう

 4月27日、尚徳中学校多目的ホールにて、同校校長並びに日本船長協会会長の挨拶があったあと、中学2年生73名に海や船について話を始めた。

  1. まず最初に、特に冬季気象条件の悪いわが古里で育った者は、他と比べて我慢強い心が生まれながらに培われており、我々の血や肉となっている。そこで、困難に耐えて努力することは当然のことだが、その上にひとつの事に打ち込む勇気が大切である、と
    訴え、以下体験談を交えて事例を紹介する。
  2. 世界の海は、全て繋がっており、特にスエズ運河、パナマ運河ができたことにより航行時間が短縮されたこと、そして、台風、ハリケーン、サイクロン、竜巻等大自然の猛威に遭遇したが、思い出したくない程大変なことで、ひたすら無事を神に祈るのみのことも再三あった旨話す。
  3. 印象的な素晴らしい港としては、シドニー港、バンクーバー港等が挙げられるが、その中でも最たるものは日本の「みなと神戸」「みなと横浜」だと夜景なども紹介しながら話す。
  4. 自分の廻った主な世界の航路を紹介、その中でも特に思い出の深い航路として、五大湖航路、自動車専用船による西廻り世界一周航路を連続して3回廻ったことを赤外線ポインターで説明しながら、これらの大航海を成し終えた事に対する自分自身の満足
    感、船乗りとしての自信を得たことは、何ごとにも変えられない貴重な体験であったこと、そしてこの苦しい航海に耐えることができたのも、幼い頃から厳しい環境の中で育まれた根性と精魂こめた努力の賜であることを強調する。
  5. 次に専用船の代表として、コンテナ船の話をする。コンテナ船誕生の背景として、昭和40年代前半から海上輸送貨物の増加と、それに伴う港での船積みや陸揚げ作業の遅延、港に働く人達の待遇改善問題等々を一挙に解決するための仕組みとしてコンテナが考案され、日本では昭和43年8月「箱根丸」と言う船が初めてコンテナ船として、カリフオルニア航路に就航したこと。

 このようなコンテナ船の出現は、海上輸送革命をもたらし、貨物の大量輸送を可能にする船の大型化、高速化に世界中の船会社が凌ぎを削っている現状を説明し、我が国は加工貿易立国であることの認識を更に深めることと、それらを大量に運べる海上輸送の大切さを力説する。

4.終わりに

講演に聴き入る皆さん

 四方山に囲まれた奥越前の大野に育った自分が何故海に憧れ、船乗りになったかについて話をした。

 私は中学一年生の時、三国港の海水浴場に行き、生まれて初めて海を見た。砂浜に立って果てしなく広がっている水平線を眺めていると、担任の先生が教えてくれた「地球は円い、海の上を東へ東へと行けば必ず元の所へ戻ってくる」との言葉が浮かんできて“よう
し自分で確かめてみよう、そうだ船乗りになって確かめよう”と決心したのです。即ち、大きな夢を持ったのです。

 時あたかも第二次世界大戦が終わり、戦いに敗れた日本は東京を始め至る所が廃墟と化し、大野でも着る物も食べる物もない困窮の生活を強いられたのです。厳しい自然の気象条件と困窮の生活によって最初に申し上げた我慢する心と、どんな困難にも負けず立ち向
かっていく勇気が形成されていったと思うのであります。

 若い時の苦しみや困難は人間を大きく成長させる“こやし”であります。如何なる困難な事態・状況に陥っても、決して諦めず成功を信じて頑張って下さい。皆さん、何か大きな夢を見つけてほしい、そしてその夢に向かって、大野人特有の粘りと忍耐で頑張ってほしい。そうすれば夢は必ず実現すると信じて努力して下さい。きっと夢は実現するでしょう。そして国のため、社会のために貢献出来る人になってほしい。


福井新聞記事
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 話し下手な私の話を生徒達は横見一つせず熱心に聞いてくれ、その上生徒代表からお礼の挨拶までいただき、感激一入であった。質問を受ける時間が無かったのがとても残念だった。

 最後に、大野市尚徳中学校の校長・橋本幹雄先生、教頭の藤沢先生、担任の竹村・中川両先生、いろいろとお世話になり有り難うございました。

 この企画が夢多い中学2年の生徒たちの将来にいささかなりともお役に立てれば、と念
じています。そして、日本船長協会会長の澤山恵一氏、同常務理事の伊東佳宏氏には、遠
い山合いの田舎の大野市までご同伴いただき、ご援助を賜り厚く御礼申し上げます。又、日
本船長協会・日本船主協会・日本パイロット協会から尚徳中学校の生徒たちのため、沢山
の資料やビデオなどをいただきまして有り難うございました。

 尚、この度の講演に際し、日本船長協会会
誌「CAPTAIN」の誌上の中から諸兄の体験
談など、大いに参考にさせていただきました。
誌上をお借りして厚く御礼申し上げます。
追伸:時間制限もあり、事前に綿密に計画を
立て、時間の配分を十分行って話をする必要
があると反省している。

作文//森下/宮田/倉内/佐々木/雨塚/中村/山内

LastUpDate: 2020-Aug-10