1.いきさつ
年明け早々、全日本船舶職員協会本部より、母校の小学校で話してみないか、というお誘いがあった。日本船長協会のこの企画は、私が全船協本部事務局(当時海事センタービルの船長協会の隣だった)に勤務していた平成 12年にスタートし、その経緯も承知していた。
一方、全く私的に母校の中学校で2回ほど講演したことがあったので、次は小学校もいいかなー、と漠然と思っていた。その後船長協会に赴き、担当の原田常務の話を聞き、お引き受けすることとなった。母校の金井小学校との取次ぎは実家の兄に頼んだ。幸い保護司をしている兄は小学校にもたまに顔を出していた様で、船長協会の主旨とその内容を説明して学校にもご理解をいただくことができた。
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校舎正面風景 |
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田中船長 |
2.講演 準備
開催のほぼ2カ月前に日程が決まり、アドバイスを受けながら船長当時の写真を引っ張り出したり記憶の整理など、本業の合間に準備を整え、本番に備えた。
3.講演会 前日
前日の6月19日、準備や打合せのため一足先に出発した原田常務の後から、森本会長と新幹線で山形へと向った。ほぼ一年ぶりの帰郷となる。山形駅までの道すがらは、森本会長の観光ガイド役を勤めさせて頂いた。
夕方、学校での準備・打合せを終えた原田常務とおちあい、事前に学校と取次いでくれた兄を交えて最終的な打合せを行った。
4.講演会 当日
20日講演会の当日は天候曇りながら、心地よい気候であった。兄の車で学校へ向い、母校金井小学校の校門をくぐった。
校長室では、臨席される恩師;会田穣先生と田中とよ先生を交え暫し昔話に花を咲かせた。山形放送、山形新聞などの取材を受け、制服に着替えると程無く開始時間となった。
10時45分、校長先生の挨拶で始まり、森本会長の格調高い講話の後、スクリーンで「海と船」のビデオ上映へと進行して私の出番となった。11時35分から35分間、以下のような話をした。
①自己紹介
今年68歳、56年振りの小学校訪問である。
昭和20年(1945年)4月、金井村立国民学校に入学した。1学期の終わりごろ、敵の爆撃から守るために、組立て前の練習用飛行機を体育館に山のように積み上げた思い出がある。夏休み中の8月15日終戦。その飛行機は学校に隣接するたまねぎ畑で進駐軍の手によって焼き払われた。そんな時代だった。
②なぜ船員になったか
入学した高校は全員が大学進学希望で、私にとってはそれが中途半端に思え、充実した日々を送れなかった。将来に何か夢を持ち、その目標に向かって集中したかったのである。 そんななか偶然、新聞に海員学校の生徒募集の記事を見つけ、これだ!と思った。高校を1年で中退して商船高校に入学し直した。誰にも相談せず自分で決めた進路であり、以来、全く迷いはなかった。
③船の上での生活あれこれ
- 1日は24時間ではない
- 日曜日も祭日も無い。職種によっては昼夜の別もない
- 常に揺れている、エンジンの振動と騒音、それに油や塗料の匂いがある
- 土と緑がない
- 食料は全て保存食で、替皿や間食は出来ない。清水は貴重品
- 毎日同じ顔ぶれ
- 寄港地により人種、宗教、言語、習慣、 通貨などが異なる
従って自己管理をしっかりと、我儘を言わず、適応力を持って協調性を忘れず、実行力が必要となる。
④思い出の船、思い出の航海
鉄邦丸……日本・ナウル・ニュージーラン ド・オーストラリア・日本
⑤現代の海賊の話
平成7年 アンナ シエラ号事件
同10年 テンユウ号事件
同11年 アロンドラレインボー号事件
同17年 韋駄天事件
⑥先輩として二言
友達をたくさんつくって、大切にしよう!
自分の将来を夢やあこがれで終わらせず、それを実現する努力を今からやろう!そのコツは、好きなもの、熱中できるものを自分で見つけること!
講演会の最後として、児童を代表して松田幸人君が「金井小学校の卒業生が船の船長さ んになったこと、自分の道を決めて諦めずに頑張ったところがすごいと思う、今日は普段聞けない話が聞けてよかった」と立派な挨拶をしてくれた。
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紹介を受ける田中船長(右)と森本会長 |
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講演する田中船長 |
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パワーポイントの影像 |
5.講演を終わって
これまで小学生を対象にした講演の経験がなかったので、4、5、6年生、合計399名を前にどのような語り口で、どの程度の内容を話 していいのか自信のないまま会場に入った。開始からすでに50分が経過しており、ビデオ上映の終り頃から児童の皆さんは小休止したがっている素振りがみられた。そこで、できるだけ皆が集中して聞いてくれるように、興味のありそうなことを多少早口で話した。ど の内容の話にも飽きることなく聞いてくれたと思っているが、小学生向けにはあまり馴染まないものもあったかもしれないと振り返っている。
最後の「先輩として二言」を話している時、皆の視線が私に集中しているのを実感して力が入った。
かなりのボリューウムのパワーポイントを用意したが、不慣れでそれを充分生かし切れず心残りもあったが、退場の際、手を差し伸べてきた子供達の表情をみて救われる気持ちにもなった。
時間の都合で質問を受けることが出来なかったが、聞いてみたいことなどは先生を通して手紙でも頂ければ、返事を出したいと思う。
この度の講演会では、櫻井校長先生、教務主任佐藤先生や船長協会の皆さんにも本当に色々お世話になり、無事、母校に帰ることが出来たことに感謝しています。
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講演に聞き入る子供たち |
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感想を述べる松田幸人君 |
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