IFSMA便りNO.15

(社)日本船長協会事務局

国際的な船員の需要と供給

このところIFSMAは目立った動きのないところから、今回はBIMCO/ISF(注)の国際的船員の需要と供給に関する調査について紹介したい。
このレポートは昨年の12月1日に発表され、日本でもすでに紹介されていると思うので本誌に書くことは控えていたが、近着の業界誌を見るとマンニング関係者の間では船員の逼迫感が強いようであるし、また最近このレポートに言及した欧米の記事などを目にする機会もあり、それらを紹介する意味もあってあらためて書いてみることとした。

BIMCO/ISFの国際的な船員の需要と供給調査


昨年の12月にBIMCO/ISF Manpower2010 Updateが発表された。これはBIMCO(ボルチック国際海運協議会)とISF(国際海運連盟)が共同で5年毎に発表している世界の船員数の推計である。
2010年の数字は次のようになっている。
現在員は、
職員 62万4千人
部員 74万7千人   計 137万1千人
であり、一方現在の世界の商船隊に配乗するのに適正な船員数は、
職員 63万7千人
部員 74万7千人   計 138万4千人
である。これによると職員の不足数は1万3千人となる。かつての数字より需要と供給のギャップは小さくなってきた。
このBIMCO/ISF Manpower 2010Updateの附属資料には各国別の船員数の推計があるが、この原稿を書いている時点では残念ながら入手出来ない。
このBIMCO/ISFレポートについて少々説明すると、1980年代末にコペンハーゲンに本部を置くBIMCOが世界的な船員の調査に乗り出すとのニュースがロンドンに本拠を置くISFに飛び込んだ。
国際船員問題に関する唯一の国際団体を自負しているISFにとってはその足元を揺るがすようなニュースで、面子を失ったISFはすぐさま代表団をコペンハーゲンに送った。
さすがに、こうした問題はISFに任せてBIMCOは手を引けとは言えず、交渉の結果両者共同で調査を行うこととなった。
また調査機関として英国ウォーリック大学の雇用問題研究所を起用することとした。
BIMCOとISFはそれぞれ数人の委員を指名し、この調査のステアリング・コミッティーを組織し、調査を開始した。筆者もISF側の委員として、以後4回の調査に関わった。
調査手法は広く世界各国の政府、船社、マンニング会社、船主団体、海員組合、など船員関係団体に調査用紙を配布し回答を求めると同時に可能な範囲でこれらの団体とのインタヴューも行った。
また船員の需要を予測するために、海上の荷動きや造船量の予測など各国の海運経済研究所やコンサルタント会社、あるいはロイズの統計など幅広い資料に基づき就航船舶数とその乗組員定員などを推計した。
さらにマンニング・エクスパートの意見も勘案して船員の現在数と将来の需給を推定した。
しかし各国とも船員数の統計を整備しているような国は殆どなく、国ごとの船員数を推計するのには大きな困難があった。
英国でさえ船員数の統計はなく、このBIMCO/ISFの調査が発表されて以降、大学やコンサルタント会社が英国に寄港する船舶の乗組員名簿や、あるいは英国の海技資格証書の更新記録をもとに英国人の船員数を推計するような状態であった。
このためレポート作成の最終段階で、船員の現在数を何名とするか、需給関係をどう表
現するかはステアリング・コミッティーのホットな議題であった。
結論はエイ・ヤッとは言わないけどかなり政治的な判断の入った数字となるのが常であった。
それはともかく、1990年に最初のレポートが発表され、以後5年毎に調査が実施されることとなった。
今回の調査は5回目の調査となる。
今回は初めて中国の大連海洋大学が調査に参加し、従来正確なデータが得にくかったアジア地域の精度が大幅に向上したという。
1990年代にあって、この種の調査は世界で初めてのことであり、他に比較できるような信頼性のある調査もないところから、このBIMCO/ISFのレポートは船員問題を論じた論文やエッセイに必ず参照される数字となった。
おそらくサイテーション(citation 先行文献の引用)のランクからすれば、これほどポピュラーなレポートは海事関係では他にないであろう。
このBIMCO/ISFレポートでは、これまで常に世界的に船舶職員の数が適正水準からほど遠いこと、OECD諸国の職員の減少、高齢化に警鐘をならし、そして各国政府、船社、団体に船舶職員の養成を訴えてきた。
部員は今回、完全に需給が完全に均衡しているとするが、これまでは常に過剰としてきた。
部員はさておいて、職員についてもう少し見てみよう。
まず今後の見通しだが、このレポートは3種類のシナリオを想定しており、その基準となる見通しは世界の船腹量(隻数)の伸びをやや控え目にみたもので、2.3%(これは過去10年間の伸びとほぼ等しい)として、2015年には職員が5%不足、そして2020年には需要が鈍化するとともに、各国の船員養成数が増えるため、1%の不足としている。
他の見通し、すなわち“Cold”Scenarioでは2020年に需給が逆転し職員が2%余剰、一方“Hot”Scenarioでは同じく2020年に9%職員が不足するとしている。


BIMCO/ISF調査に対する欧米関係者のコメント

このレポートに対する欧米の関係者のコメントを少々紹介してみよう。
まず英国とオランダの船舶職員組合であるNautilus Internationalはその機関誌“telegraph”の1月号でタブロイド判の見開き2ページを使って詳細に論じている。特にOECD諸国の職員の減少に焦点をあて、英国及びオランダ政府のみならず欧州連合政府に対して、船員の養成、そのための適切な財政的/法的支援を要請している。
OECD諸国の職員は2000年の調査で36.8%であったものが2010年の調査では29.4%と大幅に減少している点を強く懸念している。
これを埋めるのが東欧職員で15.2%から20.3%に増え、またインド亜大陸の職員7.9%から12.8%に増加している。
そして“telegraph”は「まかり間違っても船主/使用者はこのレポートから楽観的な結論を引き出すべきではない。
船員不足の危機が回避されたのは、たまたまリーマンショックとその後の世界的な不況に遭遇したからに他ならない。
上級職員の大量退職は目前だし、それに見合う職員の養成・採用はなされていない」と指摘している。


カナダの船長協会の会長であるCaptCalvesbertは米国船長協会の機関誌“Sidelights”の“From the Master’s Deck”というコラムに寄稿して船員問題を論じている。
彼は2005年のBIMCO/ISFレポートが慢性的な職員の不足を予測していたのに比べて、
2010年のレポートの違いが際立つとしている。
それにもかかわらず次の文言が関係者を混乱させかねないと指摘する。すなわち、
“Unless measures are taken to ensure a continued rapid growth of qualified seafarer numbers, especially for officers, and/or to reduce wastage from the industry, existing shortage are likely to intensify over the next decade.”
Capt Calvesbertは他の調査機関や海事コンサルタントの船員需給に関するレポートも
このような曖昧なコメントを載せている、と指摘している。
確かにリーマンショックで世界経済は打撃を受け、新造船はキャンセルされ係船は増えた。
その結果船員の需要は軟化した。
しかし世界経済の回復とともに船員の需要は増す。
さらにこのレポートは海上及び陸上においてシニア・ポジションにある船舶職員がほどなく大量に定年となる、その結果これらのポジションに多くの空きが出る、このことを考慮しているのだろうか。
2、3年前、大手のマンニング会社V.Shipの最高経営責任者が船舶職員は陸上に流れている、それらの職員はこれまでの職員と比較して明らかに海上経験が少ないであろう。
そして海上にあっても必ずしも十分な経験を踏んでない若手が上級職に昇進することになるだろうと指摘している。
一方、船舶はますます多様化し、その運航は専門化している。
その結果、船員不足は特定の分野において顕著となるであろう。
船員の不足の問題は単に数の問題ではないと強調している。
最後にもう一つ、英国のマンニング会社、Shiptalk Recruitment Ltd. が発行しているニュースレター“Gangway”の最新号から“Studied Confusion”と題したBIMCO/ISFレポートの記事を紹介しよう。
これまでのBIMCO/ISFレポートは、はっきりと未来を映すクリスタルボールであったが、2010年のレポートはどうも違うようだ。
それはマスコミや船主や関係団体からの食い違う解釈にも表れている。
まずLloyd’s Listは「海運界は船舶職員雇用の危機に直面する」(Lloyd’s List 2010年12月1日記事)と題し“Hot”Scenarioを引用して2015年には11%、数にして約6万人の船舶職員が不足し、世界経済の回復と相まって海運界は深刻な人手不足に直面すると警告している。
しかしレポートは中国の相当数の船員がグローバルな船員雇用市場に参入することによって船員不足は緩和されるであろう、とも言っている。
ISFのシニア・アドバイザーは極東だけではなくOECD諸国においても目に見えて供給が増えたことは嬉しい誤算であったと述べている。
本当のところはどうなんだろう。たしかに大連海洋大学だけでもこれまでに2万人に及ぶ船舶職員を養成してきた。
もし、これらの職員がすべてグローバルな船員雇用市場になだれ込めば、船員の需給は大きな影響をうけるであろう。
しかし、これには大きな疑問符が付く。
Shiptalk Recruitment Ltd. としてはこれまでの情報や上海でのマンニング・コンファレンスに出席した経験などを総合すると中国の良質の職員が大量に市場に参入するとは考えにくい。
端的に言えば優秀な船員は中国船に配乗され、そうでもない職員達は遅かれ早かれ船員をやめるか、中国沿岸や河川を航行する船でのんびりした生活を送ることになるのではないか。
やはりここは“Hot”Scenarioを念頭に置いて、安定的な船舶職員の供給に努めねばならない。とりわけマンニング会社としてWastage Rate(船員の中途退職率)を改善しなければならない。つまるところ“Recruiting is one thing, Retention is another”だからである、と結んでいる。

後書きに替えて

始めに書いたようにこのBIMCO/ISFレポートについては我が国でもエキスパートがすでに紹介されたことと思い書くつもりはなかったが、このレポートに対する2、3のコメントを読むに及んで、これらのコメントを紹介することに何らかの意味があるかと思い掻い摘んで記した次第である。
筆者も中国からの大量の船舶職員の参入は可能性が低いと思うし、また船員王国を自称するフィリッピンのように船員不足はあり得ない、何故ならフィリッピンには潜在的な良質の船舶職員予備軍が無数にいるからである、と言う広言を鵜呑みにするわけにもいかない。
やはりここは今後の厳しい船員不足を想定してその養成に必要な手段を講じるべきものと思う。
今回のレポートとそれに対するコメントで特徴的だったのは海技者の陸上職への異動について船員不足の一つの要因と考える人が多いことである。
コメンテーターが欧米に偏っているためでもあろうが、海運業の経営の在り方も変化し、海技者が陸上での必要不可欠な役割を負っているのであろう。
どの産業もそうであろうが、競争優位を決める要因としての人的資源が占める割合は非常に高い。
特に海運業はそうと言えるのではないか。
ギリシャがそのいい例である。
日本海運にあっては、グローバル化を進め海技者もグローバルに人材を求めればよいと割り切るにしても、日本人の海技者でなければ出来ない役割があるはずだ。
今は何事も戦略の必要な時代である。捨てるものは捨てて、日本人船員、日本人海技者の生きる道を考え、それを育てねばならぬと思う。
注―――――――――――――――――――
BIMCO(Baltic and International Maritime Council)ボルチック国際海運協議会1905年に発足の“The Baltic and White Sea Conference”が前身。メンバーは、船舶代理店を含むブローカーの他、PI保険等を含む「クラブメンバー」や船級協会や海事法律事務所、損保や銀行等海運に関心のある「準メンバー」により構成されている。BIMCOの事業としては、傭船契約等書式の標準化が有名。IMOに対して意見を開陳する。1905年に創設され国際的な海運団体、本部はコペンハーゲンにある。(日本船主協会海運用語集)
ISF(International Shipping Federation)国際海運連盟
各国船主協会を会員として1909年に設立された組織で、本部をロンドンに置く。
日本船主協会は1957年5月に加盟。船員の労働条件、資格、訓練、福利厚生など海上労働問題全般にわたる国際的な検討、処理を目的とする団体。IMOやILOにおいて、使用者を代表する国際組織として活動している。各国の船主協会が参加する使用者団体、国際労働機関にて使用者側代表を務める。(日本船主協会海運用語集)


LastUpDate: 2024-Nov-19