(社)日本船長協会事務局 | ||||
タンパへの遠い道悲運のスコット南極探検隊の記録「世界最悪の旅 The worst journey in the world Antarctic」のような旅というのはもちろん大げさだが、マーフィーの法則そのままのような旅であった。 チェックインを済ませ、ホッと一息を入れてから、掲示板を見ると遅延と出ている。 まあいいかとお茶を飲みに行き、そして帰って掲示板を見ると今度はキャンセルと出ている。 あわててカウンターに行くと長い行列が出来ている。 それに並んで何とか振替便にチェックインした。 また広い空港を移動する。 手荷物はもちろんチェックインしてあるが、パソコンの入った鞄は結構重い。 そして次のゲートまたまた同じことが起きた。 原因はアメリカ南部を襲った竜巻と異常気象で、それにともない到着機材がないのだという。 それでも何とか夜の11時過ぎの便が予約できた。 これに乗ればタンパには真夜中過ぎになる。 とにかく明日の朝までにつけばよいので、とりあえずタンパのホテルに電話をして夜中の1時か2時には着けるから部屋を確保してくれるように依頼した。 長期戦を覚悟して、ハンバーガーで夕食をすませ、ひたすら待った。 そして10時過ぎ、掲示板は無情にもこの便もキャンセルと表示された。 カウンターには怒り心頭に発した乗客の列が続く。 スペイン人の老夫婦が何かわめいている。 やっと順番が来て、カウンターの後ろを見るとアメリカン航空は東日本大震災の被災者にお見舞い申し上げるとともに義捐金を募集すると表示されている(写真)。 それでは会議に間に合わない、こちらはすでに3回もキャンセルになっていると強固にいうとそれではとビジネス・クラスの席を用意してくれた。 もちろん料金はそのままである。 次に今夜の宿はどうなるかと聞いた。 空港の待合室にはコッド(簡易ベッド)が用意してあるから、それを使ってくれという。 そこでまたネゴシエーションである。 こちらは成田を発ってすでに20数時間、殆ど寝てないし、狭心症の持病もあれば、エコノミック症候群発症の可能性だってある、何か起きれば空港も航空会社も困るだろう、こんな所で野宿するわけにはいかないと努めて冷静に言った。 結局航空会社が空港近くのモーテルを予約し、そこまでのトランスポートを手配することとなった。 そして案内を兼ねてついでにバスの乗り場まで車いすを手配するという。 狭心症を強調しすぎたのかもしれない。待つほどなくこれまたアフリカ系の大男が車いすを持ってやってきた。 乗せてもらおうかと思ったが、さすがに気が引けるので、私の狭心症には適度の運動も必要だとか何とか言って、パソコンの入った鞄を車いすに乗せてもらいバス停まで送ってもらった。 紹介された空港近くの小さなモーテルはすでに飛行機に乗れなかった旅行者で一杯でロビーに入りきらず玄関の外まで並んでいた。 辛抱強く並んで部屋にたどり着いたのは午前1時近い。 上着とるのももどかしくベッドに横になり30数時間ぶりに身体を伸ばした。 4時間ほど眠り5時起床、空港へ駆けつける。またまたボディ・チェックを経てやっと座席に身を落ち着ける。 そしてスケジュール通りに離陸、やれやれとの思いである。 機は上昇し巡航高度に達し水平飛行となった。 これから朝食でも出てくるかと思った矢先、機は急降下を始めた。 それと共にLost Pressureとの機長のアナウンスがある。 そして酸素マスクが天井から下りてきた。 これまで多分、数百回飛行機に乗ったと思うが、初めての経験である。 マスクの装着などバタバタしていたが、やっと落ち着いた頃、両耳の奥が何かで突かれたような鋭い痛みを覚えた。 この痛みはしばらく続いたが、それはなんとも耐え難い痛みである。 急激な気圧の変化に順応できなかったのであろう。 その昔、エア・パイロットを志したこともあったが、ならなくてよかった、正確にはなれなくてよかったというところか。 機はまたダラスに引き返し、昼過ぎの便をつかまえた。 そしてタンパに着いたらすでに3時過ぎである。 それにしても成田でチェックインしたスーツケースが奇跡的にも届いていたのには胸を撫でおろした。 成田を出てからタンパに着くまで正味37時間である。 空港から直ちに理事会の行われているホテルへ駆けつける。 理事会のメンバーは一斉に立ち上がり歓迎してくれたが、もう議事はほとんど終わりである。 それでも時間を延長して親切に会議の復習をしてくれた。 そして東日本大震災と福島原発に関する報告に耳を傾けてくれた。 そしてひとまず会議を打ち切り、あらためてホテルにチェックインすべくレセプションに行った。 美人の受付嬢は「まことに残念ながら貴方の部屋はキャンセルされました」。 今朝まで待ったけれど連絡がなく、復活節の休暇の真っ最中で全ての部屋は埋まっているとの事であった。 またまたネゴの結果なんとかそのホテル・グループのワン・ランク下のホテルならぬインに潜り込めたが、いやはや長い苦難の旅であった。 |
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「理事会」議題は例によって多岐にわたる。 |
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「米国船長協会タンパ支部」今回の理事会は米国船長協会タンパ支部(これをChapterと言っているが、主として米国での表現のようだ)に属するIFSMA副会長のCapt Jerome Benyoの招待によるものである。 |
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篠村 義夫氏国際海事機関(IMO)の元事務局次長の篠村義夫氏が逝去された。享年84歳。 (赤塚記)
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