IFSMA便りNO.19

(社)日本船長協会事務局

アメリカ同時多発テロ事件

2001年9月11日の午後、ロンドンの日本船主協会の事務所で書類を読んでいた。
その時廊下を隔てた隣のタンカー管理会社のビルがニューヨークで大変なことが起きているようだ、TVを見に来ないかと声を掛けてくれた。
そしてあの衝撃的シーンを見た。
WTCは若い日にその21階で働いていたことがある。
またその下にあるマリオットホテルはつい1年程前に泊まった所である。
それらの慣れ親しんだ建物が見るも無残に崩れ落ちるのを見るのは耐え難かった。
あれから10年、今年の9月11日、ニューヨークで、ワシントンで、慰霊のセレモニーが催され、多くの記事が新聞や雑誌を埋めた。
ある米系クルーズ船社ではその日、航行海域に関係なく支配下の全船で「その時間」に1分間の黙祷をしたという(日本海事新聞による)。
9.11テロとその後のセキュリティ強化により船員も多くの影響を受け海運関係業界紙にもいくつか記事が載ったが、今回は筆者の知人の3人がLloyd’s Listに書いた記事要点を紹介し、この国際テロと船員のかかわりについて書いてみたい。
若干省略したり、また深読みして当人の意とするところを強調した点もあるが、その趣旨を歪めてはいない。

まずLloyd’s Listの顔ともいうべきマイケル・グレイの9月15日の記事である。
マイケルは船員歴約12年で遠洋の船長免状を所持している。
下船後最初に英国の船主協会で働き、その後ジャーナリズムの世界に移り、Lloyd’s Listの編集者を長らく務めた。
Lloyd’s Listを退社後はフリーのコラムニストとして、海事社会に大きな影響力を持っている。
マイケルは9 月15日のLloyd’s Listに“Long-lasting impact of 9/11”「永続する9.11の衝撃」と題して寄稿している。
その見出しに続くリード部分では、“While it is understandable that security was tightened after the events 10 years ago, must officials really be so unpleasant ?”「9.11テロのあとセキュリティが厳格になったことは理解できるが、どうして役人はあのように不愉快なのであろうか」としている。
マイケルは言う、あの日殆どの交通機関が機能しないなかで、マンハッタン島南部のフェリーを始め多くの小型船やボートが人命救助作業に関わった。
ニューヨークの水上交通のルネサンスが始まったのはまさにこの日である。
そうして人々はフェリーが如何に貴重な財産であるか、おそらく初めて気が付いたのである。
一方、船乗りはこの日を境に世界の海を航海する船舶の受難が始まったことを知っている。
それ以前からアメリカの諸港は常に上陸許可を取るのに厄介な所であった。
乗船してくる移民官は決して他の大陸からやってくる人間に対して歓迎の意を示したことはない。
時には不快感を抑えられない乗組員に代わって、パーサーあるいは船長までが移民官に対する乗組員のいやみや皮肉の責任を取って平謝りし、何とか上陸許可書を手に入れた。
特に移民官は、あのテロの実行犯であるサウジ出身の操縦訓練生達を単に書類が整っているというだけで見逃してしまったことに対する反動かも知れない。ハイジャッカー達はエアライン・セキュリティ・システムを潜り抜けて搭乗したのであるから、テロ以後もセキュリティ・システムがそのままであるとは誰も考えてはいない。
しかし航空機の乗客はテロからしばらくするとそれなりの敬意を払われたが、船乗りは長い間不愉快な思いをしてきた。
上陸許可書を取得するためには何段階もの複雑なビザの手続きを必要とし、うっかり手続きを忘れた乗組員は船内に閉じ込められた。
正当な理由で本船を訪問しようとする人々さえも馬鹿げた手続きの為に乗船が不可能となった例がいくつもある。
「セキュリティ問題」を盾にプライヴェート・バースなどでは乗船することも下船することも殆ど不可能なケースが少なくない。
アメリカ諸港では乗組員の交代はほぼ不可能になってしまった。
こうしたことを通してアメリカは海事社会における多くの友人を失った。
アメリカが最も多くの友人を必要とするこの時にだ。
その一方で、国土安全保障局の中では船員は忘れ去れた分野になってしまった。
誰もが外国船員は適切な待遇をうけることは政治的にも重要なことであるということを認識していない。
こうした背景のもとに多くの不愉快な出来事が起こった。
航海士が岸壁に降り立ち、船首尾のドラフトを読んでいたのが、無断で上陸したとして法に触れるとの理由で国外追放された例がある。
また、舷門でウォッチマンに身分を明かさず、あるいは本船のセキュリティ・ルールを守らなかったため本船側が乗船を拒否した時、見苦しい振る舞いに及んだ乗船官吏、乗組員に悪ふざけをし、さらには船員手帳などの書類を投げつけた例など、不愉快なエピーソドは掃いて捨てるほどある。
悪いことにはこのようなアメリカの例を模倣しようとする国が多くあることである。
テロの防止を名分に、法律を順守し職務を果たそうとする船乗りの生活を一層惨めにする。
もし少しでも船舶によるテロの情報でもあればセキュリティの強化も容認されようが、そのような情報は船舶については欠落している。
このような船員達の苦難は9・11のレヴェルの低い犠牲者と考えるかもしれないが、彼らが犠牲者であることには変わりはない。
あの世に居るオサマ・ビン・ラディンは、無数の善良な人々が理不尽な不便を強いられ、不快な思いをし、セキュリティ強化に伴うコストの高騰に悩まされているのをみて、自分の蒔いた種が実を結んだとほくそ笑んでいることだろう。

The Mission to Seafarersはかつてはシーメンズクラブと呼ばれた船員の福利厚生施設を運営する英国国教会の組織であり、神戸にもKobe Mariners Centreと呼ぶクラブがある。
このThe Mission to Seafarersの英国本部の事務局長であるトム・ヘファー牧師も“Seafarers pay the price of increased security”「セキュリティ強化の代償を支払う船員達」と題して、Lloyd’s Listに投稿している。
リード部分は“The shipping industry has always been an easy target for those who understand little about its importance and the benefits it brings to global trade”「グローバルな通商貿易に海運が如何に貢献しているかを殆ど理解しない人々にとって海運界は常に格好の標的であった」である。
トムは言う、9・11テロとその後の紛争により世の中は変わった。
それでもこれほど多くの人々が影響を受けるとは想像できなかった。
船員及びその家族は「テロに対する戦争」の深刻な二次的被害を受けているのにもかかわらず、マスコミはもちろん他の機関などでも殆ど取り上げられることはない。
ISPSコード(“International Ship and Port Facility Security Code”「国際船舶及び港湾施設保安コード」)の成立は国家にとってテロの脅威を船舶と港湾の不便性とすり替えるものであった。
コードの採択から9年経った今、我々は少しは安全になったのであろうか。
多分このセキュリティ強化がもたらしたものは、担当部門の役人達が枕を高くして眠れることぐらいであろう。
一方船員とその家族の払う犠牲は非常におおきなものがある。
世界の港において、このコードが要求するとてつもない手続きは、乗組員の上陸出来る機会をますます減少させ、そして家族に電話する貴重な機会を奪っている。
シーメンズクラブの牧師が訪船するのに必要なパスを過去155年間は何の問題もなく取得できたというのに、今ではパスの取得するために書類の海に溺れてしまうありさまだ。
私は無知かもしれないが、こうした山のような、海のような書類の空欄を埋めたり、マルやペケを付けることが本当に世の中を安全な場所にすることに役立っているのだろうか。
そして記事のリードである「グローバルな通商貿易に海運が如何に貢献しているかを殆
ど理解しない人々にとって海運界は常に格好の標的であった」と繰り返している。
トムはさらに次のように言う。
来年の4月14日はタイタニック号遭難100周年である。
タイタニック号の悲劇は世界で初めての海上交通安全のための国際条約、「海上における人命の安全のための国際条約(SOLAS条約)」を産んだ。
この条約がタイタニック号以後の海上の安全の確保のために果たした割合は如何に大きいことか今更述べるまでもない。
まさしく事故から教訓を得、それを人類の幸せのために生かしたのである。
翻ってこのISPSコードはどうか、もちろんこのコード自身もSOLAS条約の一部であるが、条約本体のように機能しているのであろうか、真に人類の安全と幸せの為に貢献するのであろうか。
9月11日はこのことを考える機会でもある、としている。

マイケルとトムの記事が掲載された数日後、英蘭船舶職員組合(Nautilus International)の事務局長であるマーク・ディキンソンがトムを支持する投稿をしている。
マークについては、かって本誌誌上で詳しく紹介したので重複は避けるが、英国とオランダの船舶職員及び一部海事関係者約2万4千人をメンバーとする産別組合のトップである。
マークの投稿は“Welfare of seafarers depends on shore leave at US ports”「船員の福祉はアメリカ諸港における上陸にかかっている」、そしてリードは“ISPS Code has done nothing to protect crew against piracy and only adds to workload”「ISPSコードは海賊の脅威に対し船員を保護することに全く無力で、余分な仕事ばかりを増やしている」である。
まずマークはトムの投稿に対して全面的な支持を与え、過去10年間いかに海賊が猛威を振るったかを示す統計がISPSコードの無力さを如実に示していると指摘する。
2000年以来、数千の船員が殺され、傷つけられ、そして人質に取られた事実はISPSコードが殆ど役に立たなかった証拠であり、その一方ですでにオーヴァーワークであえいでいる船舶職員達にShipboard Security Officer(船舶保安管理者)の名前で仕事を押し付け酷使している。
トムがまさしく指摘したようにますます強まる上陸と訪船の制限は船員の福祉と陸上の船員福祉関係者の活動を困難にしている。
そのうえ、さらに懸念されるのは米国会計検査院のレポートがコースト・ガード、FBIそして国土安全保障局に対して、海上交通関の事故を減少させるために米国に寄港する
外国人船員に対し、今にもましてコントロールを強めることを勧告していることだ。
今、アメリカ及び海運の安全と船員の福祉に真に関心のある各国がすべきことはILO(国際労働機関)の第185号条約、すなわち「2003年の船員の身分証明書条約(改正)」を批准し実施することである。
この条約は9・11テロの最善の事後策として、ILOで一瀉千里に採択されたものであが、乗組員と福祉関係者が非常に難儀しているというのに依然として棚ざらしになっているのは許されないことだ。
船員は潜在的なテロリストとしてではなく、国際運輸のプロフェッショナルとして扱われ
るべきであり、船主、旗国そして海運に依存する国家が本当に優秀な船員を必要とするならば、このような船員に対する虐待は止めなければならない。
それにはILO185号条約を直ちに実施に移し、この条約に基づいて船員の出入国及び上陸などを管理し船員の権利を保護するべきである。
船員を保護し敬意をはらうことは相恵的関係である( 原文はProtect and respect:It’s a two-way street.韻を踏んでいるのであろうか?)。

IFSMA

IFSMAにとって、この乗下船に伴う入国管理や上陸の許可、あるいは福祉関係者などの訪船の問題は重大な関心事であり、ほぼ毎年の総会において決議で強く懸念を表明し、機会あるごとに関係先に働きかけてきた。
秋のIFSMA理事会は10月下旬ロンドンで開催されるが、もちろんこの問題も審議される。
審議の模様は次号に報告する予定である。
トムの投げかけたISPSコードへの深刻な疑念はもっともである。言うまでもなくこのコードは9.11テロの対策としてIMOとしても異例の速さで策定され、採択され2004年7月1日に発効したものである。
もちろんイタリーの客船Achille Lauro号事件(1985年10月7日)などもその背景にあるが、主眼は船舶がテロの手段として使われることを防止することにある。
そこには船員への配慮は殆どない。
筆者はこのコードが所期の目的を達しているのか、弊害はないのか、改善の余地はないのか、コード発効後10年となる2014年に大々的なREVIEW CONFERENCE(コードの評価・見直し会議)を開催することが必要ではないかと思う。
そのためにまずはIFSMA理事会でREVIEW CONFERENCEについて論議するよう提案するつもりでいる。

(赤塚記)


LastUpDate: 2022-Jun-30