秋の理事会は久しぶりにロンドンのIFSMAの事務局で行われた。
10月下旬のロンドンは秋も深い。
北風と共に落ち葉と紙屑とが舞い上がる。
相変わらず街路はきれいとは言えない。
しかしIFSMA事務局の裏庭は多くの緑を残し、落ち着いた雰囲気だ。
さて、今回の理事会議題の中で会員諸兄に多少とも参考になりそうな議題の紹介をしよう。
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1.事務局長の選考
現在の事務局長であるCapt Rodger MacDonaldは2001年に就任して今年でまる10年になるが、2012年の総会で退任することとなっている。
そのため昨年の総会後から後任者の募集を始めたがこれまでに3人の応募があった。
しかしそのうち英国海軍出身の准将は海軍関係の団体から声が掛かり、そちらに就職が決まったとのことで商船出身の2名から選考することとなった。
彼ら二人の履歴は、英国あるいは欧州における商船出身の船長や航海士がどのような形で陸上に転身したのか、どのような軌跡を描くのか、どのような生涯学習プログラムを利用しているのか、参考になる部分もあるかと思い、IFSMAのメンバーに回覧されることを前提に提出されている履歴書から個人情報やプライヴァシーを侵さない範囲内で見てみよう。
—- A船長——
国籍:英国/ドイツ 年齢:59歳
資格:船長、弁護士
学歴・教育:
1975年 ブレーメン航海アカデミー卒業 船長資格証書取得
1981年 ベルリン自由大学にて政治社会科学専攻(3学期間)
1988年 ブレーメン大学にて弁護士としての資格を取得する 専門は環境、エネルギー及び公法
2001年 貨物(乾貨物及び環境検査)検査員終了証書 International Institute of Marine Surveys/National Sea-training Centre,North West Kent College
2002年 LLM(法学修士) 国際通商法及び海事法 サザンプトン大学
2009年 論文「英国商船法の執行について」により法学博士(刑法、商法、公法及び人権法)
研修及び訓練
これについては、1987年から現在までの長いリストがあるが、主なコースだけでも拾い出してみると、フランス語、ケミカル・タンカー、経理管理、財務管理、高速救助艇、ARPA、英国船長資格証書、ISMコード監査、スペイン語、船舶保安管理者、小型船舶検査、危険物取扱、海事仲裁人、高電圧習熟、船殻修繕、人的要因、機関室認識、海事労働条約施行、ECDISとなる。
これらのコースの殆どで終了証書か資格証明書を発給している。
弁護士資格や法学博士の学位は例外として、また欧米人はこうした研修や資格に格別に重きを置くのであらゆる資格を書きたてるが、それにしてもご立派な資格と言うほかはない。
さて、こうした資格をベースにどのような経歴を歩んできたのか同じ履歴書から引用してみよう。
職歴
まず17歳で船社ハパッグ・ロイドの部員として乗船し、Cadet、Apprenticeとして3年間の海上勤務を行う。
20歳でブレーメン航海アカデミーに入学し、23歳で卒業し船長資格を得る。
なお、このブレーメン航海アカデミーは現在ブレーメン工科大学となり、商船学部はその一部をなしており、IFSMAの副会長の一人はこの大学の準教授である。
卒業後ハパッグ・ロイドで5年間、在来貨物船やコンテナ船の航海士として働くが、休暇中にはボランティアとしてドイツ帆船訓練協会でアレキサンダー・フォン・フンボルト号(3檣バーク型)などの帆船の航海士や小型帆船の船長を務める。
その後他社へ移り2年間船長を務める。
またこの間大学で法律の勉強を始める。
さらに貨物検査員、コンサルタントとして成人学級のドイツ労働法の教科書作りやセミナーを担当する。
この後再度海上に復帰し船長を務める。
下船して海事コンサルタントとして、雇われあるいは独立して、放射性物質の海上輸送、港湾の建設にともなうフィジビィティー・スタディ、港湾振興策、海上輸送の環境に及ぼす影響の調査等々のプロジェクトに関わる。
38歳の時に弁護士資格を取得しアムステルダムに本拠のあるGreenpeaceに国際キャンペーン担当の役員として加わる。
Greenpeaceの7隻からなる船隊の統括を始め幅広い業務をこなす。
6年後、ITF(国際運輸労連)のインスペクターとなり、その後ITF関係のコンサルタント会社に移り、ITFのポリシーの立案やキャンペーン計画の策定に従事する。
2002年には教育界に転じ、サザンプトン大学で上級講師などを務める。
2003年に英国海上保安庁に転職し、現在まで海技試験官、検査官、調査官そして監察官を務めている。
この間にサザンプトン大学から法学博士号を授与された。
急ぎ足でA船長の経歴を見てきたが、なんとも華やかというか多彩というか、あるいは目まぐるしいとでもいうか、興味ある経歴である。
しかし弁護士資格や博士号は例外としても、このような多彩な経歴の持ち主である船長出身者を筆者も欧州で数多く見て来ている。
このような人材が輩出されるのは、地域に海事クラスターが形成され、多様な海事関係サービスの需要があり、生涯学習プログラムが充実し、また大学を始めとする教育機関が学生の受け入れやカリキュラムに柔軟性をもっているからであろう。
海事クラスターについていえば、欧州においてはロンドンのシティは言うに及ばず、ハンブルグ、ロッテルダム、オスロ、さらにギリシャのピレウスなどにも海事クラスターは形成され、海事産業に必要な各種のサービスを提供出来る体制が整っていると言える。
また船員が乗船中あるいは陸上に転籍した後のいわゆる生涯学習プログラムも充実している。
例えばEU(欧州連合)においては学習プログラムとして、2007 ~ 13年の5年間に70億ユーロ(約7000億円余)に近い予算が組まれており、欧州の学者などの名前を付けた基礎教育向けのCOMENIUS(チェコの神学者・教育者)、高等教育向けのERASMUS(オランダの人文学者)、成人教育向けのGrundtvig(デンマークの詩人)、職業教育訓練向けのLeonardo da Vinci(イタリアの科学者・芸術家)といった基金計画プログラムがある。
更に、欧州社会基金(ESF:The European Social Fund)はEUの雇用や経済的社会的団結を支える柱となっており、2007~ 13年の5年間で、EU予算の10%に当たる750億ユーロ(約7兆8千億円弱)が計上されている。
他にも、欧州地域開発基金(ERDF:The European Regional European Fund)などもある。
将来に向けてのEUのこうした動きは、2013年以降に構造基金として実施されると同時に、EU市民の生活向上に結びつく成長と雇用に向けた2020年対策の根幹をなすとしている。
当然のことながらこれらのプログラムは船員のみ対象となるものではないが、一方船員が上級資格や他の資格を取得するための必要な奨学金などの各種の支援プログラムも各国により導入されている。
また高等教育機関においては、その履修プログラムや入学資格などかなり柔軟性があるようで、それぞれの学生の事情に応じたプログラムが提供される余地がある。
また一般に入学は「入るは易し出るは難し」で誰にでもチャンスはあるように思える。
—B船長—
国籍:英国 年齢:57歳
資格:船長、ISO及びISMコード監査員
学位:成人教育に関する学士号
B船長の履歴書は詳細な学歴や職歴が記載されていないが、彼の足跡を簡単にたどってみよう。
商船学校を卒業後、約20年間さまざまな商船に航海士/船長として乗船、その後中東の海事検定協会のマネジャー、船舶管理会社の海務監督/品質管理責任者、代理店の運航担当マネジャー、海事教育機関の評価委員会の議長、国際船級協会連合(IACS)のISMコードに関するリエゾン・オフィサー及び議長、ビューロ・ベリタスのISMコード責任者、商船カレッジの講師として海事法及びその管理、IMOの構成、機能そして制約などについて講義、Lloyd’ s Maritime Academyの各種コースの責任者などを歴任した。
そして2010年にコンサルタントとして独立し自分の会社を設立した。
主たる業務は海事/船員教育・研修について個々の会社のニーズに応じるとともに国際的に必要とされる知識技能を網羅した研修プログラムを作成し提供することである。
二人に共通しているのは、陸上への転身から、さらに転職を重ねるわけだが、求人を探し、応募しインタヴューを受け採用されるまでを全て自分一人でやらなければならない。
また転職に必要な知識・技能も自己の責任で身につけねばならない。
上述のように生涯学習プログラムの充実や人材の流動性があるにしてもなかなかしんどい職業生活と言わざるをえない。
IFSMAの事務局長職はこれまでにも書いたように待遇は決して良いとは言えない。
理事会としてはフルタイムの事務局長として採用したかったのであるが、IFSMAの会費をこれ以上値上げるわけにはいかず、パートタイムとせざるを得なかった。
パートタイムとはいえ、IFSMAの主戦場がIMOであるので、事務局長は原則としてほぼ全ての委員会、小委員会に出席することを前提としているので結構肉体的にも負担がかかる。
それではなぜ彼らがIFSMAに応募するのであろうか。
それはIFSMAの事務局長という地位が金銭的にはほとんど魅力はないが、国際的な海事社会ではそれなりに重みを持っているからであろう。
IFSMAは国際的に船長を代表する唯一の組織であり、その立場は政府の関与や商業的圧力からも独立して純粋に海上の安全、海洋環境保護の促進、船長及び船員の社会的な地位の向上を目指すという、ある種の原理主義的な団体と目され敬意を払われている。
この団体の代表としてIMOで、あるいは他の国際会議で出席し、発言し、コメントし国際規則策定に関与出来ることは極めてやりがいがある。
今回応募した両名とも長い陸上生活でIMOを始めとする各種の国際規則やガイドラインの解釈、実施、評価などを行ってきたわけで、おそらく規則の策定された経緯やその目的や、合意に至るまでの紆余曲折、あるいは舞台裏などに興味を持った事があろう。
特に独立してコンサルタントなどを行うにはIMOの動きから目を離すわけにはいかない。
IMOに出席し、その作業に関わることは彼らにとって極めて興味のあることと思われる。
さらにIFSMAの代表はIMOやILOなどの会議において、その立場は自由度が極めて高い。
会議出席者の基本的な立場は船と貨物と人命を預かる船長としてどのように考え行動するかがベースである。
IFSMAの政策は理事会で策定し、総会で合意を得、あるいは会員の総意をくみ上げ政策を決定するものであり、それは船長としてどうあるべきかが基本となっている。
もちろん理事会メンバーたる選挙で選ばれた役員達もIMOを始めとする国際会議に出席することを強く奨励され、また他の出席者がIFSMAの政策に沿って会議で行動するように監督しなければならないが、事務局長の裁量の幅は大きい。
船長経験者としては面白い仕事と言える。
IFSMA役員による候補者2名のインタヴューは12月5日に行われるが、筆者は残念ながら参加出来ない。
インタヴューの結果は全役員に周知されコメントを求めたうえで新事務局長を内定することになる。
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ISPS コード(“International Ship and Port Facility Security Code”「国際船舶及び港湾施設保安コード」) のReview Conference
本誌前号のIFSMA便りで筆者はISPS コード採択10周年となる2012年か発効10周年となる2014年にReview Conference行い、船員の立場からこのコードが何をもたらしたのか見直すべく提案したいと書いた。
今回の理事会でこれを提案したところ全員の賛成が得られた。
そして検討の結果、Conferenceの名称を“How can we make the ISPS Code
Work?”「いかにしてISPSコードの所期の目的を達成させるのか」として、2012年の秋にIMOで行う案が合意された。
2012年の秋の海上安全委員会(MSC)はこれまでの例では水曜日から始まるので、その週の火曜日に行えば多くの各国の代表団の出席が期待出来るからである。
またこうした会議の運営に経験豊かな“Riviera Maritime Media”を起用し、プログラムや広報方法などを今後詰めることとした。
スピーカーは今後検討するが、IFSMA便りで紹介したThe Mission to Seafarersの事務局長であるヘファー牧師にはぜひ参加したもらうこととした。
こうしたConferenceを成功させ、将来IMOで行われるであろう正式なReview Conferenceに我々の意見を反映させることが出来るようにするには周到な準備が必要である。
まずは理事会メンバーで意見の交換をし、6月の総会で合意を得なければならない。
この会議を提案した日本船長協会としても、出来ればスピーカーとして参加したいと考えている。
それにはまず会員諸兄の協力を得て、ISPSコードの実態について調査する必要があろうと考えている。