NYKグローバルバルク(株) 元船長 松野 重春 | |||||||||||||||||||||||||
1.開催に至った経緯約23年に及ぶ海上生活と20年に及ぶアメリカ駐在船長を定年で終えて、生まれ故郷の秋田に帰って来たのは平成16年の暮れでした。男子志を起てて郷関を出ず、等と言えるほどの大志はなくとも其れなりの希望を抱き、母に見送られて家郷を出たのは40数年前のことでした。故里の山河は変わりませんが道行く人は兄妹以外は殆ど知る人もなく、浦島太郎もかくの如きかと些か寂しい気分になりました。 17年夏頃、定年前まで勤務していた“NYKグローバルバルク(株)”の海務担当者から秋田の花輪少学校(鹿角市)にて日本船長協会が海と船の講演会をすると言う知らせがありました。早速、協会の原田船長に連絡して、講演に関する資料を戴き見学させてもらいました。同校OB の工藤船長による話しに非常に興味を持ち、自分の出身地の男鹿市(船川港を含む)でも開催できないかと原田船長に相談し、資料を送付してもらいました。 資料を持参して出身校の脇本第一小学校(佐藤謙一校長、加藤真知子教頭)を訪問して相談したところ非常に興味を示していただきました。11月の中頃には学校を一般に開放して父兄や関係者に実情を見ていただく週間があることを知りました。次に訪問した東中学校(新田清志校長、栗森貢教頭)では、この週間を利用することを強調して話しはすんなりと決まりました。そんな経緯があって両校の校長先生には海と船が如何に自分達の日常生活に密着したものであるのか子供達及び父兄に理解して戴きたいということで快く賛同して戴き実施の運びとなりました。
2.講演会講演会は学校側の行事スケジュールにあわせて次の日程及び規模で実施した。
3.むすび同小学校及び中学校のOB である講演者は、泉汽船・新東海運で航海士・船長を務めた後、木材などの輸送業務で長期間米国シアトル駐在の経験を持ち、子供のころ船長を志したきっかけや海・船と生活のかかわり、海外での思い出などを話して聞かせた。講演会終了後には、父兄の方々から反響があり、次回には大人の集会で話して欲しいとのことであり、実現したいと思っています。 <NYKグローバルバルク(株) 元船長 松野 重春・記> |
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生徒達の作文 |