大阪湾水先区水先人 渡辺茂 | |||||||||||||||||||||||||||
1.開催に至った経緯
「船長、母校へ帰る」―船長協会主催の講演に出る機会を得、協力させて頂いた。 山村の例に漏れず過疎化が進み、私が学んだ頃は一学年が70余名、全校生徒は220名余りと、それでも小さな学校だったが、今回訪れた時は総生徒数57名と超ミニ校となっていた。数年後には町村合併に伴い隣町の学校との併合、廃校が決まっていると聞き寂しい限りである。
2.講演会当日は父母会開催日で、時間割で1時間分の枠を頂いてのミニ講演となった。今回の講演には船長協会の森本会長と原田理事に同道して頂き、特に、原田理事には学校側との事前の打ち合わせ、講演会用の資料、資材のご手配、前日に学校を訪れ、準備、打ち合わせを行い、夜には学校近くに出来た、今流行りのローカルリゾート「泰澄の杜」に投宿、深夜まで準備、打ち合わせを行う等々万端の準備を整えて頂けた事、誌面をお借りして感謝を申し上げたい。 講演では全校生徒と職員、父兄も約30名が集まり、限られた時間ではあったが、故郷を出た男の生き様を、そして、「海」「船」の事を話すことが出来た。 海からも遠く、私達の頃は自炊用の米を背負って浜辺の学校へ出掛け、講堂でごろ寝をする数日の臨海学校があったが、今はそれもしなくなったと聞いた。福井の(特に越前)海岸は砂浜が無く砂利浜で水は綺麗ですが、当時は今では想像も出来ない位粗雑な海辺での「海遊び」だった。当然ながら大型船を見る機会等殆ど無い田舎であり、船のイメージは「板子一枚下は地獄」であり、「よく、そんな危ない仕事を選んだネ」等近所の人から言われたものである。 現在の水先の仕事関連で私が実際に水先を行なった船舶の中から、コンテナー、タンカー、鉱石船、LNG、PCCの写真を見せながら、夫々の船の特徴や役割を話し、特に巨大船の大きさや、巨大船でも外洋に出ると小さな船と同じにゆれる事等話したが、100メートルの直線道路も無いような地域であり、「長さ300メートルの船」と話しても生徒さんには実感が湧かなかったのではなかろうか?
3.むすび今の中学では世界地理を教える余裕が無いと伺ったので、地球規模の話として、南シナ海、インド洋のモンスーン、テファンテペックの強風、赤道海流、南米南端プンタレナス付近の西風が連吹する地域の風景、パタゴニアとカナダ西岸のフィヨルドが地形的に酷似している事等々、余り纏まりの良くない体験談に終始した。
最後に私が親から言われ今も守っている事、それは「出会いを大切に」である事、皆が努力して溜め込んで、絶対に他人に盗まれない物、それは、自分の頭に溜め込んだ「知識」である事、自分を大切にしてこれからの人生を送って欲しい事を話して締め括った。
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お礼の言葉、生徒達の作文 |