IFSMA の戦略故
(一社)日本船長協会 副会長 赤塚宏一
本誌が会員諸兄の手に渡る頃は5 月の半ば、
緑爽やかな一年でも最も良い季節だが、
IFSMA 理事会の開催された2 月のロンドン
は寒かった。朝は8 時にならないと明るくな
らないし、午後4 時過ぎれば早くも暗くなる。
空は低く常に曇っており時間の経過も判らない。
滞在したゲスト・ハウスは地下一階で曇り空さえ見えない。
気温は神戸と比べてそんなに低いわけでもないが、この天気のせいか体感温度は低い。
理事会の開かれたIFSMAの本部のあるMarine Society and SeaCadets の会議室は暖かいとは到底言えない。
こうした中で北欧の船長達と会議をするのは
少々辛い。こちらは日本から持参したカイロ
を背中に貼り付けて何とか頑張っているのに
彼らは上着はおろか袖まくりをして冷えたミ
ネラル・ウォーターを飲んでいる。
今回は米国の副会長Capt. C.Hunziker が
TV で参加した。普通のパソコンのモニター
画面だけで米国とつながり会議が出来るとは
便利になったものだと思う。
戦略会議
さて、今回はこの理事会の模様を報告する
ことであるが、4 月に南米チリーで開催され
るIFSMA の年次総会の準備について事務局
から報告がなされ、こまごまとした打合せな
どが行われた。
事務局報告の中でIFSMA として重大な関
心のあるのは現在IFSMA が事務局を置いて
いるMarine Society and Sea Cadets のある
Lambeth Road 202番地の再開発であった。
現時点で再開発計画の詳細は分らないが、現
在の建物の大改装と用途の一部変更であり、
結果的にIFSMA の事務所の移転の可能性も
ある。現在の場所はIMO 本部に近く、東京
の海事センタービルのように、いくつかの英
国の海事関係団体が事務所を置いており、地
理的にも業務上も極めて便利で立地条件が良
い。特にIFSMA にとっては、適切な家賃で
事務所を借りることの出来ることのメリット
は大きい。もし移転せざるを得ない状況とな
れば、IMO に近く、IFSMA の財政が許すよ
うな家賃の事務所を探すこととなろうが、こ
れは易しい事ではないだろう。この事務所の
問題こそ戦略に関わる問題であろうが、現時
点ではこの再開発計画と建物の改装計画が
はっきりしないところから、引続き情報の収
集に当たるほかはない。
このため、今次の理事会はIFSMA の戦略
についてフリー・デスカッションに多くの時
間を費やした。IFSMA の戦略については月
報第413号(平成25年2 月・3 月号)で「IFSMA
の戦略会議」と題して既に書いたところであ
る。IFSMA の戦略の究極の目的はホーム
ページに挙げてある“To be the Serving
Shipmasters’ International Voice” ~ 海上に
ある船長の声を国際会議に反映させよう ~
である。このために財政の基盤を確立し、そ
れを糧とし活動を充実させ目的の達成を図る、
そして会員の拡大を図る、それが財政基盤を
強化する、このサイクルを回すことに尽きる。
このデスカッションの模様をこれまでの理
事会や総会での議論も踏まえて、まとめてみ
たい。従って今回の理事会だけの議論ではな
いことをお断りしておく。
戦略とは
さて、戦略と言う言葉は勿論英語のStrategy
を訳したのだが、改めて辞典を見ると『大
辞林』では「戦略」(Strategy)長期的・全
体的展望に立った闘争の準備・計画・運用の
方法。戦略の具体的遂行である戦術とは区別
される、とある。この日本語の戦略と英語の
strategy の意味するのが同一なのかどうか
も興味があったが、研究社の『新英和大辞典』
(第5 版)ではいくつかある語釈のなかで「国
家戦略-国家の安全保障と戦勝のための大規
模な総合的立案に関する学問」とある。また
『Oxfrd 現代英英辞典』(OXFORD Advanced
Learnerシs Dictionary)では“The process of
planning something or carrying out a plan
in a skillful way. A plan that is intended to
achieve a particular purpose” といささか物
足らないが、日本語と英語の間に大きな意味
の違いは無いようだ。
筆者の戦略に対する理解もこの辞典の程度
で相手のある場合の自己の行動の最適化に関
する方法論か、「囚人のジレンマ」というそ
れらしい事例ぐらいしか思い浮かばないが、
これは不勉強であるのにすぎない。しかしや
たらと戦略という言葉が使われていることに
強いアレルギーがあるのも事実だ。もう何か
といえば戦略という言葉を付け加えれば議論
している事柄が何か重みを増すような雰囲気
に抵抗を覚える。この戦略という言葉はまさ
に万能語であって、殆どの言葉と相性が良い
極めて使い勝手の良い言葉だ。経営戦略や対
テロ戦略などといった本来の意味に近いと思
われる言葉から改善戦略、戦略的賃金、戦略
的投資などは良いとして、戦略的合コンなど
と言った言葉もあった。英語にもCourtship
Strategy(恋愛戦略)なども挙げてあった。
これは日本だけではなく、欧米でも同じよう
な状況のようで、IFSMA の会議でもやたら
とStrategy なる言葉が飛び交う。この戦略
はいうところの手あかの付いた言葉だが複雑
な世界を生きていくのには必要な言葉であり、
基本的な概念なのであろう。たしかに戦略に
関する教科書を読んでみるといたるところで
この戦略的思考の必要性があることもわかる。
またこうした戦略的思考を持たねばならない
公機関の当事者がこうした思考に欠け、納税
者にも多大の損害を与えている例もしるされ
ている。
そこで少しは戦略について勉強をしようと
思い、参考書を2 , 3 あたった。この範囲で
筆者が理解したのは「ある環境において、自
分の取る行動だけではなく、他のさまざまな
人の行動と思惑がお互いの利害を決める状況
を戦略的環境と呼ぶ。すなわち、自分にとっ
ての利害が、単に自分がどうするかだけでは
なく、他の人がどうするかに依存して決まる
環境が戦略的環境である。この戦略的環境に
おいて自分が自分の自由意志のもとにとりう
る行動を、その将来にわたる予定を含めて記
述したものを戦略(Strategy)という。この
戦略的考えを論理的に、数学的に記述したも
のがゲーム理論である」との程度である。
IFSMA の基本的な理念は海上の安全と海
洋環境の保護の為に世界の船長が連帯するこ
とであり、そのためには船長の技術的練度の
向上/研鑚の機会、社会的地位の確立などが
必要であり、IFSMA はそのために活動の活
性化を図る必要がある。活動を支える財政基
盤の確立、そのための会員の拡大が重要であ
る。そのためにはIFSMA として何をやるの
か、極めて限定された財政的/人的資源のな
かでどうするのか、ということであり、これ
は確かに上述した戦略に該当するのであろう。
しかし議論の実態は戦略というよりマーケッ
ティングにより近いとも思われる。ウィキペ
ディアにある定義を借りれば「顧客が真に求
める商品やサービスを作り、その情報を届け、
顧客がその商品を効果的に得られるようにす
る活動」の全てを表す概念である、とすれば
IFSMA が戦略会議と称しているのはマー
ケッティングのことと思うが、マーケッティ
ングも大きく見れば戦略の一つかもしれない。
さて、IFSMA 理事会の議論を引っ張るの
は常にオランダのMarcel van den Broek で
ある。Marcel はNautilus International(イ
ギリス・オランダ船舶職員組合)の副書記長
である。Marcel は小型船の船長は務めたこ
とがあるが、比較的若い時期に労組に加わっ
た経験豊かな組合幹部で、その言説は常に説
得力があるように聞こえる。かなり押しが強
い。このMarcel に対して受けて立つのはド
イツのWilli Wittig である。ブレーメン工科
大学の教授であり理論家だが、それほど学者
然としているわけではない。やはり元船乗り
だ。そして事務局の立場から実務的な意見を
述べるのは当然のことながら、事務局長の
John Dickie である。そこで議論をまとめる
のは会長のHans Sande である。他の役員は
自らの提案がある時は別として、ツッコミ役
に回ることが多い。このツッコミが鋭く面白
い。
議論の皮切りはメンバーシップである。世
界最古の戦略本である『孫子』の謂いではな
いが、「彼を知り己を知れば、百戦して殆う
からず」で、まずIFSMA の会員そのものを
今一度振り返ることとした。IFSMA は1974
年に欧州の7 ヶ国及び南アの船長協会が発起
人となって創設された。そのなかで英、仏、蘭、
ベルギー、ノルウェー、ドイツは今もIFSMA
の中核体だがイタリアは影も形もない。イタ
リアについては事務局も機会を見つけて接触
を試みているが、もともと船長の親睦クラブ
のようで、御多分に漏れず会員の高齢化など
で協会は冬眠状態なのであろう。2012年1 月
のコスタ・コンコルディア号海難事故におい
て、IFSMA は事故に対し遺憾の意を表明す
るとともに事故について調査を尽くし、原因
を究明し、そのうえで公正な審理をと声明を
出し、イタリア船長協会には連携を呼びかけ
たがイタリア船長協会からは何の反応もな
かった。また海運大国ギリシャには勿論船長
協会もあり、ギリシャ船にはギリシャ人船長
を乗船させるべし、などと船主協会や政府に
働きかけているが、ここも数年来のIFSMA
の勧誘にも応じていない。さらにポルトガル
やスペインなどもIFSMA に加盟してはいな
い。欧州には欧州船長協会(CESMA)があり、
地域団体としてそれなりに活動もしているの
で、IFSMA と競合する部分もあり、また財
政的にも二つの上部団体に加入する余裕はな
いのかもしれない。なお、ギリシャはこの欧
州船長協会にも参加していない。
アジア地域については、パキスタンが例外
的に活発に参加しているが、期待されたフィ
リッピンの船長協会も鳴かず飛ばずである。
中国には全国的な船長協会組織は無いようだ
し、韓国はここ2 年ほど筆者が働きかけてい
るが、昨年のセウォル号海難を契機に船長・
航海士・機関長・機関士を会員とする海技士
協会とは別に船長協会を設立する動きがある
との情報を得たが、なかなか連絡がとれず進
展もない。
こうした情勢を踏まえて、戦略としていか
にしてIFSMA のメンバーであることに価値
を見出してもらえるのか、IFSMA のセール
ス・ポイントをどうアッピールするのかいう
議論となった。IFSMA の目的である国際会
議の場で船長の声を反映させるもっとも相応
しい場として最初に挙がるのは勿論IMO(国
際海事機関)である。そして長年IMO の諮
問機関として数々の会議に参加し国際規則の
策定に参画してきたのは大きなセールス・ポ
イントである。
IMO については、理想的には全ての会合
に出席し、出来る限りワーキング・グループ
に参加するのが良いが、残念ながら今の
IFSMA にはそのような余裕はない。ここで
会員協会からの出席を改めて要請することと
なる。そのためには各種のIMO 委員会で何
が問題とされ、何が議論され、それがどのよう
に船長及び船員に影響を与えるのか、判りや
すく、正確に、そしてタイミングよく周知する
必要がある。すなわちコミュニケーションの
問題がある。それをどのように行うのか、こ
れも戦略が必要なのであろう。現状では年一
回のAnnual Report を発行するのに精一杯
の状況では、月刊の機関誌などコストのかか
る紙媒体ではなくインターネットなどの電子
媒体に頼るほかは無い。昨年末以来、IFSMA
Newsletter が月刊としてネットでサーキュ
ラー出来る体制となりつつある。何とかこれ
を月刊Newsletter として定着させることが
当面の目標である。さらにフェースブックの
ようないわゆるSocial Media Systems も利
用することとし、今年度のチリーにおける年
次総会を機にスタートすることとした。
なお、IMO について少なくとも日本にお
いては、その情報に接する機会は多く、また
IMO の機能や役割も良く理解されており、
むしろ欧州域内やその他の地域において何が
問題とされ、それをどのように扱おうとして
いるのか、そうした情報が貴重だと指摘して
おいた。
こうしたごく平凡な結論に至るまでにも
喧々諤々の議論があり、何度も議論は迷走し、
とても戦略会議と言えるような重々しい雰囲
気ではないが、金もない、人手も足りない、
時間もないような状況下でいかにして組織を
活性化するかを考えるのはこれぞまさしく戦
略会議かとも思われる。3 月末から始まった
NHK の朝の連続テレビ小説『まれ』ではな
いけれど“地道にコツコツ” するのが近道な
のであろう。
戦略家としての船長
ここまで書いて船長なら誰でも知っている
であろうジョークを思い出した。このジョー
クにはいくつかのヴァリエーションがあり、
ここに挙げたのはそれらを少し編集しアドリ
ブを加えたものである。
ある豪華客船が氷山に衝突して浸水しだ
した。船長は乗客を速やかに船から脱出
させなければならない。しかしボートの
数は限られている。そこで船長は男性客
に海に飛び込むように指示しなければな
らなかった……
アメリカ人には「飛び込めばあなたは
英雄ですよ」
イギリス人には「紳士はこういう時に
飛び込むものです」
ドイツ人には「飛び込むのがこの船の
規則となっています」
イタリア人には「さっき美女が飛び込
みました」
フランス人には「海に飛び込まないで
ください」
ロシア人には「最後のウオッカの瓶が
流されました。今飛び込めば間に合いま
す」
中国人には「美味しそうな魚が泳いで
いましたよ」
日本人には「もうみんな飛び込みまし
たよ」
国名のリストはまだまだまだ続くが、この
あたりで止めることとして、こうしてみると
船長もなかなかの戦略家ではないか。
IFSMA の将来も明るい。
以上
参考文献
『ゲーム理論を読み解く ―戦略的理性の批判』 武田茂夫 ちくま新書
『戦略論の名著 ―孫子、マキャベリから現代まで』 野中郁次郎 中公新書
『戦略的思考の技術 ―ゲーム理論を実践する』 梶井厚志 中公新書