第7回 静岡県南伊豆町立南埼小学校

元日本郵船船長 菊池 善次郎

 昨年11月、何かと顔を合わせることの多い4人でゴルフを楽しんだ後、ビールのジョッキーをかたむけていた時、日本船長協会の話が出た。協会創立50周年記念事業の一環として船長が制服姿で自分の母校の小学校を訪れ、船や海や世界について講演するイベントを始めたという話である。
NHKテレビの日曜番組「課外授業、ようこそ先輩」はよく見ていたので凡その様子は想像できた。「それはgood idea。子供達ばかりではなく、日本の船員や船会社にとっても、いいことじゃない?」「うん、菊善(私のニックネームです)もそう思うかよー。じゃー、菊善も母校でやったら。船長協会に頼んでみるから。」
「・・・・・」
と言うわけで私もこのイベントに参加させて頂く事になった。

 数日後、船長協会と連絡をとり、打ち合わせに海事センタービルへ出向く。

菊地会長、澤山専務(現会長)と会い、このイベントの趣旨や今後の必要準備、初回と2回目講演の様子等々、丁寧に教えて頂いた。学校長宛の依頼状や参考となる資料もどっさり頂いた。「まあ、何とかなるだろう。早速母校と連絡をとらなければ・・・。地方新聞社やテレビ局にも連絡をとるかな・・・・」などなど、帰りの電車の中では今後の準備をあれこれ考えながら帰宅した。

 私の母校、南埼小学校は伊豆半島南端の石廊崎灯台よりやや下田港寄り、太平洋に面した海岸沿いの小高い丘にある。神子元島灯台が目の前に見える。晴れた日には水平線に大島、利島、新島、神津島などの伊豆七島が並ぶ。南伊豆は一年中温暖で風光明媚なところである。その南伊豆にある海と山に囲まれた田舎の小学校である。昔の木造平屋建てを建替え、今は鉄筋二階建て。生徒の数は少なく1年生から6年生まで全部合わせても59名と言う小さな小学校である。
船長協会から帰って早速学校に電話すると、大谷校長先生は二つ返事で了承。とりあえず開催日を1月26日とし、年が明けてから詳しい打ち合わせをしましょうということになった。

 1月、学校が始まるとすぐ私は住んでいる伊豆高原から車を運転、南埼小学校を訪れた。校長室へ案内され大谷校長先生と打ち合せ。事前に協会の依頼状は送ってあったし電話やファックスで今回のイベントの概要は知らせてあったので話が早い。「最近、教科書教育だけに偏らず、子供達とお年寄りとの触れ合い/実社会との触れ合い教育が重要視されている中、日本船長協会企画の『船長 母校へ帰る』は学校側としても大歓迎」と大谷校長先生は大変な乗り気。早速、開催日時、講演内容、進め方、出席者、マイク/OHP/黒板/世界地図など必要な諸準備、会場の椅子の並べ方、などなど話し合い、最後に会場に予定している体育館を見せてもらった。更に「先生方みんなの希望ですが、高学年の生徒だけでなく、是非、全校生徒に話を聞かせて下さい」と校長先生から要望を受けた。
打ち合わせは1時間程で終った。帰り道、折角近くまで来たので実家に寄ることにした。実家には3年程前南伊豆の中学校長を退職した実兄がおり、今日の話をすると、「全校生徒が対象かー。話に一工夫しないと低学年の生徒は飽きるんじゃないかな?」とのアドバイス。

 さて、それから講演会の日までの約2週間、あれこれ諸準備に明け暮れた。話す内容は先人のいいお手本があるし、それを基に自分なりの体験と知っていることを付け加えた物語にすることにした。いろいろな船、いろいろな貨物、日本と貿易、船で働く人たち、美しい海、怖い海、海賊、台風、世界の港、平和、国際人、地球を守る、夢、・・・、全部話したら1日話しても時間が足りない。せいぜい1時間半ぐらいに纏めなければ。それに問題は、それらの話を低学年を含む全生徒を飽きさせず、わかり易く、どう話すかと言う話し方である。所々出てくる専門用語も問題である。「輸出」や「輸入」の言葉まで低学年にはちょっと説明が必要かな?「パーセント」の勉強は何年生でやるのかな? かと言ってあまり子供っぽい話し方だと高学年の生徒が飽きてしまだろうし。どう工夫して話すかな? いろいろ考えながら話の台本と要点を纏めたアンチョコを作った。会社で公文を作るより難しく時間がかかった。説明の仕方については、テレビを見ながら育った現代っ子がより解り易くと思って、OHPフイルムの準備や簡単な船の模型や大きな画用紙に絵やグラフを描いた紙芝居を作り、目に訴える映像を多く採り入れることとした。

 更に、日本が如何に海外からエネルギーや原材料を輸入して人々の生活が成り立っているかと言うことの説明やそれらのものをほとんど船が運んでいると言った、若干低学年には難しい話は、海の豆博士「物知り海太郎君」がお話すると言う形をとって生徒により親しみを持って話を聞いてもらうことにした。
この間、船長協会から海/船/貿易に関するビデオや壁新聞、全生徒への贈り物のジグソーパズル、下敷き、パンフレットなどが学校宛に送られた。又、全校生徒の家庭にも“学校便り”で講演会の案内を出しましたと大谷校長先生から連絡が入った。地方新聞やIKCテレビ局にも連絡を入れた。着々と講演準備が整った。開催日の前日、家で予行演習をしてみた。
尚、当日は船長協会から菊地会長、それに画家の柳原良平先生が南伊豆まで来ていただけることとなった。

 1月26日金曜日朝、制服を着用、船長帽を片手に、伊豆高原の家を車で出発。途中、下田東急ホテルに寄って菊地会長と柳原良平先生をPick
up。少し汚いけれども我が愛車に乗って頂き三人一緒に南埼小学校に向う。9時半過ぎ学校に着く。廊下ですれ違う生徒達の「おはようございます」と言う大きな声は講演を前に気持ちがいい。講演会は学校の3時間目の始る10時35分から約2時間が予定されていたので着いてから約1時間、校長先生や担当の先生から会場の準備状況などの現場説明を受ける。又、一足先に取材に来ていた朝日新聞、静岡新聞、伊豆新聞、IKCテレビ局の記者の質問にも答えなければならなかった。

 10時半菊地会長を先頭に会場の体育館に入り、生徒の拍手で迎えられる。

広い体育館の正面フロアーの一角に椅子が半円形に並べられ、全生徒と先生方、生徒の家族、それに私の実兄や親戚、小中学校時代の友人など予定外の人まで集まっていた。全員で100人を少し越えたぐらいか。

 予定通り10時35分、大谷校長先生のご挨拶と高学年生徒有志による「海」の縦笛演奏で講演会が開幕した。まず、菊地会長が今回のイベントの趣旨、開催の経緯など説明、協力して頂いた学校側にお礼を述べられた。その後約15分、柳原良平先生がみんなの前で大きな白いボードに黒と赤のマジックインキを使って見事なコンテナ船を説明を加えながら、すらすらと描いていった。生徒達は「すげー!」と言わんばかりに目を皿のようにしてボードの絵に見入っていた。次に、いよいよ私の番になった。聞き手は少なくても会場が広いのでマイクを使うことにした。家で2、3回練習はしておいたが本番になると話の内容や説明がくどくなったり、OHPの映りが悪かったりでなかなかパーフェクトには行かないものである。その辺はパーフォーマンスでカバーすることにした。終始、話は壇上に立ってするのでなく、生徒の目の前に出かけていって対話調にする様に心がけ、また、紙芝居で説明をしたり、船の小型模型で説明したり、台風が何処に居るかを知るバイスバロットの法則の説明には一人の生徒に前に出て来てもらって演技をしてもらったり、又、時々説明の中にクイズを取り入れ、生徒の答えが合っているときは「ピンポン」と応えてやったり、身近な伊豆の人の生活の今昔を話したり、時には小説に出てくる『ほら吹き船長』のような話っぷりをしたり、いろいろやっているうち、あっという間に予定した時間になってしまった。生徒はと言うと、当日はちょっと寒い日だったので途中「オシッコ休憩」を10分間入れたこともあって、無駄話やおしゃべりすることも無く、又、自分の席を離れる生徒もなく、一生懸命に話を聞いてくれた。心配した低学年の生徒も最前列で目をくりくりさせながら私を見ていてくれたので助かった。

 丁度終りの時間が昼食時となってしまい時間延長が出来なかったので生徒の質問の時間が極端に短くなってしまった。しょうがないので今日の話の中で感じた疑問質問は「物知り海太郎君」宛に手紙を下さいということにした。そんな訳で、途中駆け足で話すところもあったが、それでも予定した内容は略々消化、まあまあ70点ぐらいの出来具合で無事講演を終えることが出来たと思っている。
最後に生徒代表二人からお礼の言葉が述べられ、更に私達3人に鉢植えの花がプレゼントされた。

(余談)講演会を終え、私達3人は校長室で先生方や私の昔の知合いと雑談、一休みしている時、70歳を少し越えたかと思われるご婦人がニコニコしながら「善チャン(私のこと)覚えてる?」と言って部屋に入ってきた。まぎれもない55年前私が小学校一年生の時の担任の土屋先生である。講演会開催を知って隣町から講演を聴きに来てくれたのだった。「今日の話はわかり易くてよかったよー。それにしても大人の私達も知らなかったことばかりで。大変勉強になりました」とお褒め頂いた。
よく考えて見ると、海や船や船員や海運についての本当に初歩的なことも一般的にはよく知られていないと言うことではないか。いつも私達海運にたずさわる者が常識的に話している話のほとんどが、実は、それに関係した極限られた人の範囲でしか語られてきていないのかも知れない。もっともっと一般の人にも日本の海運や日本の船員をPRしていかなければならないことだと思う。

 講演会の2週間後IKCテレビは今回の講演会の模様を始めから終りまで前編、後編に分けて伊豆東海岸一体のネットワークで何回か放映していた。テレビを見たある人から電話があり「私達の豊かで文化的な生活がこんなにまで船によって支えられていたとは知りませんでした」とのコメントだった。少しでも多くの人に船や海や海運を知って貰うために「日本船長協会企画の『船長 母校へ帰る』は、やっぱりいいイベントだ」と再度思った次第である。


LastUpDate: 2024-Apr-17