Maritime Growth Study
(一社)日本船長協会 副会長 赤塚 宏一
昨年の9 月7 日から11日に掛けてロンドン
にて第2 回のLondon International Shipping
Week が開催された。第1 回は2013年
に開催されたのだが、その成功に後押しされ
て第2 回の開催に踏み切ったようである。こ
れは産業界と政府の共同主催によるもので期
間中にセミナーやレセプション、展示会、晩
餐会など100を超える行事が行われ、200人を
超える国際的な海事社会のリーダーや政府の
高官が集まったそうだ。
数ある海事関係行事の中にはもちろん船員
教育・訓練や養成に関わる重要なコンファレ
ンスも行われたが、本号ではこのShipping
Week に合わせて発表された英国運輸省の海
運に関する報告書“Maritime Growth Study
: Keeping the
UK competitive in a global market – Moving Britain Ahead-”
について、その
中でも船員の教
育・訓練及び採
用について紹介
したいと思う。
英国ではこのような報告書は数年おきに発
表されている。これらの報告書や調査論文に
ついてはこれまでも本誌を借りて都度紹介す
るように努めてきた。その時々の経済状況や
国際情勢、あるいは報告者の専門性などから
焦点の当て方は異なるが基本的には英国海事
社会の振興を目指すものであり、登場者も道
具立ても筋書も多くは変わらぬが、英国海事
社会の成長への意欲に感心する。蛇足だが、
この報告書は英国海事産業の振興を目指す政
府の施策ではあるが、予算の関係もありその
多くは規制緩和や民間の自主的な努力や活性
化を促すものであり、船員の教育・訓練も商
船船員の確保というより、海上勤務を経て海
事関連分野での中核となる海技者集団の育成
にあると言う点である。
この点についてはLondon International
Shipping Week に合わせて開催された英・
蘭・スイス海員組合であるNautilus International
が主催したセミナーは‘Shore
Enough ? ’ と題され、海事分野の企業が経験
豊かな船員を求めている現状に鑑み、もし英
国が大きな成果を上げる海事クラスターを構
築したいのであれば、英国船員を訓練し、奨
励し陸上職を執れるようにすべきである、と
している。要するに日本とは船員に対する期
待や役割がかなり違うようだ。
今回の調査は2014年に海運担当大臣が音頭
をとり、Maritime UK の議長でありClarksons
社のダイレクターであるマウンテヴァ
ン卿が責任者となり、アドバイザリー・グルー
プの助言のもとに運輸省が事務局となりこの
報告書をまとめたものである。この報告書は
英国海事産業の成長のための処方箋であるが、
このような大部でかつ包括的な報告書が作成
された背景には英国海事社会の将来に対する
強い危機感があるようだ。ロンドンを始めと
する英国の海事クラスターの地位が低下して
いるのではないかとの強い懸念がある。とり
わけシンガポール及び香港の急成長を強く警
戒している。
英国海事社会とは具体的に何を指し、また
その規模はどの程度なのか、今回の報告書に
記載されている図を掲げるが、多分判読しが
たいので下記に抜き出してみた。
Insurance : The UK has 26% of the mari-time
insurance market(2)
Legal & Arbitration Services : English law
is applied to shipping disputes more
widely than any other. More disputes
are referred to arbitration in London
than anywhere else
Classification Societies : UK based Lloyd’s
Register is the second-largest ship classification
society in the world
Ship Broking : UK firms account for 50% of
the tanker and 30-40% of the dry bulk
chartering business
Ship Financing : Loans from UK financial
institutions accounted for 9% of total
loans to shipping companies in 2012
Ship Management : 3.2% of the world fleet
is managed by companies located in
the UK( 1)
Maritime Training & Research Institutes :
There are 24 maritime universities and
colleges
International Bodies : London hosts the
International Maritime Organisation
(IMO)and industry groups
Source : Maritime Business Services(TheCityUK,
September 2013)excep(t 1)Shipping Fleet Statistics
2014(DfT)and(2)International and
competitiveness of UK maritime sector(Oxera,
May 2015)
ロンドンの国際海事社会における影響力の
減少は英国船籍のサイズに大きく依存すると
して商船隊の動向に強い関心を示している。
我が国も当然日本籍船の増加に努力を傾注し
ているが、その目指すところに違いがあるよ
うだ。英国船籍のサイズが縮小すれば、それ
に伴い海事関連の諸活動も縮小し、それは海
事社会の専門性と人材が縮小することを意味
する。また海事関連の投資が減少することも
言うまでもない。
英国船籍の実態はマースク、CMA、CGM、
エヴァーグリーン、ゾディアックなどの外国
船主が上位を占めている。これら外国船主は
厳しい国際競争に後れを取らぬため置籍国の
サービスを常に比較・評価している。統計に
よると過去5 年間に英国船籍のトン数は27%
も減少したという。この間世界の載貨重量ト
ンは34%も増加したにもかかわらず英国船籍
は減少したのである。隻数でみると2010年か
ら2014年にかけて465隻が英国籍を離れた。
その半数は売却されたり、スクラップされた
り廃船にされたりしたが、残りの船舶は他の
船籍国、なかでも便宜置籍国のリベリアやシ
ンガポールへ移籍した。2013年だけでも66隻
が離籍したが、新たに置籍したのは19隻に止
まった。これらの離籍した多くの船舶はシン
ガポール船籍に移ったという。2014年は2013
年に対してトン数で17%も減少して、第16位
の船舶保有国であったものが19位となってし
まった。ちなみに英国船籍の2013年の登録船
腹量は13,461,709 GT である。
なお、この報告書のなかで“Flag of Convenience”(
FOC 便宜置籍)は少々時代遅
れの用語で(this is now a somewhat outdated
term)、現在ではOpen Register 又は
Open Flag と呼ぶのが適当だろうと言ってい
る。1950年代にリベリアやパナマなどが置籍
制度を設けた時は海事や海技の伝統もなく、
船舶を管理する制度もknow-how も無きに
等しかったが、半世紀を経て、これらの置籍
国は登録船腹量で非常な成功をおさめたのみ
ならず、IMO でも国際規則作りに大きな影
響力を行使している。もちろん未だに一部で
はこれらの置籍国の船隊の品質や実績に懸念
を持たれているが、ポート・ステート・コン
トロールに関するパリMOU のホワイト・リ
ストにリベリアは第17位、マーシャル群島は
第12位に位置している。同じくパリMOU が
発表するグレイ・リストやブラック・リスト
に載っている船籍国グループから抜け出して
今や高品質船籍の仲間入りしたというわけで
ある。政府の報告書がこのようなことに言及
するのは珍しいのではないかと思う。
さて、この報告書は9 章よりなり全文137
ページだが、その第5 章“Skilled work-
force” で船員問題を扱っている。これは単
に船員のみを意味しない。この“Skilled
workforce” なる言葉は報告書では“Skilled
maritime workforce” として使われる場合が
多いので、ここでは「海技者集団」として置
く。
海技者集団
この報告書作成のための調査に当たって提
出された資料や関係者の証言により、適切な
質と量を維持した海技者集団が英国海事社会
の発展の為にもっとも重要な要因であること
が改めて確認された、としている。
英国に於いて海事分野は雇用で大きなシェ
アを占めており、その直接の雇用者数は統計
の取り方によって異なる数字が出るが、ここ
ではGDP 算出の手法に従って計算すると少
なくとも113,000人となる。140,900人と言う
数字もある。これらのいわゆる海技者集団に
属する人々が港湾、海運そして海事関連業務
に携わっている。これらの人々はいずれも特
別な技能や専門性を身に付け、それらは単に
海事関連業界に止まらず多くの業種から、ま
た世界的にも需要がある。結果的にこの質量
共に豊かな海技者集団は英国の海事クラス
ターを支え国際的に高い評価をえているので
ある。そしてこの海技者集団の中核をなして
いるのが、海上経験者、すなわち船員出身者
である。そしてこの事実は今日においても揺
るがない。
2014年における英国の船員は23,000人弱で、
内訳は海技資格を持った職員が10,910人、海
技資格のない職員が1,650人、部員が8,420人、
そして1,940人が練習生である。英国では
2000年に「トン数標準税制」が導入されたが、
この税制にともなう職員養成の義務化により
練習生の数は2 倍以上となり、毎年10,000人
以上の学生が海技資格を得るために英国の大
学などで学んでいるという。2009年に英国海
上保安庁が実施した調査では練習生の95%が
海上職に就いたと推定されるという。
コンサルタント会社のDeloitte と商業
ベースの研究機関であるOxford Economics
が運輸省の依頼を受けて行った調査では2021
年には英国においておよそ3,500人の航海士
及び機関士が海上で不足するのではないかと
言う。その理由は確定的なものでは無いが、
青少年の海への意識の不足、また陸上職に比
べて海上では一人前になるのに困難で辛い時
間が長いと考えられているのではないかと言
う。
英国に於いては上述のように乗組員以外に
海事関連企業からの海上経験者を求める需要
は大きいのでさらに陸上の海技者集団は逼迫
するだろうと予想されている。
2014年に発表された調査報告書“Mitigating
the Skills Gap in the Maritime and Offshore
Oil and Gas Market” によると海洋資
源開発の分野で緊急に10,000人の技能労働者
を必要としている。英国においては海技者集
団の人手不足はこのような海洋資源開発分野
も含めて極めて深刻な状況にあると警告して
いる。
日本では昨年7 月20日「海の日」に安倍晋
三首相は海洋開発の技術者を現在の2,000人
程度から2030年までに1 万人程度に引き上げ
る方針を明らかにしたことは記憶に新しい。
日本の周囲に眠っている多様な海洋資源を活
用し経済成長につなげるほか、東シナ海でガ
ス田開発を続ける中国に対抗する狙いもある
とみられる。これはこれで結構であるが、海
底油田はあまり期待できないとしても似たよ
うな海洋環境にありながら英国とは海洋産業
の規模に於いて大きく違うようだ。
また世界的には下のグラフのように船員の
需要は引き続き増えるので、もし供給が2010
年のレヴェルであれば2020年には80,000人の
船員が不足するというデータもある。
こうした事態に直面し、如何にして海技者
集団を確保しようとしているのか、この報告
書はいくつかの勧告を出しているが、ここで
は三つに絞って紹介したい。
まず第一に船員養成の促進及び助成策の拡
充である。その二は海への啓発であり、そし
て三は英国海軍との連携である。
船員養成促進策
英国の船員養成促進策は2000年に導入され
た海運の優遇税制である「トン数標準税制」
が大きく関わっている。この税制を選択した
船社は船員の訓練義務を負うこととなった。
船員の訓練義務とは、自社が運航する船舶に
乗船する15名の船舶職員に対して、毎年船舶
職員練習生1 名を採用し訓練を行わなければ
ならないというものである。練習生は、英国
国民、欧州連合/欧州経済領域加盟国国民等
で、英国に居住する者でなければならない。
この訓練を行うことができない場合は、海事
訓練基金に対して毎月1,176ポンドの寄付を
行わなければならない。
一方「トン数標準税制」とは別にこの船員
の訓練については船員養成支援制度(The
Support for Maritime Training Scheme 通
常スマートSMarT と呼ばれる)がある。こ
れは1998年に導入されたもので、英国が海上
及び陸上で必要とする船舶職員及び部員を養
成することを目的としたもので制度は何度か
改定されたが、現在では練習生が最初の海技
資格を取得するまでの訓練費用の36%をカ
バーする。現在このスマートの予算は年間
1,500万ポンド(約28億5 千万円)である。
英国には青少年の教育や職業訓練について
様々の助成策や制度がある。例えばHND
(Higher National Diploma)、HNC(Higher
National Certificate)、Foundation Degree(準
学士制度?)、Honours Degrees( 優等学位?)、Apprenticeship 制度などがあり、そ
れぞれの資格や学位を取るための支援策や助
成金制度がある。それらを整理して海事分野
においてもっとも有効に活用出来るようにす
るとともに、また関係業界や企業からの寄付
や投資を求める“Maritime Skills Investment
Fund” の設立を勧告している。欧州連
合の国家補助ガイドラインの制約や予算上の
問題のある中で可能な資源を最大限活用しよ
うとする試みと思われる。
Maritime Awareness
この言葉は理解しやすいが日本語の適切な
訳語が見つからない。「海への啓発」とでも
意訳しておきたい。海技者集団に関する英国
のどのレポートも必ず英国国民、とりわけ青
少年の海への認識不足や知識の欠如について
慨嘆している。筆者はそうした状況やそれに
対して現状を打破しようとする多くの「海へ
の啓発」運動について折に触れて紹介してき
た。
商船大学に入学して初めて読んだジョセ
フ・コンラッドの『青春』の一節、
『イギリスのように、いわば人間と海と
が、たがいに隅々まで浸(し)みこんでい
る国……海が大多数の人間の生活のなかに
入りこんでいて、人間のほうも、娯楽でか、
旅行でか、それとも生計の道としてか、海
について多少とも、あるいは何から何まで、
知っている……そういう国でないと、こん
なことはまあないだろう。~This could
have occurred but in England, where
men and sea interpenetrate, so to speak
” the sea entering into the life of most
men, and the men knowing something or
everything about the sea, in the way of
amusement, of travel or of breadwinning.~
』(田中西二郎訳 『青春・台風』 新
潮文庫、1951)
を思い出すとこれが書かれて100年余り後の
現在の英国との違いに驚くばかりだ。まさに
隔世の感を禁じ得ない。
この報告書では本誌前号で紹介したIMO
の“Maritime Ambassadors” やMNTB
(Merchant Navy Training Board)の
‘Careers at Sea’ Ambassadors などの海への
啓発のためのプロジェクトや組織・団体に触
れている。
勧告では英国にある「海への啓発」を行う
団体や組織が緊密に連携して年間を通して啓
発のためのプログラムを実施し、海への興味
や職業として海事分野を選択するよう動機づ
ける活動を強く求めている。また海上から英
国の陸上企業へ転針しようとしている船員に
対しては陸上業務に対するメンター制度の創
設を提案している。海上におけるメンター制
度についてはかって筆者は海洋会誌「海洋」
に紹介したことがある。
英国海軍との連携
国防省の’Careers Transition Partnership’
のデータによると2014年1 月から2015年5 月
にかけて英国海軍を退職した元軍人の12%は
海洋産業や海運界に再就職したそうだ。
海軍を退職し海運界を含めて民間企業に再
就職しようとする軍人に対しては種々の助言
や支援が与えられる。筆者が日本船主協会ロ
ンドン事務局に勤務していた時の部下は英海
軍の退役大佐であった(さらに前任者は退役
中佐)。彼の最後の職場はロンドンの国防省
本部であったが、そろそろ肩叩きが近づく頃
になると再就職のためのセミナーやコンサル
ティングの案内が数多く来るようになったと
いう。英国では陸海空三軍の退役者は3 年間
で6 万人にも上り、その多くは海洋産業で転
用可能な技能の持ち主と考えられるという。
しかしながら海軍あるいは海軍補助艦隊と
言っても極めて幅広い軍務があるわけで、必
ずしも最新の海上技術を身に付け、海上業務
に精通しているわけではない。海軍軍人でも
陸上業務の多かった者は多くが陸上に第二の
職を求めるのは当然であろう。もし彼らが海
上に職を求めるのであれば、商船船員として
の再教育や研修、あるいはオリエンテーショ
ンは必須である。
この報告書の勧告は政府は英海軍と広く海
事分野の産業界とのより良い連携が構築でき
るようなプロジェクトに着手することを求め
ている。
我が国においても2005年、海洋政策研究財
団(当時)に「有事における日本船舶及び船
員のあり方に関する研究会」が設けられ2006
年10月に「わが国の非常時における日本船舶
及び日本人船員の確保についての緊急提言」
を発表した。筆者もこの研究会のメンバーで
あったが、研究会では「海上自衛隊退職者の
船員への再就職推進策」の詳細な検討を行っ
た。緊急提言では「なお、海上自衛官の多く
は若年退職をしており、船員として引き続き
活躍できるよう、公的資格の認定制度の改善
等も検討すべきである。」と控えめな表現で
あるが、すでに海上自衛官が水先人応募に興
味を示している事実もあり、この点について
はさらに検討されるべきものである。海に興
味を示す人材には業種や資格に関わらずチャ
レンジする機会を与えるべきであろう。
終わりに
最初にも述べたように英国においては船員 や海上業務経験者に対して国として社会とし て期待し求めるものが我が国とは少し異なる ようである。しかしその求められるところは 船員としての生き方やあり方に関わってくる ものである。我が国においても船員として社 会へ一歩踏み出した者は、一生船に乗るとい うのも勿論良い選択であろうが、おそらく会 社や家族の事情、あるいは社会環境の変化な どにより転針せざるを得ないケースも多いで あろう。海上勤務を経てどのような将来像を 描き、また日本という社会の枠組みの中で、 海運界という場所で何が出来るのか、何をし たいのか、社会への貢献はどのようにして行 うのか、一度ゆっくり考えてみる必要もある のではないだろうか。
参考
「英国における海運強化策」 日本海事新聞
2015年08月31日
日本海事センター企画研究部 研究員 中村
秀之
“Mitigating the Skills Gap in the Maritime
and Offshore Oil and Gas Market”
By Matchtech and The Institute of
Marine Engineering, Science and Technology