春の理事会 新しい事務局長
(一社)日本船長協会 副会長 赤塚 宏一
2 月の理事会に出席した。秋の理事会には
出席出来なかったので1 年ぶりである。2 月
のロンドンは寒い。空も低く暗い。しかし
IFSMA 本部に行く途中にあるLambeth Palace
の庭のラッパ水仙がもう咲き誇っている
のに慰められる。
理事会にはアルゼンチンのMarcos は欠席
であったが、米国のCalvin は休暇先のメキ
シコからテレビによる参加であった。Calvin
のリアルタイムの的確なコメントを聞くと今
更ながらテクノロジーの進歩に驚かされる。
議事は予算や会員数の推移やIMO の会議
報告など淡々と進むが、今回の理事会の最大
の懸案事項は新しい事務局長の選任である。
前の事務局長のCapt John Dickie が昨年9
月末で退任し、同じくオフィス・マネジャー
も進学を理由に退職し、以来事務局次長の
Capt. Paul Owen がたった一人で事務局を切
り盛りしてきた。しかし総会も近づきその準
備も必要となるともう限界である。もちろん
前任者が退任の意向を明らかにしてから、こ
れはと思われる人物にはIFSMA として接触
をしてきたが、選任に当たっては会則に則り、
透明性と公平性の確保が必要で、またなるべ
く多くの理事会役員がインタヴューに参加出
来る機会も作らねばならない。このため今回
の理事会では事務局長の条件及び待遇を決め
直ちにホームページに掲載するとともに会員
団体及び個人会員にメールで応募者を募るこ
ととした。
事務局長の条件及び待遇は個人事業者とし
てIFSMA 事務局業務を請け負う形で年間4
万ポンドの報酬(邦貨670万円程度か?)で
ある。手取りがどの程度になるのかは他の収
入、例えば年金や他のコンサルタント収入な
どの額により税金も変わり推定するのも難し
いが、仮に税金として20%源泉徴収されれば
手取りは540万円程度となる。IFSMA の希
望としてはIMO の会議には極力出席して欲
しいので、主要な会議だけでも年間10週間に
はなるであろう。総会に出席する場合は交通
費を支給するが、IMO の会議出席には支給
されないのでロンドン市内に住んでいるので
なければ、これだけでも相当の出費となるで
あろう。ボランティア精神が無ければ務まら
ぬ所以である。
それにもかかわらず理事会終了後、旬日を
経ずして4 人の応募者があった。どのような
船長達がIFSMA の事務局長に応募するのか、
またどのような教育をうけ、どのような経歴
を持っているのかは外国人船長と付き合う機
会も多いと思われる会員諸兄の興味もあると
思われるので応募者を簡単に紹介してみたい。
三人の船長
Capt A.A
インド出身の59歳である。彼の採用書類、
すなわち履歴書及び職務経歴書は8 ペーパー、
1 万4 千字に及ぶ。それによると18歳から2
年間アプレンティスとしてインド海運公社の
船に乗船したとあるが、その初等中等教育に
ついては記載がない。アプレンティスを終え、
その後12年間は航海士として、最後は船長と
して、インド海運公社のみならずギリシャ船
主を含む各国の船会社のバルカー及びタン
カーに乗船した。
陸に上がってからは様々なセミナーや短期
研修、通信教育などあらゆる機会をとらえて
海運に関する勉学を続けた。さらにはチェン
ナイ(旧称マドラス)郊外にあるA M E T
University(Academy of Maritime Education
and Training)の博士課程で学んだとあ
る。
海運界への貢献及び業績としては、インド
最初の海事研修コースを立ち上げたなどと2
ページにわたってびっしりと書かれているが
紹介することもないであろう。何でもかんで
も功績として書くところは日本人のセンスと
は違うようだ。
現在はMASSA(Maritime Association
for Ship Owners, Ship Managers and
Agents)の専務理事でありその会誌の編集
長でもある。
Capt. A.L
ノルウェー出身の69歳である。この船長の
経歴もインド人船長に劣らず多彩である。高
校で主として経済を学び19歳から1 年、無線
通信士としての教育を受けた。そして恐らく
乗船したのであろうが、26歳でベルゲン大学
にはいりマスコミ論などを学んだ。
その後市役所の職員を務めたり、音響機器
メーカーのマネジャーを務めた後、広告会社
の設立にもかかわる。そして無線通信士とし
て乗船、また沿岸局の通信士としても働いた。
内航船長のコースに入りさらに航海術を学び
4 級海技士の資格を得、42歳で1 級海技士の
資格を得る。しかしすぐには乗船せず小学校
の先生、さらには高校の先生となる。43歳か
ら7 年間一等航海士として乗船し、さらに海
洋掘削船の支援船の船長となるが、1 年で下
船し、音響設備会社のプロジェクト・マネ
ジャーになるもこれも1 年でやめて、その後
6 年間、海事関連産業の品質保証マニュアル
の編集や著作に携わった。54歳からはスタ
ヴァンゲルの近くのVaagan Harbour の
ハーバー・マスターを務めたという。その後
も海事産業関連の会社を転々として、現在は
海事産業関連コンサルタント会社のCEO で
ある。
これを書きながら、改めて欧州の労働力の
流動性に高さに驚く。よほど能力があるのか、
好奇心が強いのか、飽きっぽいのかわからな
いが、このような多方面の分野で働く事の出
来るのは感心するばかりだ。またそれを受け
入れる社会も柔軟性に富むのだろう。70歳も
近づき、最後にロンドンでIMO などの国際
会議にも関わってみたいと考えたのであろう
か。
Capt.F.L.
フランス人船長で50歳と若い。フランスで
行われている航機両用教育をうけ、機関長の
資格も保有している。2 年前までル・アーヴ
ル港のパイロットであったが、少し聴力に問
題を生じパイロットを止めざるを得なかった
という。現在はコンサルタント業務などを行
なっているが、弁護士資格取得のための研修
中であり、その最終試験が本年の9 月にある
とのことである。
20歳でフランスではもっとも難しいと云わ
れる科学系のバカロレアに合格し、マルセイ
ユの商船大学で航機両用教育を受ける。24歳
で卒業すると二等航海士あるいは三等機関士
として各種の船に乗船する。客船の機関士と
して乗船し、客室の空調設備等の保守整備に
当たったとある。その間も英国の大学やセミ
ナーにも参加し、上級免状や各種の資格の取
得に務めている。DPO の資格も取り海底掘
削船の一等航海士にもなった。30歳で自走式
クレーン・バージの船長となり、その後掘削
船の船長にもなった。これと並行してフラン
スの海事法律事務所でイン・ハウスのコンサ
ルタント業務もおこなっている。34歳でル・
アーヴルのパイロット(一級)となるが、45
歳の頃にはル・アーヴル市の商事裁判所の判
事にも選任されている。これは37歳からルー
アン大学で法律を学び、パイロット業務のか
たわら法学士の学位を得たからであろう。そ
の後はさらに商事関係の仲裁人としての資格
も取った。さらに42歳でソルボンヌ大学で法
律のPhD を取っている。パイロット廃業後は
法律事務所で海事法関連コンサルタントを行
うほか、弁護士資格取得の為の研修中である。
彼は英国に本部のあるNautical Institute
(NI:国際航海協会)注の古くからの会員であ
り、NI の一員としてIMO の法律委員会など
に出席するとともにNI の委員会に所属して
会誌の編集やテキストの編纂作業に関わって
きた。
この3 人に加え本命の英国人がいるのだが、
彼についてはこの後、詳しく述べることとし
たい。応募を2 月末で締め切った後、応募者
を巡ってIFSMA 役員の中をE-MAIL が飛び
交った。しかし全員大きな意見の隔たりは少
なく、若干の懸念があるとはいえすんなりと
英国人一本に絞ることにした。一方上記3 人
の応募者については次のような問題が提起さ
れた。
インド人船長は引っ越し費用も支給されな
いし、またIFSMA の提供する報酬でわざわ
ざロンドンまで赴任するかという問題や海事
の多方面に通じているとはいえ、これまで
IMO やILO とは直接接触の無かった事実を
踏まえると業務を委託することには多くの不
安がある。また彼の英国VISA を取得するの
は相当困難であろうとの指摘もあった。
ノルウェー人船長はかつてIFSMA のIMO
代表団にもぐりこみ、会期中はもっぱら彼の
会社の売り込みに終始したとの芳しくない指
摘もあり、北欧勢からも支持は得られなかっ
た。
フランス人船長はIFSMA のフランスの副
会長からも強い支持があり、経歴も申し分な
かったが、彼自身はフランスを離れる意志は
ないこと、そしてIT 技術の進歩で自宅勤務
でも十分に業務を遂行できるし、NI の委員
として、また海事弁護士あるいは海事仲裁人
として頻繁にロンドンには出張するので
IFSMA の業務に支障はないと説明している
が、やはり疑問は残る。海事の世界は比較的
せまく何よりも人脈の構築が重要であること、
IFSMA としては出来るだけ多くのIMO の
会議やセミナーなどに出席し情報を会員に流
す事を重視しているので、ル・アーヴルを本
拠とする事務局長はやはり無理であろうとの
結論となった。
かくして英国人一人が残った。彼には前任
の事務局長が退職したころから目を付けてい
たのだが、事務局長は公募ということで
IFSMA 理事会は合意していたので、今回の
理事会で手続きを踏むまでは非公式に接触し
てきた経緯がある。当然のことながら適当な
候補者がいればその人を選任するわけである
が、前述のようにロンドンをベースとしない
事務局長には躊躇せざるを得ない。
新しい事務局長候補
彼、Commodore
S.J.Scorer は英国海
軍の退役准将である。
日本と違い英国では
海軍と商船の距離は
近く、多くの退役海
軍軍人がシティを中
心とする海事産業に
働いている。英国商船隊はMerchant Navy
とも呼ばれるように海軍とは相互に緊密な連
絡があり、有事には常に手を携えて行動して
きた歴史がある。
筆者が日本船主協会のロンドン事務局に居
た時の英国人のスタッフは2 代続けて退役海
軍軍人である。現在もそのようである。一人
は海軍中佐、その後任が大佐であった。筆者
の前々任者は「何しろ女王陛下がお墨付きを
くれた人材だから人物・能力とも問題はない
よ」と言っていた。また英国船主協会の理事
長もこれまた2 代続けて海軍提督であった。
それがあってかどうか、判らぬが1990年代に
海運業界誌のLloydシs List で「英国海軍がシ
ティに侵入してきた、商船船員の職域が荒ら
される」と題する投稿があり、しばらくは賑
やかな投稿が続いたものである。
1990年代後半はフォークランド紛争は遠く
なり、イラン・イラク戦争も終り軍縮ムード
となり多くの海軍軍人が退役した頃と重なる。
海軍軍人はもちろん海技知識はあり、何より
国防省や運輸省を中心に政府関係に広いネッ
トワークがあり、またそれはNATO を通し
て欧州全域に及ぶのも強みだろう。
さて、このSamuel James(Jim)Scorer(以
下Jim)の経歴などを紹介してみたい。
Jim は1953年生まれ、今年63歳になる。20
歳でダートマス海軍大学に入学、1984年に31
歳で艦長有資格者となり翌85年に軍艦“Bossington”
の艦長となった。艦隊勤務を7 年ほ
ど経験し、またその間幹部学校で戦略に関す
るコースを学び、その後、3 年間は国防省勤
務となった。折からのコソボ紛争ではNATO
陣営の一員として紛争の解決に関わった。
大佐としてNATO の参謀総長の上席作戦
士官として多くの作戦や会議、調整に関わっ
た。この間にNATO 国防大学も卒業してい
る。その後、NATO のマケドニアにおける
事務局長直属の軍事代表となった。2004年に
はプリマス港の水上部隊の司令官となり、15
隻の艦船と3500人の男女の隊員の責任者と
なった。
准将に昇進するとロンドンの北方にある
シュライヴェナムの戦略開発本部に海軍部門
の局長として勤務している。ここまでは英国
海軍軍人の典型的なエリート・コースを歩ん
できたようだ。
Jim は2007年に54歳で海軍を退役するとト
リニティ・ハウスの航路標識局長となった。
トリニティ・ハウスというのは英国王室認可
統治下の非政府部門
公共機構と言ったら
判りやすいであろう。
トリニティ・ハウス
は三つの重要な役割
を果たしている。
一つはイギリス公式の灯台管理機関で、イ
ングランド、ウェールズ、チャネル諸島、ジ
ブラルタルの灯台、灯台船、ブイ、海上ラジ
オ/衛星通信システムなどの航法援助の提供
および保守を担当する公共機関で灯台サービ
スを提供する為の資金は、船舶のトン数に基
づいてイギリス諸港に寄港する船舶に課せら
れる「灯台税」“Light Dues” から調達され
ている。この税は英国運輸省によって毎年設
定されるが、しばしば船主団体から異議がで
る。トリニティ・ハウスが慈善団体として活
動する資金は、それとは別に調達されている。
二つめは英国沿岸及び北海海域のD e e p
Sea Pilot の資格・訓練などに関わり免許を
発給する業務、そして三つめは引退した船員
の福祉、商船の練習生や海軍士官候補生の訓
練や育成助成、奨学金の貸与、そして海上安
全の推進に関わる海事関連の慈善団体として
の業務である。
トリニティ・ハウスは地下鉄のT o w e r
Hill 駅のすぐ近くにある。ロンドン塔の北に
面している。その広間は英国の海軍・海運史
上の有名人の肖像画や由緒ある遺品などが飾
られた落ち着いた雰囲気で、かって日本のパ
イロット協会の訪欧調査団の夕食会を開催し
たこともある。またDeep Sea Pilot の調査
に来られたH教授と調査に伺ったこともある。
Jim はここでは主として灯台部門の責任者
であった。このためIALA(International
Association of Marine Aids to Navigation
and Lighthouse Authorities 国際航路標識協
会)の会議の常連であった。またトリニティ・
ハウスのエルダー・ブラザー(長老としてお
く)であり経験豊かな航海者でもあったので
英国海事法廷のアドバイザーも務め、海技試
験の委員会の委員でもあった。また船員の福
祉事業にも関わってきた。
Jim がIFSMA 事務局長に応募したのは、
IALA の委員でもあるIFSMA の事務局次長
Capt. Owen から声を掛けられたこともある
が、63歳にもなり、これまでの多忙な生活か
ら一歩離れてゆとりを持った生活を、とりわ
け同居する2 人の小さな孫娘との時間をもっ
と持ちたいとの思いであると応募書類に記し
ている。
Jim は理事会審議の後に顔を出して互いに
紹介する機会があった。写真上の奥がJim
である。写真が小さくて良く判らないので残
念だが、立ち居振る舞い、これぞ英国紳士と
いうたたずまいである。彼の話す英語も全く
のQueenシs English で耳に心地よく響く。こ
れは日本人にとってはまことに有難い。前任
の事務局長も優秀な人であったが、強いス
コットランド訛りで、聞き取るのに苦労した。
Jim を新しい事務局長として選任すること
については、Over-Capacity ではないだろう
か、IFSMA に居着いてくれるだろうか、な
どとの懸念の声もあったが、Jim に優る応募
者は無く、たとえ短期間で辞められてもそれ
はそれでいいのではないかとの意見もあり採
用を決めた。日本船長協会としては当然のこ
とながら強くJim を推薦したところである。
現在、事務局で契約書を準備しており、双
方合意されればJim は5 月1 日に就任する
こととなる。
新しい有能な事務局長を迎えて、IFSMA
も活動範囲を広げ発展することを願っている。
下記はI F S M A 会長(上の写真の右端)
Capt. Sande がJim の採用を決めた通知と共
に送ったE-MAIL である。“We all speak
English in our own way” と言っているとこ
ろが可笑しい。
Dear Jim.
Welcome to IFSMA. It gives me great
pleasure to welcome you aboard our organization.
I think you will find the job interesting
but also challenging. With you on board
I hope that we together can set sail and set
new courses for our organization, courses
that will bring us to ports we never have
visited. In order to achieve that we need
steady wind, a strong seaworthy ship and a
good portion of seamanship. You will be
surrounded by a highly motivated ExCO
and all though you might find it hard that
we all speak English in our own way, we all
have the same objective. We strive for
excellence and we serve as humble spokesmen
for all masters on all seas. 57000 master
are daily carrying out their duties
ensuring that the world is spinning. We
hope that you can attend the strategic
review meeting April 14th in Copenhagen. I
can ensure you there no other port like
Copenhagen when it comes to signing on.
以上
注 “The Nautical Institute” を英国航海学
会と訳すむきもあるが“The Royal Institute
of Navigation” と混同するおそれがあ
り、また、会員が世界中にいることを考慮
して、“国際” と冠し“国際航海協会” と訳
しておいた。今後しかるべき機関で正式な
和名を決めて欲しいと思う。