IFSMA便り NO.50

Cadwallader Debate
~ The Master Under Attack? ~
攻撃にさらされる船長?

(一社)日本船長協会 副会長 赤塚 宏一

 

 「攻撃にさらされる船長? ─即時に連絡が取れる時代における船長の権限と責任─」“Master under attack?  Authority and Responsibility in an age of instant access -”、これは昨年10月26日にロンドンのLondon Shipping Law Centre(LSLC)- The Maritime Business Forum で開催されたカドウォルダー教授記念討論会Cadwallader Debateのタイトルである。
 順を追って説明をしよう。LSLC とは海事産業関係者の年会費と寄付、各種セミナーなどの参加料等によって運営されている任意団体である。広く海事分野の関係者の危機管理の意識向上と海事に関わる法律教育、高質な海運の推進のため、海事・海運法務や、商業および技術上の問題で最も権威のあるセミナーや討論会を開催する。英国司法機関の支援を受け、国際的な専門家を集め、また蓄積された文書には貴重な情報が含まれている。
 Cadwallader Debate とは英国の海運法の高名な学者で1992年に亡くなるまでカーディフ大学で教鞭をとる傍らUniversity College,London でも長らく講義を行ったカドウォルダー教授を記念して行われている討論会である。この討論会は1998年に第1 回が開催され、この時はその年の7 月に発効したばかりのISM コードが取り上げられた。これまで13回開催されており、今回の「攻撃にさらされる船長?」が第14回となる。その時々の海事・海運に関するホットな問題を扱っており、2012年の第12回討論会では「タイタニック号からコンコルディア号へ─客船のアキレス腱─」が議題となっていた。
 今回の討論会はIFSMA の名誉会員であり、強力なシンパでもある海運ジャーナリストのマイケル・グレイが提案し、討論会の枠組みを作り上げたもののようである。マイケルはこの討論会についてLloyd’s List に寄稿するとともにIFSMA のニューズレターにも書いてくれたので後ほど紹介したい。
 この討論会の目的は21世紀の船長の職務(Command)のResponsibilities とLiabilitiesを改めて考察することにあると言っている。Responsibility とliability の区別は難しいが強いて言えばliability は賠償を伴うような法的責任のある事実で、responsibility は法的責任(Liability)をもたらす根拠事由があるような役割責任を言うのだろうか。英米法律語辞典にはCommand responsibility(指揮責任)とかprofessional responsibility(専門的職業人としての責任)という言葉がある。

 

LSLC の問題意識

 船長の職業人としての地位と法的地位は数世紀に及ぶ長い歴史を通して慣習・慣行や立法措置により築き上げられたが、21世紀に入り著しい社会の変化や急速な技術の発展により船長の権威が浸食されつつあることは関係者の誰でもが強く感じていることである。伝統的な船長の権限は縮小されつつあると感じられる反面、責任は前にも増して重くなっている、しかも船長がほとんどコントロールする力も権限も与えられていない分野においてである。
 また、船長の権限が外部からの過度の干渉によって狭められているのも疑いのない事実である。通信技術の革新によって本船が地球の裏側にあっても即時に船長を呼び出せるようなシステムとなった。外部からの干渉は、航海ー航路の選 定、船速、そして気象・海象の変化に応じて運航方法にも及ぶ。これはかって船長の専権事項であったはずである。外部、すなわち陸上からのそのような“input”は時により船長への敬意を欠いたハラスメントと同意義ですらある。
 さらに、船長は民事や刑事事件で訴追されるケースが増えてきている。理由は極めて簡単、すなわち現場に居る船主や運航事業者の代理人だからである。例えば麻薬が船内もしくは貨物の中で発見されたとして拘禁されたり、浚渫済と称する港内や水路で障害物に底触し海洋汚染を引き起こしたとして逮捕され、本船及び船長が全くかかわりのない海洋汚染の嫌疑を掛けられて法廷へ引っ張り出される。他にも腐敗した港湾当局の官憲に些細な違反やあるいはでっち上げの事件により、多額の罰金や賄賂を要求される例もある。
 2 年後、United American Line(UAL)のオーナーであったW.A.Harriman がパナマ船籍の有利さに注目し、アメリカ籍の2 隻の持ち船をアメリカの煩雑な規制を逃れるためパナマに移籍した。そのうちの1 隻、19,653G/T のクルーズ客船“Resolute” 号は1923年1 月16日、世界周航の途次、パナマ運河をパナマ最大の客船として通過した。
 問題を整理すると
 ◇ 船長の権限の浸食
 ◇ 増え続ける船長の責任
 ◇ 法的義務の人質としての船長
 ◇ 強すぎる用船者の権力
 ◇ 船長の職権の脆弱性
 ◇ 外部からの干渉
 ◇ 港湾当局によるいじめとハラスメント
 ◇ 急激な技術の進歩と変化
 ◇ 複雑化し、数えきれない程の立法措置と規則
などがあげられる。
 こうした問題を抱える船長を産業界として、船社としてどのように支え、支援するか、何を変えるべきなのか討論したい。

 

討論会

 LSLC の会長であるクラーク卿は開会の挨拶の中で、海事社会には多くの重要な問題があるが、現時点では変化と挑戦にさらされる船長の地位についての考察にまさる重要な問題は考えつかないと言っている。
 討論会はまず5 人の専門家によるプレゼンから始まった。
 最初のプレゼンターはこの討論会のモデレーターも務めるInterManager(国際船舶管理者協会)の事務局長であるシマンスキー船長である。プレゼンのタイトルは「船長はよく訓練され豊富な経験を持たねばならない」で、このなかで一部の海事関係者の中には十分な経験もなく未熟なまま船長に昇進するケースもあるのではないかとの懸念に対し、十分な教育・訓練が行われていることを自身の例も挙げながら説明した。

 P&I の役員であるケレハー氏のプレゼンは「P&I はクラブメンバーを支持するのか、船員を支援するのかデリケートな立場」で、例えば衝突事故についてはクラブは一般的には船主及び乗組員を支持するのが通例だが、海洋汚染事故において当事者である船長や乗組員を無条件には支援できない状況もあることについて説明した。

 ニューヨークの法律事務所のパートナーであるシャロス氏はアラスカ沖のエクソン・ヴァルディーズ号の座礁とそれにともなう海洋汚染事故において当該タンカーのヘイゼルウッド船長の弁護人として活躍した弁護士である。
 彼は「海難事故が刑事事件となる時」として米国においては海洋汚染事故や死亡事故をともなう海難を起こした時は刑事捜査の対象となり、刑事訴追を受けることとなるのはまず間違いないと説明する。
 彼はまた近年の多国籍乗組員の問題点を指摘する。米国では海洋汚染事故に対して当該企業や本船の内部告発者に対して多額の報酬を支払 う。このため船主や船長に対してロイヤリティを持たない多国籍乗組員はここぞとばかりマイナーな事故でもソーシャル・ネットワーキング・サービスなどを駆使して告発すると警告した。
 米国コーストガードのランツ氏は「事故の真の責任者の特定を目指して」のタイトルで海難事故の原因究明について述べた。また新しい国際規則は結果的に船長に重い法的責任を負わせることになるのは間違いないと指摘する。しかしISM コードの発効により船長の責任はある程度は陸上の管理部門に移管されたのも事実である。米国では極めて厳しいポート・ステート・コントロールが行われるが、ある年の統計によるとコーストガードは1 年間に57,000隻の船舶を検査し、92隻が起訴されたが、船長が有罪となったのはたった2 隻のみという。

 最後に英国の法律事務所のパートナーであり、海運部門の長でもあるピーアモハメッド氏が「営業サイドの圧力、過剰な船舶検査そして船長へのいじめ」と題して講演を行った。なお、同氏は元船長であり英国の弁護士資格を有している。
 彼は「過重な職責に喘いでいる船長」というイメージは決して間違っていないという。営業サイドの圧力、とりわけ用船者からの要求が厳しく時には事故への遠因ともなっていることを指摘している。陸上からの“micromanaging”(重箱の隅を突つくような管理技法)こそinstant access の時代の最大の弊害と指摘した。またスエズ運河や一部のアフリカやアラブ諸国でのパイロットによる金品の強請や怪しげな文書への船長の署名を求めることなども船長の大きな負担になっている事実も挙げている。

 

意見交換

 これらのプレゼンに引き続き参加者との意見交換が行われた。トップバッターはIFSMAの事務局長ジム・スコアラー(英国海軍退役准将)である。彼は旗国は船長をもっと積極的に支援すべきではないかと質した。
 これに対して、4 人のパネリストがそれぞれ答えたが、要約すると次のようになる。
 旗国こそ船長・乗組員及び本船が寄港国において理不尽な扱いを受けた場合、当事国として適切な対応をする義務があり、またそのような地位に置かれている。このため旗国はIMO などを通じて国際規則の審議に関わるとともに人脈の構築を行う必要もあろう。また問題が容易に解決しない場合は国際的な仲裁なども考慮すべきである。しかし残念ながら旗国には当事者能力を欠く国も多く、訴訟などの法律行為に大いに支障を来すケースがある。そうした事案を担当するにあたり旗国によっては多大な労力と費用を覚悟しなければならないことがある。
 一方米国は沿岸国・寄港国として旗国に対して強い不満を抱いている。旗国が本来果たすべき役割をほとんど果たしていないと感じている。旗国は国際規則にのっとり本船の検査を実施し、乗組員の教育訓練を行い堪航性と品質を担保すべきである。とりわけ海洋環境保護関連の履行について不備が目立つ。旗国は権利でもあり国際的な義務である本船・乗組員・船主に対する有効な監督を行わなければならない。海洋環境保護や汚染事故に対して船長・乗組員に対する苛酷な取り調べは旗国への警告であると受け取るべきである。

 その他いくつかの質問や意見交換が行われたが、最後にある保険会社の役員の質問とそれに対するコメントを挙げておこう。
 質問は「これまで例に挙げられたような船長や乗組員に対する不当な扱いやハラスメントの数々は有能な青少年を船員という職業から遠ざけることにつながらないか? 将来の船員の質に深刻な影響を及ぼすのではない か?」というものである。これに対しパネリストからは、途上国の多くの青少年にとっては船員という職業は極めて魅力のあるものである。世界的にみれば船員志望者の数は減ることはないだろう。しかしこれを欧州に限れば、このような船員に対する不当な扱いは悪影響を及ぼすことは十分に考えられる。
 米国でも船員不足はある。船員という職業を選ばない理由はそれなりに複雑で、そのライフスタイルや給与の問題もあれば、こうした事故を起こした場合訴追される恐れのあることも影響しているであろう。しかしこのようなマイナスの面を強調するのは間違いだ。
 英国では現在2,000名もの練習生が居るし、アイルランドでも多くの青少年が海を志している。しかし問題は船社がこれらの練習生を雇用する力がないことだ。三等航海士の海技資格を得るためには12ヶ月の海上履歴を必要とするが、英国の海事関係大学や船員訓練機関では必要な海上履歴が得られる前に退学させざるを得ない状況にある。
 LSLC の会長であるクラーク卿はセミナーの総括として
「船長は海事社会の基幹であり、考えられる限りの支援をうけるべきである。このためP&I クラブ、船主、船舶管理者そして旗国はその義務を果たさねばならない。船長は明らかな犯罪行為を行わない限り、訴追されるべきではない。不注意な運航を行ったとして船長を投獄するのは明らかに不当である。このようなことが英国で行われているとすれば、それは改められるべきである。
 今夜の討論会で得た真の教訓は船長は常に全ての関係者によって支援されるべきということである。」そして最後にやりきれないと言った表情で『船長であるよりは海事弁護士の方が良かった』と付け加えた。

 

マイケルの報告とコメント

 マイケル・グレイは2016年の11月3 日付けのLloyd’s List に投稿し、またIFSMA へもレポートを送ったが、ここでは主としてLloyd’s List の記事に基づき要約してみたい。「討論会の開催されたロンドンのドレーパー・ホールは15世紀からあるもので、天井の高い豪華なホールである。
 ホールは海事関係者、法曹関係者、その中には上訴院判事、、宮廷弁護士、高名な法学者なども居り盛況であった。しかしキャンドルと豪華なシャンデリアのもたらす光の揺らめきは、これから討議される主題とは少し違和感もあった。
 ロンドンから遠く離れた港で今しも入港した風雨にさらされた本船に大勢の船舶検査官・監察官・監督官など多くの官憲や関係者が乗船してくる。誰もが重要な案件で直ちに船長に会いたいと称し、競って本船のあら探しをする。また汚職官吏は貨物の揚げ数不足、船体の不備や規則違反をあげつらい、巨額の罰金を科すと船長を脅迫する。
 一方用船者は本船が航海中であろうと停泊中であろうとかまわず、電話で怒鳴るかE-MAIL を送るためにキーボードを叩きつける、本船のスピードを上げろ、あるいはスピードを落とせ、荒天の中を突っ込め、少々の貨物を余計に積むために満載喫水線ぎりぎりまで積み込めと叱咤する。目覚ましい通信技術の進歩により、船長の決定や行動はすぐさま論議の対象となり、物知り顔の識者が口をはさむ。
 こうした困難な状況にある21世紀現在の船長の為にこうした討論会は高く評価されるべきであるが、如何せん時間が十分でなく論議は尽くされたとは言えない。多分一晩中討論したとしても十分ではなかったかもしれない。解決すべき課題は山積しているが、それでもISM コードにより、船長を支援する陸上側の責任が増したことは歓迎すべきだし、改善の方向として示された船長 への必要な支援の強化、船長権限の増強、法的責任の軽減などは真剣な審議に値する。現状維持は何もしないことと同様である。

 これを機会にIFSMA のメンバーも船長の職責について考えることが重要と思う。」

 

Nautical Institute(NI)のコメント

 この討論会についてはNI の機関誌“Seaways”の2016年12月号に編集者によるレポートがある。討論会の内容など重複する所は省略すると大略次のようになる。
「これは海事関係者の感情に強く訴えるトピックである。事実この討論会に続くレセプションでは幅広い話題と共に感情的な会話が飛び交っていた。討論会ではこれまでNI が度々取り上げてきた陸上サイドの管理と本船船長との緊密な連絡やまた両者の相克などの問題より、むしろ事故の起きた場合の船長の官庁に対する対応などに重点が置かれていた。これは討論会の時間的制約ともともと力点が法務に置かれていたためでもあろう。それにしても何かが足りないと感じざるを得ない。船長を取り巻く厳しい環境と問題をこのような形で真剣にかつ高い水準で有名な討論会で取り上げられたことは高く評価されるべきであるが、残念ながら可能性のある解決策は示されなかった。船主や用船者が多く出席し彼らの声を直接聞くことが出来ればもっとよかったであろう。次の機会を期待したい。」

 

後書

 関西を本拠とする「海上交通システム研究会」という海事研究団体がある。詳細は省くが会長は古荘神戸大学海事科学研究科教授で2 03 ヶ月毎に研究会を開催している。その第132回研究会は“船長の責任に関する諸問題─今、船長が直面している新たな課題” として2 月8 日に神戸大学海事科学部で開催し多くの参加者があった。
 講師は当会の小島会長、東京海洋大学の逸見教授、福知山公立大学の篠原特任教授で、このお三方に加え鈴木神戸大学名誉教授、商船三井の海上安全部部長代理(関西地区駐在船長)の宮田浩船長が参加されパネルディスカッションも行われた。ロンドンの討論会とはアプローチもスコープも違ったが、困難な立場にある船長に対する支援の必要性については理解して戴けたものと思う。機会があれば報告することとしたい。

 

討論会メンバー

Chairman
 The Right Hon. the Lord Clarke of Stonecum-Ebony President of the LSLC
Moderator
 Captain Kuba Szymanski Secretary General of InterManager

The Panellists
 Michael G. Chalos
   Partner at K&L Gates,LLP(New York)
 Michael Kelleher
   Director at West of England P & I Club
 Jeff G Lantz
   Director of Commercial Regulations and Standards at the US Coast Guard
 Faz Peermohamed
   Partner and Head of Global Shipping at Ince & Co

参考ウェッブサイト
www.shippinglbc.com/

 

 

 


LastUpDate: 2024-Dec-17