元川崎汽船船長 町居 孝義 | ||
一昨年夏、郷里石川県富来町に帰った私は、毎日通学する子供たちを見るにつけ、かつては、船員の町として全国にその名をとどろかせた富来町とその隣の門前町、そこから巣立った能登の船員衆の実態を、この子等はどの程度知っているのか疑問に思い、船員出身の子息に二、三質問してみた所、案の定、海運、船員、船の知識は殆どなく、愕然とした。 これではいかん。何かの機会に、かつての活気あふれる船員の町の事情や船員という職業や海運等について後輩に、話しておかねばならないと思っていた矢先、船長協会主催の新企画(船長 母校へ帰る)を知り、早速、澤山会長にお話をした所、是非実行して下さいとの快諾を得た。私の卒業した小学校は、過疎化が急激に進み、全校生徒数は高々20名程度とまさに複式授業をせざるを得ない、哀しく切ない状況になってしまっており、どうせ講演するのであればもっと多くの生徒さんに聞いてもらったほうが良いだろうと思い、私の巣立った中学校をも含む統合中学校の生徒さんを対象とすることにした。かつては、700名近くいた中学生数も、ここでも過疎化が進み、280名近くまで落ち込んでいる現状を知るにつけ、驚きとともに深い悲しみを感じた。 今までの企画は、小学校生徒を対象としていたが、今回初めて、中学校生徒を対象とすることで一抹の不安はあったものの、会長からの力強いバックアップもあって、思い切って中学校を選ばせて頂いた。富来中学校小谷貢校長とは、昔からの懇意な仲でもあり、小、中、高校の後輩でもあることから、この新企画をざっくばらんに話した所、是非実現してほしいと積極的賛意を得た。中学校生徒さんともなると、年中行事がびっしりと詰まっており、一クラスの生徒を対象とするのならいざ知らず、全校生徒を対象とした講演会ともなるとやりくりが、かなり大変なようで、相当前広に連絡をしスケジュール設定をしなければならないらしい。幸いにも、期近な連絡にも拘わらず、小谷校長はじめ飛騨教頭、教務主任の努力と船長協会のご協力により、平成13年12月4日午後1時30分より3時までの1時間30分の講演会が実現した。 当日午前中まで、二学期の期末試験で散々しぼられ、試験が終わってやれやれ解放気分を味わおうと思っていた生徒たちにとっては、又何か堅苦しい講演を聴かされるのかとウンザリした気分であろうことは、想像出来ていた。 会場には、全校生徒280名、教諭陣約20名、富来町教育振興会中谷会長(歯医者)、朝日新聞記者(七尾より)、地方紙北国新聞記者(志賀町より)、船長協会より澤山会長、村田常務理事の多くの方々が集まってくれた。 船長のユニホームを脱いで20年以上経ち、陸上勤務が長かったせいもあって、体型的にも大肥満型となっており、果たしてユニホームが合うか否か心配であった。郷里の我が家の土蔵に仕舞い込んでいた服一式を取り出してみた所、カビが生えてるは、金筋はぼろぼろ、金ボタンは錆びてるは、体が二回りも三回りも大きくなっており、窮屈この上もなし。とても大観衆の面前へ着て行ける代物ではないこと明らかであった。この新企画は船長服着用が原則になっているようなのでハタと困ってしまった。近くに住む七尾港パイロット松田信悟船長(川汽出身)に借用を申し込んだ所、快く帽子も含む比較的新しいクリーニングしたばかりの一式を貸してくれた。体型 的にもピッタリ合い、いよいよ出陣。制服制帽の三人の船長群(澤山会長、村田常務理事、それに私)が会場にシズシズと入っていくと、ざわめいていた会場が一瞬シーンと静まりかえり、宇宙人か何かを見るような好奇な目で見られているような錯覚に襲われ、瞬間的にタジタジとなった?がそこは日頃の厚かましさとくそ度胸で、平常以上のデカイ態度で臨むこととした。 事前に聴衆全員に配っていた私の本日の講演内容のレジメ、船長協会よりの船、海運に関する各種の資料(プレゼント用の下敷も含む)に基き、説明していくことにした。 堅い話は極力避け、まず帽子を脱いだ私の禿頭と校長先生の禿頭の比較から、簡単な落語のさわり、私の得意とする所のジャパニーズイングリッシュ(和洋折衷の桃太郎さんの童話)、中、高校時代や船員時代、外地駐在員時代の失敗談などを自分なりに、おもしろおかしく話し始めた。レジメには次のことを書き連ねた。 【船 と 船 員】
私の1時間の持ち時間があっという間に過ぎ、その後20分間に、澤山会長よりスライドを使っての世界の港、海の珍しい動物、海の自然現象、パナマ、スエズ両運河などが大変興味深く説明された。 後日、全校生徒に講演会の感想文を書いて頂いたものを全て読まさせて頂いた。講演会の内容や雰囲気を生徒の赤裸々な次の感想文の要約でご判断願うことにしたい。
中学生ともなると、将来の目標をある程度立てたい、いろんな分野のことを具体的に知りたいと言う欲望が強く、その意味でも総花的な話よりもインパクトのある話をしたほうが良いことを痛感した。 協会の新企画(船長 母校へ帰る)が全国のいたる所にまで浸透し、船と船員、海運の重要性が若い人たちに理解され、興味がもたれ、そして船員志望者が一人でも多く出てくることを祈って止まない。 |