第15回 神奈川県葉山町立葉山小学校

 元商船三井船長 矢嶋 三策

 昭和19年に現在の東京商船大学を卒業した私は、三井船舶に入社しその後社名変更による商船三井に勤務したあと、今は故郷の神奈川県葉山町で隠居生活を送っている。

 健康管理をかねて毎朝犬を連れて散歩していると70年前に私が卒業した小学校が近くにあり、通学途中の子供たちと飼い犬を介してすっかり顔なじみになってしまった。そのうちに、交通安全の整理のために出てくる校長先生とも言葉を交わすようになり、校長先生は私が20年前に書いた「船長」という本を読んでおられ、卒業前の六年生に是非海の試練を乗り越えたときの船長の経験を話してくれと頼まれてしまった。ところが古いユニフォームは既に処分してしまって無いので、元商船三井専務の三隅田船長に相談したところ、船長協会が50周年記念事業の一環として「船長、母校へ帰る」という事業をはじめているので澤山会長に頼んであげようと言って下さり、船長協会主催の講演会ということになり、ユニフォームも貸して頂くことができた。

 かくて平成14年1月19日土曜日の午前10時半から約一時間、葉山町立葉山小学校(佐藤正校長)での講演会ということになった。
当日は船長協会の澤山会長の挨拶、応援の柳原良平画伯による船の絵の実演とお話に始まり、私の講演があり最後に大河原専務理事の挨拶で締めくくられた。また、船長協会の村田常務理事と日本財団の柏田さん及び朝日新聞の渡辺記者が参加された。
私は、世界一周の航海をテーマとして話を進めた。ペルシャ湾から油を運んでくる33万トンのタンカーは長さが300メートルもあり、このタンカー4隻分で東京ドームが一杯になるが、日本人が生活していくためには一日にその2隻分が必要であることを話した。もし船が石油を運ばなければ、自動車はガソリンが無くて走ることができず、火力発電所がとまって電気がつかなくなってしまう。
船が飼料を運んで来なかったら日本中の鶏が死んでしまう。

 このように船の働きはとても大切なのだという話をしたあと、私が大西洋でハリケーンに悩まされ、泣きべそをかきそうになりながらもへこたれずに頑張って無事にニューヨークに入港した時の喜びと苦心談を話してあげた。どんなに辛くて苦しくとも、へこたれずに努力して頑張っていれば必ず道は開ける(God helps those who help themselves)という話をしてあげることができた。

 そして最後に私が大西洋のハリケーンに悩まされて辛かったときに唱えていた「希望は心の太陽である」という言葉を皆で三回唱えて講演を終わった。
後日、子供たちからの感想文が送られてきたのに応えて、私は次の詩を子供たちに贈りました。
 「海」「こわいけどやさしい海、教えてくれる海、負けずにがんばるとごほうびをくれる海」

LastUpDate: 2024-Apr-17