|
日本航海学会 60周年記念シンポジウム |
|
|
本年2月20日、日本航海学会60周年記念シンポジウムにおいて、小職に基調講演の依頼があり、およそ学問から縁遠い身を顧みず、日ごろ学会に対して抱いていた思いと期待を忌憚なく開陳させて頂いた。
以下に講演の内容を紹介し、会員諸兄の批評を仰ぎたい。
なお、講演では状況説明にパワー・ポイントを使用したが、ここでは割愛する。 |
|
|
■学会の誕生 |
日本航海学会が創立された1948年11月頃といえば、焦土と化した我が国に、やっと復興への若葉が芽を出し始めた頃であり、わずかに残った船舶もGHQ の管理下で、邦人の戦地引き揚げ輸送や細々と国内輸送が許される状況にありました。
そんな苦難の状況下にありながらも、やがては外航海運も再開され日本の基幹産業になるであろうことを看破された井関貢先生とその仲間たちが、航海学会を立ち上げられたと聞いております。
その後60年の間に我が国海運は、戦前の規模を凌駕し世界有数の海運国に成長しました。
この発展を可能ならしめた技術的、知的バックボーンとして、当航海学会は多大の貢献をしてこられました。
ここに改めて敬意を表する次第です。 |
|
■新入当時 |
私が新入の航海士として社会人になったのは1962年、親船は12月に日本を出港するニューヨーク航路の貨物船でした。
波高10m はあろうかという冬場の北太平洋を、喘ぎながら横断しました。曇天が1週間以上も続き、天測はできず、南下してからやっと太陽で位置が出たとき、推測位置から25マイルも離れていたことをおぼえています。
乗組員は55人、もちろん日本人ばかりであります。
積み荷は、今の100円ショップで多くみられるような雑貨や衣料品が主体で、帰りにはホールド一杯に石炭を積み、中甲板に綿花を積みました。
コンテナ船と違い航海士は積み荷を身近に感じることができました。
Stowage Plan の作成に頭をひねり、GM や船体強度の計算、積み量計算、天測計算などなど、全ての業務は、学生時代に習ったものがそのまま生きておりました。
船員の技量と知識が本船の運航に大きく影響する時代であり、無事に航海が終了したときの達成感は、他の職業ではなかなか得られないだろうと思いました。 |
|
■脱日本人化 |
あれから半世紀、海運の環境は大きく変わりました。
特に、労働環境面では、1971年に円レートのフロート制導入から始まった円価の高騰による日本人船員と日本籍船の減少。
特に海運という産業は、他産業では不可能な、便宜置籍という制度があり、船舶という生産現場は急速に脱日本化が進みました。
30年間に外航船員は最盛期の20分の1、日本船は17分の1に激減してしまいました。
当協会に登録されている船長の数では、最盛期の1,800人から現在は600人弱となり、約3分の1の減少ですんでおり、もうこれ以上は減少しないと思われます。
この激減の過程には新規採用の絞り込みや、企業存続のために緊急雇用対策という荒治療も行われました。
この結果、海を目指す若者達から船乗りへの興味を減退させてしまいました。
さらに、今日の少子化傾向は、船乗りという職業には、マイナスの影響を与えているようであります。
さすがにこの状態は、国家的見地からも看過できないと、政府は一昨年、『海洋基本法』を制定し、日本人船員と日本船を増加させるべしと提言しています。
海運関係者は、基本法の目的が達成されるように努力しなければならないと思います。 |
|
■技術革新 |
さて、船舶の技術革新について簡単に振り返ってみましょう。
1970年頃から船舶は専用船化が進み、タンカー、鉱石船、コンテナー船はいずれも大型化して行きました。
冒頭で紹介した私の親船のような雑貨船はコンテナ化され、積み付け技術の優劣が表れ難くなりました。
一方、この間、安全航海を支援するシステムにも、目を見張る発達があり、今も進化が続いています。
ハード面に於いては、ジャイロや測深儀、レーダーなどの性能も向上し、ARPA、GPS、AIS、そして、まるでカーナビのようなECDIS など、寒風に身をさらしてやっていた天測や交差方位などは、陳腐化したといっても過言ではないでしょう |
|
■天測の必要性 |
昨年、国際船長協会連盟、通称IFSMA と呼んでいますが、このIFSMA から、天文航海学がSTCW 条約において、強制要件に入っているが、ある国から、これを任意の要件にすべしという提案があった。
日本船長協会の意見を聞きたいと連絡があり、当協会は、各教育機関、大手、中手の船会社にメールで聞き取り調査をした結果、8割近い回答は、時期尚早であるという内容でした。
その旨をIFSMA に伝えましたが、後日、IFSMA から参加国の大半が、時期尚早と答えているとのことでした。
中には、各国の自主規定に任せるべしという意見もあったとのことです。
天測もいずれは過去のもの、という時代になるでしょう。 |
|
■海陸間情報の飛躍的向上 |
インマルサット電話や船上インターネットの普及は、陸上と本船間の情報交換能力を飛躍的に向上させています。
船長が判断すべき案件を陸上に依存したり、或いは、陸上の方が船長の決定権を侵害して、支援から指図へという現象も出てきているのではないかと思います。
このようなハードウエアーの進化は、航海や、荷役の技術を平準化させることになりました。
それでも、機器の過信や基礎的な知識の欠如による海難事故はまだまだ後を絶ちません。 |
|
■ソフト面の進化 |
船舶運航上のソフト面でも大きな変化がありました。
IMOから発信されるいろんな規則、SOLAS関連の条約、SMSなど船上業務のマニュアル化、セキュリティーに関するISPS、それらをチェックするPSC など、従来なら船員の常務として常識的に行われていた業務を、紙の上にさらけ出し、もれなく実行したかをチェックするシステムです。
更に、MARPOL 条約関連の記録簿作成など、船舶職員は書類作業に相当の時間を費やしています。
また、気象や海象に関する情報サービスも充実してきました。
太平洋の気象と海象を予測し、その船舶の性能に見合った最適のコースを選定して、それを情報として運航船社に販売するという民間の会社があります。
本来これらの情報は、船長がコースを選定するときの支援情報という性格をもつものであります。
ところが、数年前、民間会社が推薦したコースと異なるコースを採った船が、目的の港に、予報会社が予測した日数より数日遅延して到着したことに対し、チャーターした会社は、船長、すなわち船舶運航会社に対し、遅延に対する損害賠償を請求し、裁判で争われたケースがありました。
船長が物見遊山気分でハワイを見に南下したというのなら話は別ですが、船長の航路選定権も怪しくなってきました。
以上のようなソフト面での進化は、乗組員の業務遂行面において、取りこぼしが少ないシステムが構築されたと言えるでしょう。 |
|
■日本人海技者のあるべき姿 |
以上にご紹介した、ハードとソフトの発達は、人件費の安い途上国の人たちにも安全に船が運航できる環境を醸成したと言えましょう。
したがって、日本人に関して申し上げれば、商船教育を受けて社会に出たものは、単なる船舶職員としてではなく、海運企業においては、運航船隊の安全管理や外国人船員の教育など管理部門での活躍が期待されており、海上経験をベースに陸上にて管理業務に就ける人材が求められています。
当然、語学力やManagement にも高い能力が要求されます。
海運界における技術分野のコアとして、航海学、海事関係の法律や規則、国際法、環境問題、ヒューマン・ファクターなどなど、幅広い知識を習得し、海上で、あるいは陸上で、外国人船員の指導監督ができる人材が求められているのです。
まさに、船舶職員から海技者へ、ということになりましょう。
現在、海運界にいる船長や航海士、機関士達の多くは、陸上でこのような役割を担っているのです。
外地勤務をしている人も多くいます。
したがって、教育機関にお願いしたいことは、このような海技者に育つ基礎的な能力とやる気の涵養をしていただきたいと思います。 |
|
■航海学会に対する現場の捉え方 |
さて、話を本題に戻し、現場の船長や航海士が、日本航海学会をどのように捉えているのでしょうか。
海運という産業には、残念ながらメーカーや製薬会社のように、研究・開発する部門がありません。
この面からも本学会の先生方には、工学系や医学系などの学会と比べ、実業界とは情報面や研究面での結びつきが小さく、実務の社会にある船長協会としても、大したご支援ができない事を申し訳なく思っております。
前述しましたように、現場では、各種の規則が要求する書類の作成に、船長・航海士は従来以上に時間を取られている上に、混乗船の船長は、乗組員の給料計算、食料金管理、寄港地の治安や衛生状態、更には航路上の海賊対策にも気を配らなければならないのです。
このように現場の船長や航海士は、学会の高度な学術的論文を解読するほどの時間的余裕がないことをご理解いただき、現場からの航海学会に対する反応が少なくて申し訳なく思いますが、その辺の事情をご賢察いただきたいと思います。
研究論文集を見れば、難しいテーマがあって、ややこしい数式が並んでいる。
率直に申し上げて、あれは学者先生の発表の場であり、自分達には無縁のものだというのが一般的な捉え方ではないかと思います。
ただし、学会誌の“NAVIGATION”に掲載されている論文には、現場の会員も馴染みやすい内容のものも多くあります。
誤解のないように申し上げれば、我々レベルで解読が困難な研究が不要であると言っている訳ではありません。
学術を極めるためには、高度な研究も、高等数学も必要でありましょう。
ただ、もし可能であれば、論文の「結び」か「結論」の処に、その研究が、実社会とどのように結び付きがあり、役に立つのか、という観点からの記述もしていただければ有難いと思います。 |
|
■航海学会への期待 |
以上に申し上げましたことを踏まえて、現場にいる船長や航海士の立場から、日本航海学会に次のことを期待いたしたいと思います。
①海事クラスターの「核」
航海学会は、海事社会における頭脳集団によって構成されていると信じております。
したがって、本学会には、海事クラスターの「核」としての役割を担っていただき、情報の発信基地になっていただくことを期待いたします。
クラスターを実現させるためには、日本船舶海洋工学会や日本マリンエンジニアリング学会などとの連携も考慮されては如何でしょうか。
②海技者の将来像
船舶職員から海技者へという時代の要請については、先程触れましたが、それでは、これからの海技者には何が求められているのか。
海運業の将来予測をして、あるべき海技者像の設計図を描くような研究もしていただきたいと思います。
③現場も関心が持てる研究
航海学会の研究論文には、現場から遊離しているようなものが多いのではないかと、前述しましたが、もっと、現場の海技者にも馴染みやすい雰囲気を醸成するために、産学共同の研究を増やすこと。
そして難しい論文では、結びのところで、実務との繋がりについても触れて頂ければ有難いと思います。
④優秀論文の定期的評価
実社会との結びつきを強めるために、発表された論文を定期的に評価して、実社会に貢献度の高い論文を表彰する制度を設けてはどうか、という提案でございます。
以上、学会のなんたるかもよく理解しないまま、浅学非才の身でありながら、先生方の御苦労も知らずに、勝手な事を申し上げましたが、これは、本学会が、これから有望な海技社会構築のリーダーシップを発揮してほしいという強い気持ちの現れであることに免じて、お許しください。
御清聴、有難うございました。 |