(社)日本船長協会 会長 森本靖之
去る10月、1ヶ月の間に大型鉱石船が3隻も鹿島港の港外と港内で、強風により座礁した。これらの事故に関する情報は、新聞発表の域を出ないが、私は立場上これを看過する訳にいかず感想を述べたい。
先ずは発表されている範囲で3件の事故概要を紹介する。
(1)10月6日午後2時頃、GIANT STEP号(パナマ籍、9.9万G/T)は鉄鉱石19万トンを積載して沖待中、機関室火災が発生、鎮火したが機関が使用不能となったところに北東風が20m/sまで強まり、圧流されて同5時半ごろ座礁。船体は割れて半没状態となる。11月半ば現在、死者8人と行方不明者2人が発生し、現地のシラス漁とハマグリ漁に大きな影響が出ている。
(2)10月24日、港内バースに着岸していたOCEAN VICTORY号(中国籍、8.9万G/T)は、揚げ荷3万トンを残し20m/s近くまで強まってきた北風の中を、午後に至りこれ以上の着岸は無理と判断しパイロット乗船し沖出しを決行、何とか回頭させて出航方向に向け、北からの強風波のため出口まで嚮導は不可能で、事前の船長了解によりパイロットは増速を指示して下船。その後、本船は出口のブイ手前で右転し、防波堤北端との間を出航しようとして圧流され防波堤外側に接触しながら南方に流され座礁した。
(3)上記O.V.号が出港1時間後、隣のバースからELLIDA ACE号(パナマ籍、8.5万G/T)が石炭16.3万トンを積載したまま離桟、O.V.号と同様に出航航路に向けてパイロットは下船。理由不明なるも増速に失敗、航路左側(西側)に座礁した。現在、船固めをして瀬取り実施中。
この港は太平洋に直面し、南北に延びる長さ2マイル弱の防波堤に守られた掘割式の人造港である。Swellの侵入により係船索の切断が散見されることは、船長や現地関係者もよく知るところである。だからこの港は欠陥港だという言い方には組したくない。経済活動の必要性からこの地に港が造成され、港湾計画には海技者も参画したはずである。しかし湾奥に位置する港よりは使用条件が制約されることは当然であり、要はその港に合った運用がなされているかという点に尽きる。上記の2船では、パイロットが下船時、高波に翻弄されるタグに移乗の際、一人は足をくじき、もう一人は額を切り数針も縫ったという。
せっかく航路に向首し全速で出口に向かえと指示したのに、機関部がそれに応えられなかったかも知れず、船の安全は船長の技量だけでなく機関部の技量を含むトータルなものとして評価される。
今回の如く、前線性の低気圧に対しては台風襲来と比べ一般的に警戒心が緩くなり勝ちである。あの時、台風対策並みの警戒を採っておくべきだったと言うことはた易いが、それは結果論である。
仮に港長が「避難勧告」を出していても法的な強制力はなく、離桟の決断はあくまでも船長の判断となる。日本の気象特性に不案内な外国人船長、避難にはタグやパイロットの費用が発生すると船長に躊躇させる雰囲気を醸している傭船社や船舶管理会社、もちろん安全第一を徹底している会社もあるが、今回の事故の背景に様々な誘因が存在しているように思う。
前掲3船の船長は、インド人、中国人、そしてフィリピン人であった。
今日、気象・海象予測も以前と比べ飛躍的に精度が向上し、港ごとにピン・ポイントの情報も入手が可能となった。船舶管理会社や港湾関係者は、気象情報を出来るだけ多く収集し船長に提供する必要があろう。(本来なら船長が積極的に収集しなければならないのであるが)
世の中一般の人は、否、船社の人でさえ(一部の人であることを希望するが)、船は電車と同じように予定通りに運航されるものと思っているようである。次に紹介する事例は新聞にも載らず誰も知らないことである。
10月6日、鹿島港の沖合いでG.S.号では錨が引けて悪戦苦闘している頃、同港内の原油桟橋で荷役中のVLCC「日彦丸」では、係船索が切断し始め、風も強まり20数m/sとなり、船長は離桟を決意、パイロット乗船、タグ(6隻)を呼び、バース前面で回頭を敢行、パイロットを下船させて無事港外に脱出した。
離桟の際、強風でオイル・フェンスがなかなか外れずやきもきさせられたと言う。船長はもちろん日本人である。
一連の事故を伝える地方版には次のような記事が載っていた。
「フィリピン人乗組員20人を10人ずつロープで吊り上げ、同市の神之池緑地陸上競技場へ運んだ。全員怪我はなく足取りもしっかりしており、フェリーノ船長は(幸運だった)と笑顔」。
日本人船長ならどのような表情になっていただろうなんて余計な事は考えますまい。